北風さんを知らない。
北風さんはウチで暫く寝かせておいた。
……家に送るにも住所がわからないのだ。
ウチでテスト前に勉強した後も、母は「送っていく」と言ったが……「もう暗いし」「女の子だから」と強く言っても北風さんは丁寧ではあるが、頑なにそれを辞していた。
俺が勉強にかこつけてスマホの連絡先を聞こうとした際もそう。
なんでも「スマホは主からの受け専」なのだそうだ。
……どこに住んで、どういう生活をしてるんだろう。
俺は北風さんのことを、何も知らない。
18時手前でようやく北風さんを起こす。
「颯子ちゃん、夕飯食べていきなさいな。 お家の人には連絡するから。 もう作っちゃったのよ、颯子ちゃんの分も」
母はそう言ったが……北風さんは酷く恐縮しながらもそれを受けることはなく、やはり歩いて帰ると言う。
丁寧にお辞儀をして出ていった北風さんを、すぐ俺は追い掛けた。
「北風さん!」
「太田殿……どうなされた?」
「送る……途中までならいいでしょ。 話もあるし」
話があると理由付けることで、有無など言わさない。
「むぅ……じゃ……途中まで。 かたじけない」
そう言って北風さんはまた頭を下げた。
話があると言っておいて、俺は何も喋ることが出来ずにいる。
今日の北風さんはフラフラしてるくせに、牛歩じゃない。……それがなんか悔しかった。
モヤモヤした感情を言葉にするより先に、北風さんが足を止める。
「太田殿……」
もうここでいい、話はなんだ……という内容の事が続くと思ったら、違った。
北風さんは切れ長の大きな目を輝かせながら俺をじっと見つめ、ガッと手を握る。
嬉しさよりも動揺が先に立った……というか、ぶっちゃけ怯んだ。勢いに。
「我は……我はあんなにできた試験は初めてなのだ!」
「そ……」
……んなに手応えがあったの?
聞く前に、捲し立てるように続ける。
とった手をブンブン振りながら。
「いや、点数がどれだけとれたかはわからぬが……やってやった感はあった!! やればできるのかもしれぬ!」
なんだか毒気を抜かれてしまった。
「そうか……良かったね」
結局そんなことしか言えない俺。
聞きたいことは山程あるのに。
でも……余計な事を聞いたりしなくて良かったと思う。
少なくとも聞くのは今じゃない。
北風さんはあんなに頑張ってたのに……水を差すところだった。
「うむ──だから……」
北風さんは急に手を止めると、ぎゅっと握って、また俺を見つめる。
「ありがとう」
それはまだ俺が見たことのない、笑顔。
──噂のことは、彼女には話していないが……不安はあるのだろう。
……いや、ないわけないよな。
手を放した北風さんは、照れ臭そうにはにかんだ。
「ではな、太田殿」
「……北風さん!」
行こうとする北風さんを呼び止めた。
俺は北風さんを何も知らないと思ったけど……知ってる事はある。
真面目で、努力家。
誰よりも早く登校し、下校時は牛歩。
多分、北風さんは──
「前から言おうと思ってたんだけどさ……」
「む?」
北風さんは……
学校が大好きだ。
「殿はないよ……呼び方、変えて? ……もっとこう、友達らしく 」
「……!」
「──じゃあ、また明日」
俺は北風さんがなにかを言うよりも先に身体を半回転させ、足を動かす。
恥ずかしくてもどかしくて……気がつけば走っていた。
家路につく中で、色々なことが過る。
勉強、もっとちゃんと教えてあげよう。
北風さんが留年しそうなら、土下座でもなんでもして先生を説得しよう。
もっと好きになって欲しい。
学校も、俺のことも。
それに……北風さんのことも、もっと知りたい。
大分走った後で、振り返った。
当然そこに北風さんはいないし、家もわからないまま。
(でも、まだそれはいい)
家がどことか主は誰とか……それより先にまず、知れることはもっとある筈だ。
北風さんのこと。