おはよう、僕の天使
次の日になると、犬堂さんは元に戻っていた。
「おはよう、椎名君」
広い館のリビングでこっちの世界で言う新聞にも似た紙を読んでいて、私の姿に気づくと、笑顔で挨拶してくれたんだけど……昨日のよわよわだった犬堂さんってもしかして、私の夢だったのかな?
えーと、確か犬堂さんが落ち着くまで、ずっとぎゅっとしてて、その後、バックヤードからノブ学のウエハースを持ってきて一緒に食べたんだよね。
食べられなかった分は犬堂さんにそのまま上げたんだけど……ん!?
優雅に新聞を読みながら朝食を待つ犬堂さんの手元にノブ学のウエハースがある!?
しかも、なんだかブルーの絵柄が特徴的なとてつもなく高そうな食器の上に、さも極上のデザートみたいに置かれている……う、嘘でしょ。
袋ビリビリ~ってしてモグモグ~って食べるやつじゃないの!?
「うーん。でもお皿が高級だと上に乗ってる100円のお菓子も老舗のお菓子に見えてくるから不思議だ」
「あれも食い物なのか?俺は食べたことないぞ」
「わっ、びっくりした。おはようウィル」
「おう、おはよう……」
ふぁあ、と大きな欠伸をしながらウィルがリビングに入ってくる。
軽く口元を押さえてはいるけれど、全然収まりきってないぐらいに広がった口から、普段よりも低い声を絞り出ていた。
欠伸って誰だってちょっとは変な顔になりそうだっていうのに、ウィルってば欠伸しても全然顔が崩れない、お、恐るべし王子様顔。
それにしても、こんなに眠そうなウィル初めてみたかも。
座ったのはいいけど、肘付いて目を閉じてるし。
「ウィルすっごく眠そうだけど、どうしたの?」
「……広いベッドで眠るのが慣れてないだけだ」
「ふぅん」
目は閉じているけど意識はしっかりしているみたいで、私の質問にはちゃんと答えてくれた。
「何だよ、またデバガメしてたのか?」
「この筋肉馬鹿、ちょっとは頭を働かせろよ。昼間に付与した補助魔法が夜まで持続する訳無いだろ」
「お前なぁ。紅茶入れねぇぞ」
「おはようございます、リークさん」
「おう、おはようシーナ」
キッチンからポットとティーセットを持ってきたリークさんが苦笑混じりにテーブルにカップを並べていく。
くんくん。今日はフルーツ系の紅茶かなぁ、林檎っぽい香りがほんのりと漂ってくる。
バーベキューで沢山食べたけど、もうお腹すいてきちゃった。
「朝食の準備、私も手伝います!」
思わずリークさんの傍へ駆け寄ると、少し嬉しそうに頬をゆるめたリークさんがキッチンへと歩き出したので私も後を追った。
「つまみ食いの準備は出来てるか?」
「勿論ですっ!」
えへへ、朝食のカリカリベーコン一口貰っちゃおう~!!
心をスキップさせながら、私はスープが焦げ付かないようにかき混ぜる役目をベーコンと交換で受け持ったのだった。
「……その綺麗な目でじっと見られると流石の僕も困っちゃうな。そんなに、このウエハースが欲しい?」
「いや、後であいつから直接貰う」
「何だ、残念。ウィルになら半分あげても良かったのに。朝食が出来るまで少し眠っておく?起こしてあげるよ……って言いたいけど、ウィルなら椎名君達の気配で起きるか。それにしても、珍しいね。何処でも眠れるのが特技じゃなかった?」
「誰しも寝付けない時ぐらい、あるだろう」
「あ、そうなんだ。僕を一晩中監視していたからじゃないんだ」
「お前……やっぱり気付いていたのか」
「部屋に戻った後あたりから気付いていたよ。君はとても優れた斥候だけど、僕は人の感情に少しばかり敏感でね」
暫しの沈黙。静かに揺れる穏やかな瞳。
「僕の様子がおかしい事はリークも気付いていたよ。ウィルは相変わらず心配性だね……まあ、君達が心配する気持ちも分かる。でも安心して欲しい。僕が椎名君を傷つける事は絶対に無い。彼女の嫌がる事もしない。僕は椎名君を大切に思っているからね。それに」
「それに?」
「僕はウィルに感謝しているんだ」
「感謝?お前に感謝されるような事……」
「椎名君に出逢わせてくれて、ありがとう。僕の天使を連れてきてくれて感謝しかない」
「……」
「僕、今凄く生きやすいよ」
「ウィル、犬堂さん、朝ご飯でーす!!」
スープをお皿に入れてリビングに戻ってくると、犬堂さんがスッと立ち上がって、人数分のお皿が乗ったお盆を受け取ってくれた。
「手伝うよ」
「ありがとうございます」
いつものように柔らかく微笑む犬堂さんは、とても穏やかで。
ふわふわふわしている銀色の髪が朝の光を浴びてきらきらしていた。
溶けるような夜の闇に沈んでいる時よりも、私はこっちの方が何倍も何十倍も大好きだな。
うん、私、ちょっとは犬堂さんの支えになれたかなぁ?
「なぁ、シーナ」
「何、ウィル?」
空になったお盆を受け取ってキッチンへ戻ろうとすると、ウィルに呼び止められた。
どうしたの?ウィルもカリカリベーコンの味見する?
「昨日の夜、コイツに何もされなかったか?」
なななな!突然何を言い出すのかと思ったら。
テーブルに肘を付いたまま犬堂さんを指さして言うウィルの表情は何処か引き気味だ。
こう、ぎゅっと眉間に皺が寄って、嫌々聞いているって雰囲気がびしびし伝わってくるんだけど……。
「酷いな~ウィル。僕は椎名君と海を見ながら語り合っただけだよ。ね、椎名君!」
やっぱり、よわよわのへにょへにょになってたことは喋らない方がいいよね。
プライベートなことだし!
「えっと……はい」
「正直に話していいぞ、シーナ。余計な事は言うなって脅されているなら、俺がコイツを縄で縛ってシレーネに置いていく」
「な、なんで!?」
何の話!?何故にそんなにも物騒な話題になっているのですか!?
機嫌が悪そうなウィルとニコニコ顔の犬堂さんに挟まれながら、私は頭を傾げてしまった。




