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「暇ですわね……」
エリザ・ストラスブール『元』公爵令嬢は、島流しの真っ最中であった。
王子と男爵令嬢の『運命の恋』を邪魔した罪で、本土から遠く離れた離島に流刑となったのだ。
あんまりではないか、とエリザは思った。
彼女のした事と言えば、無視したり、公衆の面前で令嬢の態度を非難したぐらい。
それだけなのに、いつの間にか階段から突き落とす、髪の毛を切る、劇薬を振りかけて顔を焼こうとした、等の罪状が積み上げられていった。
全く身に覚えのない事で有罪になるはずもないと高を括っていたところ、この仕打ちである。
父であるストラスブール公爵がろくに庇ってくれなかった事もあり、エリザの処分はあっと言う間に、例外とも言えるほど重くなった。
「冤罪ですわ〜……」
定期運行の貨物船内に、申し訳程度に設置されている個室の中、エリザは1人呟いた。
片道、船で丸一日かかる絶海の孤島、なんと『セント・エリザ島』と言うふざけた名前だそうだ。
胃がむかむかして、気分が重い。これから縁もゆかりもない、見知らぬ地で一生を過ごさねばならないのだと思うと、エリザの気分はどこまでも沈んでいく。
「あらっ、意外と文明の香りがしますわね」
早朝、嫌々ながらも船から降りたエリザはさわやかな風を頬に受け、萎れていた心が潤い始めるのを感じた。
『ようこそセント・エリザ島へ』と書かれた看板が掲げられた、小さいながらもきちんとした港である。街路樹が植えられ、石造りの建物が立ち並んでおり、商店らしき看板もある。
島の案内図を眺めてみると、中心に小高い山があり、斜面には畑や果樹園が作られているのがわかった。
これは、意外と大丈夫なのではないかしら。
てっきり無人島のような未開の地で、飢えと渇きに苛まれて死んでいくのかと思いましたけれど、これならば修道院送りとあまり変わらないのでは?とエリザのテンションは若干上がり始める。
「見た感じ、若い人もいるようですわ。このような離島なら、わたくしの様な傷物扱いの令嬢でも、お嫁さんとしての需要があるかもしれませんわね」
元々、王子のことは好きではなかったし、王妃になりたいとも思っていなかったのである。
貴族籍は剥奪されたらしいが、多少の現金と家が貰えるとの事だったので、エリザは完全に開き直り始めていた。
「カモメちゃん、わたくしなんだか元気が出てきましたわ。鬱病だと思っていたけれど、普通に船酔いでしたわね」
「くぅ」
カモメはエリザが何か餌を持っているのかと思っている様子で、近づいてくる。
「やっぱり、この島だと旦那様は漁師になるのかしら?お役人だと異動についていけないものね……」
鞄をまさぐり、わずかに残っていたビスケットを鳥の群れに投げてやると、カモメたちはバタついて餌を奪い合い始めた。
「あらあら」
よくよく考えると、島では菓子類は貴重品かもしれない。早まったかしら、と思わなくもないけれど、まあいいでしょう。とエリザは自分で自分を納得させる。
「ごきげんですね、エリザ嬢」
案内人かと思い、振り向くと見たことが有るような、無いような青年が立っていたが、残念ながらエリザの好みではなかった。
「ごきげんよう。はじめまして、島の方。あなたが案内してくださるのかしら?」
エリザは微笑みながら、手を差し出した。もう公爵令嬢ではない。あの男爵令嬢の様に愛想を無作為に振りまいたところで、今更誰にも咎められないだろう。
男は、対照的に、眼鏡の奥の瞳に苛立ちを灯した様に見えた。
「私は初対面ではありませんし、島民でもありません」
「……そうなのかしら?ごめんなさいね、わたくし人の顔を覚えるのが苦手で」
「私はアルフレド・カスタニエです。……ご存知ですよね?」
青年は、端的にそう告げた。
エリザは考えを巡らせる。アルフレドは知らないが、家名には聞き覚えがある。確か、宰相がその家の出身だった筈だ。息子が三人いたはずなので、王子の取り巻きにいたのかもしれない。
「そう……ね。わたくしに何か御用かしら?」
「私はあなたが刑の執行をきちんと受け入れるかどうか確認するために、この島に先回りしていたのです」
「それは、ご苦労な事でした。じゃあね」
案内人が迎えに来ないので、エリザはとりあえず役場まで歩いて行くつもりであった。
おそらくアルフレドはこの船に乗って本国へ戻るのだろうと思ったが、何故か後ろをついてくる。
「……まだ何か?宰相閣下の御子息は、落ちぶれた平民を追いかけ回す趣味でもあったのかしら」
自分が醜態を晒す所を見届けてから帰ってこい、と指示を受けているのかもしれない、とエリザはぼんやり思う。
「お土産話が欲しければ、ひとつやふたつ、勝手に創作してもよろしくてよ」
実際にひどい目に遭うのは嫌だが、二度と戻れない故郷で何と言われても別に構わない。
「……もし、貴方がこの島での生活を苦痛に感じるようでしたら、それ以外にも道はあります。それをお伝えするために、ここで待っていたのです」
アルフレドは、一通の書簡を差し出した。
中を改めると、エリザが島でやっていけない時には、毒を飲むか、もしくはアルフレドの庇護の元、カスタニエ領に限り移動を許可する、と言うものであった。
父親と宰相、国王の署名がなされた、正式な書類である。エリザはその筆跡に、確かに見覚えがあった。
つまるところ、流刑一択だったのが、恥を晒すぐらいなら死ぬか、もしくは目の前の男の愛人なり妾になってでも本土で暮らす道を選べる様になった、と言う事だ。
エリザは書類を舐め回す様に見た後、ビリビリと破いて海へ投げ捨てる。
ゴミを捨てるのは気がひけるが、元は紙なので自然に還ってくれるだろう、と自己弁護をしつつ。
「……」
「書類は、船酔いによる吐瀉物で汚損したため、破棄しましたとお伝えになって」
せっかく新天地で心機一転頑張ろう、と思った矢先のこの仕打ちである。
「なにが不満なのですか?」
その問いを無視し、踵を返す。
「先程、カモメに向かって漁師の嫁にでもなろうかと話しかけていたではないですか。まだ出会ってもいない漁師でいいならば、私でもさほど変わりはないでしょう」
意外な事に、嫌々やってきたかと思われたアルフレドは食い下がった。
自分に恩を売ったところで、自分を切り捨てた父が何かしてくれる訳でもないだろうに、とエリザはため息をつく。それならば、次に考えられる理由は。
「嫌よ。だって貴方、わたくしを慰みものにして、あの人たちとおもしろおかしく話のネタにするんでしょう?」
「私がその様な事をする男に見えますか?」
心外だ、とでも言いたげな強い口調に、エリザは怯む事なく応戦する。
「見えるわ。だって、あの王子の取り巻きで、あのご令嬢の話を信じる様なボンクラでしょう?」
その様な男性に身を寄せるぐらいならば、絶対に、もっと良い男性がいるはずだと、エリザは確信めいた予感を持っていた。
実際に、アルフレドは反撃に対し、口ごもったのだ。図星に違いない。
「哀れで愚かなエリザは身を持ち崩して、それを気の毒に思った男やもめの漁師の後妻になったとお話しして頂戴な。アルフレド様、遠路はるばるご足労ありがとうございました。それではご機嫌よう」
エリザは革のブーツを踏み鳴らし、まだ何か言いたげなアルフレドを置き去りにして、ひとり新生活への一歩を踏み出した。
2話は金曜に投稿予定です。