⑥
アルミリアは船の入港を告げる鐘の音に飛び起きた。
身支度もそこそこに坂を駆け下りると、来ていたのは蟹漁船ではなく定期の連絡船だった。
学校が休みだと、どうにも曜日感覚が鈍っていけないとアルミリアはため息をついた。
港には島民たちが荷物の受け渡しのために集まって来ている。
「姫。ロバを連れて来なかったの?」
「え?」
そう問われ、アルミリアは面食らう。
坂の途中の家にロバを預けている。定期船から荷物を受け取る際は、そこからロバを引き取って屋敷まで運ばせるのが常だった。
ダンは彼女がカスタニエ家の代表として引き受けにやって来たのだと判断したようだった。アルミリアは口籠る。どうしても、父親が帰ってきたのだと早合点して飛び出してきたのだと言いたくなかった。
「えーと……」
兄のマクシミリアンがむっつりした顔でロバを引き、後ろからやってきた。降りるならロバを連れて行けよな、と文句を浴びせられるが、アルミリアはそれを無視する。
どしどしと港に荷物が下ろされてゆく。最後に現れた、いっとう頑丈そうな箱がエリザへの貢ぎ物だ。
昔は一月に一回の船だったのが、今は十日に一回である──と島民は語る。
セント・エリザ島には主要な大型船が入る港、予備の穏やかな入り江に面した港、小型漁船用の港──その他、幾つも隠された港がある。
世の中、船を見かけるのは三ヶ月に一度などの世界もあると聞くので、アルミリアが思っているよりこの島は絶海の孤島ではないらしかった。
「せめて、軽そうなやつはお前が持ってこいよな」
マクシミリアンはそれだけ言うと、ロバに荷物を載せて去っていった。
定期の運行船は、品物だけではなく人も運ぶ。
一人のくたびれた服を身につけた青年が足取りも軽やかに船から降りてきた。港をもの珍しそうに眺めている。
「よそ者だ」
ダンは少しばかり警戒した様子でささやいた。
「観光客と言ってあげなさいよ」
青年はアルミリアを見つけ、好奇心にあふれた顔で近寄ってきた。
「そこのお嬢さん、君はこの島の名士の家系とみえる。少し尋ねたいことがあるんだが」
「はあ、何でしょう」
アルミリアが上に引っ被ってきたコートには、真珠のブローチが付いている。
また、毎晩湯に浸かり、香油で全身を手入れされ、絹の枕で眠るアルミリアの髪の毛は生まれてたての子犬のように艶々と輝いている。
そんなわけなので、アルミリアは赤の他人から見て一目で島の権力者の寵愛を受けていると判断されたのだった。
青年は旅をしながら芸術に精を出しているいわゆる夢追い人で、自分の創作意欲を掻き立てるモチーフを探し回っているのだとつらつらと語り始めた。
「僕は人捜しのためこの島にやってきた」
「誰を?」
「とらわれの貴婦人、悲劇の公女、亡国の姫、嘆きのブルーダイヤモンド──彼女を表す言葉は沢山あるけれど」
「?」
アルミリアはもったいぶった言葉に首を傾げた。
「エリザヴェータ、という名の女性を探している」
「エリザヴェータ?」
アルミリアは素っ頓狂な声をあげた。
「そう。『嘆きのブルー・ダイヤモンド』と共に消えた、最後の女王、マルガレーテ女王の血を引く孫娘の行方を捜している」
「この島に、とても美しい女性がいるそうだ。君のご両親ならば何かご存じでは?」
青年はじっと、アルミリアの紺碧の瞳を見つめた。
「し、知らないっ」
アルミリアは戦慄し、走り出した。知らない。そんな人は、本当に、ほんとうに、知らないのだから──
アルミリアは大急ぎで帰宅した。途中で坂を登っている兄を抜き去り、全力で石段を駆け上がる。罵倒の言葉が後ろから飛んできたが、今はそれどころではない。
いつものように、エリザは暖炉の前で犬を侍らせ、次女と向かいあっていた。
「ねえ、見て! フレデリカが立ったのよ」
いつも静かで存在感の薄い妹が、立とうが座ろうがアルミリアには全く興味のない事であった。
「それは置いといてさ……」
ご飯はまだできていないわよ、と語るその表情はいつものエリザだった。
「どうしたの?」
「いや……」
アルミリアの頭の中では、先程聞いた言葉が繰り返されていた。あなたは「エリザヴェータ」なのか──と問いかけようとして口をつぐんだ。
程なくして荷物を持ったマクシミリアンが戻ってきた。
「郵便です」
「ありがとう」
エリザは手紙をテーブルに置かず、懐にしまいこんだ。その様子を、マクシミリアンはじっと見つめていた。
そうして一息つき、仕事をほっぽりだした妹に厳しい視線を向ける。
「お前、何だよ。ちょっと残ったやつを持ってこいって言っただろ。もう一回行かないといけないじゃないか」
「ご、ごめん……」
妙にしおらしい妹に対し、マクシミリアンは何か思うところがあったのか。それ以上は追求せず、残りの荷を回収するために再び港に戻っていった。
夕食どき。今日は荷物が来て、いつもより豪華な夕食で、みんな楽しいはずなのにどうしてこんなにも静かなのだろう、とアルミリアはハムの塊を眺めながら考えた。
「港で、母上に会いたいと言う人がいましたよ」
「あら、私に?」
あの画家は、たちまちエリザまでたどり着いたのだ。それ以上話を聞きたくなく、アルミリアは食事をかき込んで自室に戻る。
布団に潜りこむと、自分の心臓の音がバクバクと聞こえてきた。
もし、エリザが連れて行かれてしまったら、どうしよう? そのままいなくなって、誰もいなくなってしまったら、どうしよう──アルミリアの頭の中は、突飛な妄想でいっぱいになった。