③
「それでね……ひどいと思わない?」
「しおらしい顔だったけど、絶対今頃は船員を顎で使っているに違いないの」
小屋での手伝いを終えたアルミリアは食堂でアサリと牛乳のシチューをかき混ぜ、中の具を探しながらダンに語りかけている。
その隣では、マクシミリアンがむっつりした顔のまま、がちがちに固くなったパンをシチューに浸している。
「だからバカな事はやめろと言ったのに。蟹漁船も迷惑だし、うちは人手が足りなくなって何もいいことがない」
「だいたい、あんたが一緒になって嘘をつくからじゃない!」
何しれっと常識人ヅラしてんのよ、とアルミリアは怒りに任せてテーブルを叩いた。裏切り者の兄もまた、許す事はできない。
「二人とも落ち着いて」
仲裁に入ろうとしたダンに、アルミリアはかみつく。
「あんたのおじさんだって同罪よ」
ダンの父親はアルフレドと仲がいい。その事実に今まで疑問を感じたことはなかったが、よくよく話を聞くところによると彼もまた移住者なのだ、それもエリザがやってくる数ヶ月前に。
エリザが『流刑』されてくるにあたり、先行して島に向かい開拓に励む一団がいた──ダンはその息子なのだ。唯一の救いは、業務上の命令ではなく希望者を募ったものである事だろうか。
もしこの大掛かりな束縛のために本当に『島流し』された人がいたとしたら、それこそアルミリアの怒りは頂点に達してしまうだろう。
「俺のうちは元々母さんがここの出身だし、エリザ様が途中で本国に戻られていたら島は今ほど整備されないはずだから、なんとも言えない所ではあるんだよな」
「……」
アルミリアは皿からパンの塊を掬い上げ、かじりついた。
エリザが移住したことにより、この島は豊かになった。元々漁業や貿易の中継地点としてそれなりに整備されてはいたものの、島民の生活は景気や国際情勢にいとも簡単に左右されてしまう。
エリザによってもたらされたもの。それは権力者からの寵愛。
船に載せることができる貨物には限りがある。運行数を増やし、資材を運び、道や港を整備し、畑や牧場を作り、家畜を運び込む。
本土で行うより、ずっと最初の手間がかかる事だ──流石のアルミリアもそれは理解している。
だから、島民はアルフレドに感謝をささげる。そこに、エリザとアルフレドの間に何があったのか、彼女がどうしてここに来たのか、そんな事には全く興味がない。
誰も怒っていない。エリザのため、知りたくもない秘密を知ってしまったアルミリアのために、怒ってくれる人は誰もいない。
──だから、あたしだけはあの人の罪を糾弾しなくてはいけない。
誰に頼まれたわけではないが、アルミリアはそれを自負している。ちなみに『あなたのむっつり顔、父親そっくりなのね』とのたまった母にも若干の怒りを感じている。
「そもそも気が付かないお前がバカなんだよ。母上だって、薄々勘づいていなかったわけがない」
レモンの入った水差しを傾けながら、マクシミリアンは投げやりに答える。そして、ふいに何かを思い出したように口を開きかけたが、それはダンの「実は俺のうちでもさ」と言うものものしい発言によりかき消された。
金髪の兄妹は無言になったが、いつまで経っても話が始まらなかったので、アルミリアはダンの左隣に移動した。
二人に挟まれ、ようやく少年は重い口を開いた。
「……妹が生まれただろ」
ダンが聞こえるか、聞こえないかぐらいの小さな声でボソボソと語り始める。
「……カロリーナがどうしたって?」
マクシミリアンがダンの妹の名をつぶやく。アルミリアはごくりと生唾を飲み込んだ。
「そのカロリーナがさ。親父が昔好きだったけど振られてしまった女性の名前なんだって」
「えっ」
「えっ」
話はこうである。本土のカスタニエ邸まで出稼ぎに来ていたダンの母は、ダンの父と同僚として知り合った。
彼女は島への移住者の希望が出た時、年老いた両親のことが気にかかり、帰郷しようと考えた。そして、どうせなら婿を連れて帰りたいと思った。そこに居たのがダンの父である。
彼は意中の女性に振られ、失意の中にあった。やけくそで移住し、十年近く経って娘に「ふと思いついた名前」をつけた。
「悪気があるわけじゃなくて、パッとつけちゃったみたいなんだよね」
「うわあ……」
「それで、本当の恋人じゃなくて飲み屋にいた女性だから別にいいだろ、って開き直っちゃって。それがまずかったよね」
「うわぁ」
「それに比べたら、二人の家はさ。名前は全て旦那様がつけたわけだろ。エリザ様はとても温厚な人だし……」
そう言われてしまっては、アルミリアも返す言葉がなかった。マクシミリアンとアルミリアは名前が似ているから手抜きとか、名前に父親の自己主張が激しいとか、そのような事は些細な問題に思われた。
「温厚じゃない母親がいる家庭は、一体どうなるんだ?」
「そりゃ……」
ダンはマクシミリアンの問いに対し、言葉を濁した。
「今漁船に乗っているしろうとは、一人だけとは限らないってことさ」
すっかり毒気を抜かれてしまったアルミリアは商店街でパンを受け取り、帰宅した。
夕食時に父親がいない事は頻繁にある出来事だったが、なぜだか今日は、いつにも増して寂しい心持ちがした。多分、話を聞いてもらえないからだ──とアルミリアは思った。




