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【コミカライズ:1巻発売】私、異世界に来てまでレジ打ちやってます!  作者: 黄金栗
第三章 シレーナの海と心の波
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【別視点】犬堂夕はパラドックスの海の中

犬堂さん視点でのお話。時系列は前回の続きです。



ろくな人生を歩んでこなかった。

人生の崖っぷち。一歩踏み出せば真っ逆さまな状況。

驚きなのはその時の自分が、精神的にかなりまいっている自覚が、全く無かったって事。


深夜2時過ぎに帰宅。朝6時出勤。

少しでも眠りたくて、職場のすぐ傍に引っ越したのは半年前だったけれど、未だに部屋の中は引っ越したばかりのように段ボールが積み重なって置いてある。

段ボールと段ボールの隙間の床で寝ていた。

ベッドも買ったが組み立てる気が無かったし、マットもあったが開封することすら面倒だった。

気まぐれに繋げたテレビはいつまでも意識に入らず、ずっと付いていた。


「犬堂、よく働くよな。見習いたいよ」


そんなことを言った先輩は、去年この仕事を辞めた。

毎日「生きること」が作業になっていた。


仕事を誰かに頼むのが嫌だった。

誰かに何かを任せて、失敗されて「あぁ期待なんかしなければ良かった」と思いたくなかった。

その度に、他人に期待することを止めようと自分に言い聞かせていた。


もう期待をするのを止めようと思うのは、失望して自分が傷つきたくないからで。

期待した自分の感情を、他人に蔑ろにされたように感じ、自分が酷く滑稽に思えるからで。


そう、自分が他人を許す事が出来ないんだ。

僕はそんな自分が大嫌いだった。

気付くと、笑顔だけが顔に張り付いていった。


今日、何曜日だったっけ。

(納期の日は覚えてるのに)


知らない間に後輩が仕事を辞めていた。

(あの子が最後に笑っている所いつ見た?)


……飯、いつ食べたっけ。


何か些細な切っ掛けで崩壊してしまうぐらい、ギリギリだったんだろう。

今思うと、この頃にはもう僕は感情というものが無くなっていたように思う。


ある日、いつもの時間に帰ってきて、何をするでもなく床に寝転んだ時、ふいにテレビから声がした。


「私、アイドルには不慣れかもしれませんが……一生懸命頑張ります。だから、私を支えてくださいね、先生」


少女の声だった。

黒髪の女の子が僕に向かって微笑みかけてくれていたんだ。


ノブレス・オブリージュ学園、というゲームのCMが何の偶然か帰宅したタイミングで放送されていた。

そして、映った女の子はそのゲームに出てくるキャラクターなのだと知った。


例えば、精神的にギリギリの人間が、不意に差し込んできた日差しに救いを求めたとして、そこに現れた人物はまさに救い手として認識されてしまうんじゃないだろうか。

さながら、宗教画のように。

僕にはゲームの中の彼女が天使に見えた。



……随分とセンチメンタルだな。

物思いに耽っていた僕の目の前には、今の気持ちを代弁するかのように、暗闇に包まれた海が映っている。

ここはもう異世界なんだから、怯える必要は無いというのに。

繰り返される波の音が、昔の記憶を無理矢理引っ張ってきていたのかもしれない。

それとも、久しぶりに口にした缶ビールの味が、水みたいに飲んでいた頃を懐かしんだのかも。

どちらにせよ、ろくな思い出じゃ、ないんだけど。


「犬堂さん。バーベキューコンロ、綺麗になったんで、箱に入れておきますね」


やぁ、こんにちは僕の雫ちゃん。

小動物みたいに一生懸命ご飯を食べてて、やっぱり凄く可愛かったよ。


「あれ、もう拭けちゃった?いやぁ、椎名君は仕事が早いなぁ。ありがとう、後は僕がするよ。ウィル達と一緒に先に戻ってて。日が沈んで肌寒くなってきたからね、椎名君が風邪でも引いたら大変だ!」


箱に入れたバーベキューコンロを抱えて、アイテムボックスへ戻そうとするのを横からそっと受け取る。

大した重さではないけれど、女の子に持たせるのはちょっとね。

彼女が気にしないように、少しオーバーな態度で心配すると、椎名君は、ぶるぶると子犬みたいに頭を左右に振った。


「犬堂さん、今日沢山準備してくれたじゃないですか。片付けまで全部任せられないですっ!」


ふんすっと胸を張って言う姿に気圧されて、僕は思わず目を瞬かせた。


浜崎雫ちゃんは、大和撫子という言葉がよく似合う、大人しくて清楚な女の子だ。

元気があって無邪気な椎名君とは真逆の存在。

なんだけど……本当に、見た目は雫ちゃんに瓜二つなんだよな。

いっそ、椎名君の見た目をモデルに雫ちゃんが生まれたと言っても過言ではないくらい似ている。

初めて出逢った時、本当にスマホの画面から出てきてくれたのかと錯覚したぐらいなんだから。


……だからなんだけど、彼女の傍に居れば居る程、人間として生きていけなかった、あの頃を思い出す。

精神的な支えであった浜崎雫ちゃんは、あの頃を思い出すトリガーにもなっていたんだ。


異世界に来てから、スマホも存在しないこの世界で、ノブ学の世界は僕の頭の中だけだった。

それなのに、椎名君という存在が突然現れた。

浜崎雫ちゃんと全く同じ見た目で、僕の前に。


あぁ、僕は人間が嫌いで、自分が嫌いで、どうしようもない弱い人間だった。

その事を否応なしに強制的に思い出す状態に陥ってしまった。


「犬堂さん……?」


「あぁ、ごめん。久しぶりに缶ビール飲んだからかなぁ、ちょっと酔ったかも。鉄の肝臓を持つ犬堂と大学時代は恐れられていたのにさ」


茶化して誤魔化す言葉を笑顔で吐き出す。

そう、元の世界でもこういうのは得意だったな。

大丈夫だよ、と自分の顔を熱くもないのに手のひらで扇いだ。


「少し夜風に当たりたいってのもあるから、僕のことは心配しないで。アイテムボックスの扉だけ消さないように意識しててくれたらいいからさ」


ね?と念を押す。

ウィルとリークがさっきから、椎名君のことを気にしている様子だし、少し押してあげれば、彼らが館に連れて行ってくれるだろう。


「シーナ。ケンドーを手伝うにしろ手伝わないにしろ、一度戻って、上着を取ってきた方がいいんじゃないか?」


「リークの言う通りだ。異世界人が病気になった場合、こっちの治療法が効くとは限らないからな」


「え!?そ、そうなの!?」


ほら、二人が声を掛けてきた。

いや、リークは僕が一人になりたい雰囲気を目敏く察知しているようだね。

ウィルは椎名君と僕を二人きりにしたくないって感じかな。

本当に君達は分かりやすいね。


僕の雫ちゃんはというと、焦りながら自分の身体を色々な角度から観察している。

可愛いね。ウイルスはこの世界でも目には見えないよ。


「ウィルとリークもこう言ってるし。先に戻っておいで」


「……はい」


にっこりと満面の笑顔で彼女を送り出す。

二人と言葉を交わして笑顔を浮かべる椎名君の姿を、僕はずっと眺めていた。


椎名君と雫ちゃんは別人だ。

でも僕は椎名君に雫ちゃんを重ねている。

それは、自分を唯一救ってくれた天使の役目を、椎名君に押しつけようとしているという事。

ウィルやリークみたいに椎名君本人を見ているわけではないんだ。


「僕は弱いね……本当に」



自分が他人を許す事が出来ないんだったら、他人がお前を好きになればいい。

そう、オーナーは僕に言ってくれた。

自分が大嫌いな自分の事を「好き」と言ってくれる人なんて信じられない。

そう、僕はオーナーに言った。


そうしたらオーナーは真っ直ぐこう言った。


「お前、何で嫌いな自分の事を信じてるんだ?」


嫌いな自分の事を信じているから、他人の好きが信じられないんだろ、と言った。

確かにそうだった。僕は僕の事しか考えられなかった。

そう言った環境で生きていたと気付かされた。

僕は僕を傷つけるすべての世界が怖かったんだ。


「自分を嫌いなままでいいから、好意だけは受け止めるようにしろ。それから好意を向けてくれた相手の事を少しでも考えろ。そうしたら生きやすくなる」


その言葉を受け入れるには時間がかかったけれど、オーナーは僕を大切にしてくれた。

だから、少しずつ他人を許す事を覚えていった。

僕はこの異世界に来て、本当に良かったと心から思える。



僕はあの頃の僕を思い出したくない。

そして、大好きな存在としてずっと浜崎雫ちゃんを想っていたい。


だから、椎名君とも会わない方がいい。

ただ、大好きな存在として、トータの街で想っていればよかったのに。

だけど僕は……何故だか、椎名君を追いかけていた。


あぁ、矛盾しているね。

この感情は何なのだろう。


「犬堂さんっ」


波音に混じって、僕を呼ぶ声がする。

テレビの音量が徐々に小さくなっていくみたいに、周囲の雑音が全て消え失せた。

そして、


「戻ってきちゃいました」


彼女の声だけが、無音の世界に聞こえてきていた。



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