百合の香りと火炎放射器
「お姫様は、ワルツは好きかな?」
「わる……つ?ふええ!?」
掴んだ手をぐいっと引っ張られ、私はこの綺麗な人の胸に飛び込んだ。
そして手もう片方の手が、私の腰に添えられる。
きゅ、急に何!?
ワルツとか言われても一般人の私にはダンスなんて全然わからないよーー!
クイーンビーの所まで運んでくれるんじゃなかったの!?
抗議の意味合いも込めて、相手を見ようと顔を持ち上げかけた時、耳元のすぐ傍に相手の顔が寄った。
「目を閉じて」
「っ…!?」
吐息混じりの囁く声。
高すぎず、低すぎない、心地よい真ん中のラインをたゆたう、その声色に心臓が大きく跳ねた。
じんわりと息が掛かるぐらい近い相手に緊張して耳が赤くなる。
思わず強く目を閉じた所で、相手はクスクスと愉しげに笑った。
「ごめんね。可愛いから、ちょっと苛めちゃったんだ。目、そのまま閉じていて、いいね?」
そう言うと、腰に添えられた手が背中を伝う。
「すぐ終わるから、ボクを信じて」
そして背中の手が強くなり、体が密着する。
ええ!!これって抱きしめられているってやつじゃ……!!
動揺に強ばった身体を優しく包み込むような、甘く清廉な百合の香り。
深く吸い込めば吸い込むほど、体温がみるみる上がっていく。
ど、どうしよう。これって騙されちゃってるのかな。
セクハラ!?異世界で!?
……でも、さっき間近で見た、アメジストみたいな鮮やかな瞳はそんなことを考えるような雰囲気は無かった。
もっと澄んでいて、もっと孤独そうな……。
えぇい、迷ってる暇なんて無いんだから!!
私はぎゅっと目を閉じたまま、この綺麗な人の肩口に顔を埋めた。
今は自分の直感を信じるぞ!!!
「いい子だ」
ちゅっと、聞き慣れぬ音が私の耳に入ってきた。
え?今の……何?髪に何かが触れたような気がしたんだけど。
「ひゃ!?」
同時に、今まであった床の感触が唐突に消えてしまった。
それこそ、落とし穴に突然嵌まってしまったみたいに、一瞬にして心臓がひっくり返るような心地悪さに包まれる。
「う、ううう浮いてる!?落ちてる!?」
「ふふ、到着したよ」
「えっ……」
密着していた体が音もなく離れていく。
私の身体が浮いたのは、ほんの数秒。
今は、ぽんっと投げ出されたかのように、物見台から地面の上に降り立っていた。
しかも、
ギギ、ギギギギ
数メートル先に、身体を引きずりながら逃げるクイーンビーの姿。
あの一瞬で、どうやってこんなにも離れた距離を移動出来たんだろう。魔法?
「ボクが出来るのはここまでさ。じゃあね、可愛いお姫様」
「あ、あの!私シーナです!あなたの名前……!」
背後で人の気配が離れていくのを感じる。
急いで振り返っても、そこにあの謎の美貌を持った人物の姿は存在しない。
まるで、闇に飲み込まれるようにして、消えてしまった。
「私、夢でも見てるのかな」
思わずポツリと言葉が漏れた。
ギィ!!
そんな私を正気に戻すかのように聞こえた、クイーンビーの鳴き声。
よし、あの綺麗な人に関して考えるのは後回し!
今はコイツをなんとかすることに専念しないと!
物見台から私が移動したことでレジが消えて、クイーンビーに掛かっていた保留は消えた。
それでも、流石にウィルとリークさんに与えられたダメージが大きいのか、逃げる速度はそれほど変わらない。
うん、これなら私でも追いつける。
「待てーー!!」
勇気を振り絞り、クイーンビーのところまで全速力で走る。
やっと追いついた時には、クイーンビーもこちらに気づき警戒態勢を取っていた。
でか!!近くで見ると、本当にでかい!!
そもそもハチの身体って、明らかに危険物取り扱い注意のカラーリングなんだもん~~!!
怖いよ!!!
でも、泣き言を言った所で誰も助けてくれない。
いいや、むしろ今は私が皆を助けるんだ!
「くらえ!!」
近づくのは怖いから、腕を精一杯前に突き出し、ハチ退治用スプレーのトリガーを引く。
プシューーー
「まだまだ!!」
プシューーーーーー
勢いよく噴射されたスプレーを顔面から受けたクイーンビーの甲高い悲鳴が上がる。
イヤイヤをするみたいに、無数の手で顔を払うと、苦しげに身体を震わせていた。
サイズは全然違うけど、クイーンビーにもこのハチ退治用スプレーは効いている。
けれど……何だろう。
苦しんでいるだけで決定打に欠けるように見えた。
どうしよう、私、武器とか持っていないし、あんなに大きかったら何かで叩くとかもできないし……。
バックヤードに行って何か探す?ううん、その間に逃げられたら絶対ダメ!
とりあえず何回もスプレーをかけて倒すしか……。
ふとハチ退治用スプレーを見た。
側面にはスプレーの成分表や使用する上で注意をすることが明記してある。
そこにでかでかと印刷された「火気厳禁」の文字。
レジ袋の中には、蚊取り線香はなくなったけど、ロングタイプのガスライターが残されている。
そして、さっきレジを通した時に見た「火が弱点」という文字。
ピースが合わさるみたいに、答えが導き出される。
ちょっと危ないけど、もしかして……これを使えば。
「科学の……ううん。スーパーマーケット教の力、見せてあげる!」
レジ袋からガスライターを引っ張り出し、私はハチ撃退用スプレーの噴射口に近づけた。
「いっけえええ!!!!」
ボウウウウウウ
トリガーを引くと、スプレーが一瞬にして炎の橋を作り上げる。
さながら簡易の火炎放射器だ。
扇状に広がって、クイーンビーを真っ赤な炎が包み込んでいく。
いやいやいや、威力おかしいでしょ!
自分でやっておきながら、火力が強すぎて驚愕している。
簡易の火炎放射器なんて言っているけど、これは簡易を易々と越えるレベルだ。
内容量を考えたら、こんなに大きくなるのは絶対おかしいけど……もしかして、異世界の商品だから?
そういえば粒子がどうこう言ってたような気がするし。
ギィエエエエ!!!!
甲高い悲鳴を上げながらクイーンビーがついに倒れた。
見ると、ぷすぷすと火花を弾かせながら真っ黒焦げになっている。
「やっ、た……」
全部使い切ったスプレー缶をカランと落とし、へにゃへにゃと、その場に座り込んむ。
もうダメ、一歩も動けない。
そう思った直後、
ギシャーーーーー!!
「ぴゃーー!」
座り込んだ私の目の前で、真っ黒になったクイーンビーが大きく前足を上げてのし掛かろうとする。
まだ死んでなかったの!?嘘、嘘!待って!!
このままだと私押し潰されちゃうよ!!!
「速度上昇、衝撃率固定」
とっさに目を閉じた私の耳に入ってくる強気な声。
そこには空を跳ぶ虫を狩る鷹のごとく、高く飛ぶ一対のエメラルドの瞳があった。
「ウィル!!」
「はぁっ!!」
身体を回転させ、更に重力をも上乗せした状態でクイーンビーの身体をウィルが真横に蹴り飛ばした。
「リーク!」
クイーンビーが飛んだ先には、ペリドット色の髪を持ったリークさんが、さながら獅子のように威風堂々たる姿で待ち構える。
「かかってきな!」
巨大な大剣を前に構え、飛び込んでくるクイーンビーをそのまま真っ二つに切り倒す。
捌かれた魚みたいに、クイーンビーは左右に分かれて、今度こそ本当に動かなくなった。
ほんの一瞬の出来事に、ぱちくりと目を開く。
ウィルと目が合うと、何処か楽し気に微笑んでくれた。
「よくやった。シーナ」
「えへ、えへへ……やったーー……」
ウィルが褒めてくれたのと、安心と。
たくさんの疲労に包まれて、私はやり遂げたんだと嬉しくなった。




