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 蟹漁船が戻ってこないまま、年は明けた。数日連絡が取れないことは、遠洋を移動する大型漁船にはよくある話である。


 アルミリアは年初のお祭りの場で、むっつりとした表情のまま肉を齧っている。


 学友たちと新年の挨拶を交わし、温かい茶でも飲もうと人ごみをかき分け運営の天幕へ向かう。


 視線の先にある光景に、アルミリアはぎょっとした。


 件の画家がエリザに話しかけているのだ。そっと後ろから近づき、耳をそばだてる。


「では、人違いだと?」


「よく言われるんですけれど。私、生まれてからこのかた、ずっとエリザなんですよ。名前が紛らわしいのが悪いんでしょうね」


 エリザはほほほ、と優雅に笑った。画家は首を捻る。


「絶対に間違いないと思ったのに。それでは悲劇の公女はどこに行ってしまったんでしょう?」


「さあ……? でも、私だったら名乗り出ていきませんね。名前を変えて……いえ、そもそも海を越えよう、なんて発想はないんじゃないかしら。商人の後妻に入るとか、修道院に行くとか」


 だって、そんなお姫様のような生活をしていた女性が、こんな所で元気にやっていけるわけがない──とエリザは鈴を転がすように笑った。


「……残念です。ところで、王女のように美しい貴女を射止めた旦那さんはどちらに?」


「蟹漁船の船長を。街の人にはピンと来ないかもしれないけれど、儲かるんですよ」


「そうみたいですね。これほどまでに発展しているとは、正直驚きました。貿易の中継地点として整備され始めているというのは本当だったんですね」


「ええ。島の反対側には養殖場もありますけれど、残念ながら島外の方にはお見せできませんの。悪気はなくても、不審な動きをすると勘違いする人がいるかもしれませんから、お気をつけなさって」


「わかりました……ところで、あなたをモデルにした作品を作成しても?」

「お好きにどうぞ。人の気持ちは自由ですから」


 核心を突いているのか、いないのか。はっきりしない会話に、必死に耳をかたむける。


 画家は彫刻もたしなむようだった。もし夫のお眼鏡に適えば、彼はあなたのパトロンになるかもしれないとエリザは返事をし、青年はさらに何事か言葉を交わした後、引き下がった。


 エリザは青年の背中を見つめ、視線をずらしてホットワインの鍋に恨めしげな視線を投げかけた。そうしてどんどん視線は横に移動し、ついにアルミリアを視界に捉えた。


「あら、そんなところに。お肉は食べたの?」

「……まあまあ」


 硬直したアルミリアの顔を見て、エリザは笑いはじめた。


「すごい顔をしてるわよ」


「だって……」

「だって?」


「もしかして、あの人にくっついて島を出ていっちゃったらどうしようと思って……」


 アルミリアの不安をエリザは一笑に付し、自分はどこにも行くつもりはないと短く答えた。


 アルミリアはエリザの隣にちょこんと腰掛ける。


「結局、エリザヴェータって誰のこと?」

「私のことだと思うけれど。噂話なんてあてにならないってことね」


 このまま私だとわからないぐらい、おもしろおかしく脚色されて語り継がれていくのね、とエリザはため息をついた。


「まあ、バレない方がいいのだからそれはそれね」


 エリザは知らなかったのではなく、率先して隠れているのだ。アルミリアにはやはり、その理由がわからなかった。


「お姫様に──」

「そういえば他の島を経由して、伝書鳩が戻ってきたの。なんだか北の方で手間取っていたみたいだけれど、もう戻ってくるみたいよ」

「え、れ、連絡が来たの!?」


 エリザは詰め寄るアルミリアの顔を見て飼い犬そっくりだ……いや、夫の必死な時の顔に似ているのだと思う。


「良かったわね。明日はご馳走ね」


 元々ご馳走ざんまいではあるけれど──とからかうエリザにアルミリアは背を向ける。


「べつに。遅すぎるよね。一体何してんだか」

「そりゃあ、お姫様のために誠心誠意頑張っているんじゃないかしら?」

「どうだか。ダンのおじさんとお酒飲んで、悪口で盛り上がってるかも」


 甘いパンが焼き上がったと声が聞こえ、アルミリアは群がる子供たちの輪に加わった。



 夜中。エリザは静かに起き上がり、ランプの頼りない光を頼りに二段目の鍵のかかった引き出しをあけた。


 中には手紙が一通入っている。定期船と共にやってきた、義両親からの手紙だった。


 アルフレドが半分隠居していようといまいと、親子の縁が切れるわけではない。すべてが明らかになったのならなおさらだ。


 元宰相からの手紙には本土に戻らないかと書いてあった。


 君と子供たちが日の当たる場所に戻って来られるよう、最大限努力をしよう。と締め括られている。


 たかだか三男の、意味不明なわがままのためにここまで大掛かりな費用をかけて箱庭を整備するのだから、彼らにも息子に対する愛情がないわけではないのだろうし、たくさんいる孫のことが気にかかるのは本当だろう。


 ──滅びた王国と、それを吸収し勢力を強めた帝国。


 かつての宰相家、今はいけしゃあしゃあと新帝国貴族を名乗っているらしいが──元々は帝国の姫の降嫁先である。それはつまりアルフレドには遠縁とは言え、君主の血が流れているのだ。


 二人の子供たちには、二つの国の王家、両方の血が入っている。さぞかし良い駒になるだろうとエリザはこめかみを抑える。


 アルミリアは自分が本当のお姫様になれることを、まだ理解していない。それを隠していることが果たして彼女のためになるのか、それともならないのか、エリザにはまだ判断がつかない。


「私はずっとここにいたいのよ」


 エリザはいつでも島を出て、悲劇のヒロインとして舞台に躍り出ることができる。しかし、彼女はそうしない。この島で暮らすことが、今の自分の望みだからだ。


 安心できる様に早く帰ってきて──エリザの呟きは、暖炉の炎に溶けて消えていった。

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