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「それではみなさん、ごきげんよう」


「マーーマーーーー」

「むぁーー」


 エリザは優雅に子供たちに手を振り、背を向けた。


 ここは託児所である。島の女性、主に高齢者が交代交代で子供の面倒を見る場所だ。室内には同じく母に預けられた子供たちの怨嗟の声が渦巻く。


 今日、エリザはそこに次男と次女を置いてゆく。彼女はこの島の女主人であり、ただ優雅に日々を過ごしているわけではない。


「マジ泣きしてるけど」


 アルミリアは弟妹の嘆きを耳にして、自分だけが母親について行くことに若干の罪悪感を覚えている。


「全員こうなのよ。もう騙されないわ」


 エリザは「あなたもそうだったもの」と言い、木のドアを素早く開けて外に出た。もたもたすると室内の暖気が逃げてしまうからだ。


「ほら、もう後ろを向いているの」


 窓から覗き込むと、二人は全てをあきらめたのか、入り口に背を向けおもちゃの棚へと進んで行くところだった。


「本当だ、めっちゃ元気じゃん」

「騒いだら()()()()()()()と思っているのよ。()()()()()


 お守り役として残された愛犬のフレディだけが顔をこちらに向け、尻尾を振った。


「行きましょうか」


 エリザとアルミリアは島に三台しかない馬車に乗り、最東端にある牧場へ向かう。


 馬、牛、豚、山羊、羊、驢馬、鶏。ここの家畜たちの何割かはエリザの所有である。


 アルミリアが小さい頃はヤギとニワトリは家にいたのだが、子供が増えると家畜の面倒が見きれないとのエリザの発言により、アルフレドが金を出して牧場を整備した。


 最近は岬から見えている小さな島を開拓して、畑や牧場を広げる話まであるらしいと聞く。


 馬車は牧場の入り口までの坂を登る。昔はこの通路も整備されておらず、牧草地に行くにはそれこそヤギのように崖を伝って行くしかなかったのだと言う。


 馬車を降りると、海風がアルミリアの髪をもてあそび、視界が淡い金色になった。


 風が収まってエリザの方を見ると、彼女の巻き毛はいつものようにくるん、とおすまし顔だった。


 その様子を眺め、どうしてこの人だけは髪型がきちんとしているのだろう──と思う。


 黒いコートに、同じく黒い革の編み上げブーツ。首にイタチの毛皮を巻いたエリザは、やはりどう見ても島から浮いていた。


「大丈夫?」


 エリザは手提げから櫛を取り出し、アルミリアの髪の毛を梳かしはじめた。


 やっぱり、この人はここの島にいるべきではないのではないか──そんな『勿体なさ』がアルミリアの心を支配した。



 牧場ではもこもこの冬毛になった羊たちが群れを作っている。崖の上から見える景色はどこまでも海が広がるばかりで、向こうにはるか大きな大陸があるとは、アルミリアにはいまいち想像ができなかった。


 エリザは額に手をかざし、静かな海をじっと眺めている。


「一体、今はどのあたりにいるのかしらね」


「気になるの?」

「それはそうでしょう」


 アルミリアは俯いた。父は戻って来ていない。普段なら、とっくに戻ってきてもいい頃合いなのに──。


 アルフレドの事を考えると、アルミリアの胸はムカムカしはじめた。いても、あるいはいなくても。父は娘の心をざわつかせる存在なのだ。


「あーーーーっ」


 アルミリアは草の上にばたり、と倒れ込んだ。


「どうして、あたしがこんな気持ちにならなきゃいけないのーーっ」


 エリザはアルミリアの隣に座り、騒ぎ立てる娘の顔を眺めた。


「アルフレドも罪な男ねえ。本人が聞いたら喜びそうだから言わないでおくわ」


「んもーーっ!!」


 怒れる牛のような鳴き声を出し、アルミリアは薄っぺらい胸を上下させた。


「怒る気力があるのはいい事だと思うわ。興味があるって証拠だものね」


「え、じゃあパパに対してもう怒る価値もないぐらい興味ないって事?」

「ごめんなさい。今の例え話はアルフレドの話じゃなかったの」


「なんかもっさりしていて、ママの言うことはよくわかんない!」


 アルミリアは真珠のような白い歯をきい、とむき出しにして噛み付かんばかりの勢いで起き上がり、エリザに詰め寄った。


「そうねえ。昔も何を考えているのかわからないと言われていたわ」


 もう、これだから大人は──悪態をつきかけたアルミリアに、エリザは静かに語りかける。


「私としては、今が楽しければそれでいいじゃないと思うのよ。この島に着いたとき、私は過去をぜーんぶ捨ててしまう事にしたの。うーん。違うわね。元々あまり持っていなかった、かしら」


 失ったものよりは新たに得たものの方が大きい──そう呟くエリザを、アルミリアはじっと見つめた。その様子は母ではなく、見知らぬ貴婦人のように見えた。


 もし、私が公爵令嬢のままだったなら──エリザが続けて何かを言いかけたのを、羊の一団が邪魔をした。


「メェ、メエエエエ」


 漁師が着るような厚手の羊毛のセーターに身を包んだアルミリアを、彼らは仲間と認識したようだった。そのまま、人混みならぬ羊込みにアルミリアは巻き込まれ、流されていく。


「わーっ!!」


 黒白の長い毛を持つ牧羊犬がやってきて、羊たちを散らせた。その様子を見たエリザはくすくすと笑った。


「笑いごとじゃないよ!!」


「ちょっと油断すると、そうなるのよね。アルフレドも同じことされていたわ」


 アルミリアは口を尖らせて、母の手編み──父親とお揃いのセーターの袖を引っ張った。



 用事が終わったから帰りましょうと言われ、アルミリアはエリザの後ろをついていく。


 下の二人を引き取り、マクシミリアンと待ち合わせをし、商店街にある食堂で昼食を食べる。


 それは大体において毎週行われる恒例行事のようなものだった。食堂で待っていると、後から遅れて仕事を抜け出した父がやってくるのだ。


 しかし、今はいない。


 空腹が気分を落ち込ませるのか、落ち込んでいるから胃のあたりがずーんとするのか。アルミリアにはそれがわからない。


「何を注文するのか決まったのかしら?」


 エリザはいつもグラタンを食べる。その理由は「焦げ付いた皿を洗わなくていいのは最高」だからだそうだ。


 アルミリアはいつも気分で頼むものを変える。メニューの書きこまれた黒板を眺めると、蟹とトマトのパスタ、と書かれていた。


「カニ……かあ」

「あなたこういうの好きでしょう」


 アルミリアは蟹もトマトも好きなので、間違いなく美味しいだろうとは思う。しかし、ここで食べてもいいものだろうか? と心に引っかかりを感じるのも事実だ。


「今日はやめておこうかな」


 いまここで食べなくても……きっと、そのうち、間違いなく、お腹がはち切れるぐらいの蟹にありつけるはずだとアルミリアは信じている。


 ここは一時、耐え忍ぶ時である。空腹は最高のスパイスだと、学校の先生も言っていた……。


「じゃあ僕は蟹のやつで」

「……」


 こいつは全くあたしの事をわかってくれていない。全く男と言うものはどいつもこいつも鈍感がすぎると、アルミリアは心の中で兄を激しく糾弾する。


「あたしは……アサリのパスタ」

「あらあら。そう」


 エリザは優雅に手を上げた。マクシミリアンが水を取りに行き、店主が注文を取りにやってくる一瞬、エリザはアルミリアに向けて、微かに含み笑いをした。


「早く蟹が食べられるといいわね」


 ()()()()()()()のも困ると、アルミリアは小さな体をさらに縮こませた。


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