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 鐘が鳴った。大きく三回、いつもと違う音だ──


 祭りの翌朝、一隻の船がセント・エリザに帰港した。


 アルミリアは坂を駆け下り港へ向かう。急ぎ過ぎて、デイジーとお揃いの毛糸の手袋を片方しか持って来なかった。


 この数日、一部島民をやきもきさせた船は新しいままで、とても壮大な航海があったとは思えなかった。


「……」


 港に到着したアルミリアは腕を組み、ふんぞり返って船が着岸するのを眺めている。後ろにダンがやってきた気配がするが、アルミリアは視線を逸らさない。


「なんか……蟹じゃなくておっさんが増えている気が……」


 ダンの呟きに、アルミリアは納得せざるを得ない。


 おじさんは海では獲れない。にも拘わらず、明らかに人が増えている。しかも大分くたびれた様子である。


「アルミリア……」


 比較的よれっとしていない、金髪の男性が甲板から顔を出した。それは正しくアルミリアの父、アルフレドであった。


 その姿が目に入った瞬間、アルミリアの感情は爆発した。


「おそくない!?!?!?!?」


 一体どこでフラフラしていたの、とアルミリアは口撃した。自分を待たせたこと、それは罪の上塗りに他ならない。


 アルフレドは手すりから身を乗り出し、何やらもごもごと言い訳をした。業を煮やしたアルミリアは降ろされたばかりの船の梯子に飛びうつり、一気に甲板まで登りきる。


「なにしてたの!?」


 アルミリアは怒りながらも、アルフレドに近寄り抱きついた。デイジーの気付け薬の匂いがした。


「沖合で難破して航行不能に陥った船に出会ったので救助した。そのせいで帰港が大幅に遅れたんだよ」


 アルフレドは、ぎりぎりのところで威厳を保ったまま落ち着き払って答えた。背後で縮こまっていた船員たちが、そうだ、その通りと言いたげにうんうんと頷いた。


「ふうん、そうだったの」


 海の事故は人ごとではない。助け合うのはお互い様である。合点がいったアルミリアは怒りをすっと静め、アルフレドから離れた。


「姫さまがこの船を遣わせてくだすったおかげで、うちの船員一同、干からびて死ぬところを免れました」


 全く知り合いではない、謎のおじさんが帽子をとりアルミリアに礼をした。自分は特に何もしていないが、この追放劇に何らかの意味があったのだとわかり、まんざらでもなかった。


「ま、悪いことをしていないのなら良しとするわ」


 アルミリアは寛大な心を持って父親に接することにした。人のためになる行いと、蟹があれば新年の始まりとしてはなかなかに素晴らしい。


「立派な蟹が沢山獲れたんだ……」


 アルフレドは床板を外し、生け簀から一杯の蟹を取り出した。


「大きさはこちら。しかし色や締まり具合のバランスを見るとこちらかな……」


 アルフレドは訳知り顔で蟹を次々に引っ張り出してくる。しかしどうにもアルミリアには気にかかることがある。


「……ねえパパ。これはタラバガニで、ヤドカリの仲間だと思うのね」

「……」


 あたりの空気はすうっと凍り、太陽は雲に隠れた。


「カニって呼ばれているのはわかるよ? でも厳密にはカニじゃないよね。そのへんの事、どう思っているの?」

「……」


 アルフレドは黙り込んだ。背後から「そこ気にする?」やら「おい、他のを持ってこい」だの「いやー、これはミスったな」だのさまざまな意見が聞こえてくる。


「あたしが怒っているのは」


「そういう細かいところを()()()()にして、もうこれでいいだろって、その態度が気にくわないんだよね」


 アルミリアは自分の怒りを理不尽だと思ったし、一体何に怒っているのかすらよくわからなかった。


「姫ちゃま、もうその辺で……」


 ダンの父親が間に割り込んでくる。


「その辺のこだわりがないあたり、やっぱりパパはパチモンなんだよね。本物の海の男じゃないんだ」



 アルミリアが去って行くその背中を、遅れてやってきたエリザはすれ違いざまに眺めた。


 島の女王は船からのびる鉄製の階段を軽やかに上り、甲板に転がっている夫を見下ろした。


「手ひどく振られてしまったようで、ご愁傷さまでした」


 エリザの挨拶と共に、次女のフレデリカはきゃっきゃと笑い出した。


 久しぶりに見た父親と巨大な蟹。その組み合わせの妙が、彼女の心にはいたく響いたのである。


「……」


 アルフレドはごろりと寝返りをうち、ふたたび顔を出した太陽を仰いだ。エリザはその傍らに次女を座らせる。彼女はご機嫌な様子で一番のお気に入りのおもちゃ──父親の眼鏡を奪いとった。


「ダメだった……」

「まあ、そうでしょうね。問題は蟹じゃないもの」

「女の子の考えている事は全くわからない」


 エリザはしゃがみ込み、夫の顔を覗き込んだ。亜麻色の巻き毛が一房アルフレドの顔の近くに落ちてくる。画家がこの場にいたのなら、哀れな水夫が死の間際に見た女神のまぼろしとして書き残すだろう。


 彼は巻毛に手を伸ばしたが、髪に指を絡めるより先に、眼鏡を投げ捨てた次女がアルフレドの顔に突進した。


「うわっ」

「あらあら、フレデリカ。まだパパにキスをしてはダメよ」


 娘に抱きつかれて嬉しそうなアルフレドに、島の女王は静かに告げた。


「楽しいのは結構だけど、怒れるお姫様のことは解決していなくてよ。お湯を浴びて、着替えて、しゃんとしてきて頂戴。まだまだお仕事はたくさんあるんですからね」

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