北風さんの主。
俺と北風さんは毎日空き教室で補講を行った。毎日補講を行わなければ間に合わないからである。むしろ、毎日補講をしても間に合わない。
勉強を教える合間にいつも北風さんは沢山喋る。
そのくせ、何故か教室では喋ろうとしない。
なにぶん毎日補講をしているわけだから、俺は完全スルーを既に諦めている。結局不思議に思って彼女に聞いてしまった。
「我は忍の末裔だからな。 忍ぶ必要がある。 残念なことに我の頭は出来がよろしくない。 だから目立たぬ為に黙っていろと言われたのだ。 馬鹿が露呈するから、と」
「え」
「『沈黙は金』というやつだ」
『末裔』なんて漢字では絶対に書けないような北風さんは、『沈黙は金』という部分でとてつもないドヤ顔をしながらそうぬかす。
しかしそれよりも気になることがある。
「黙っていろって……誰から?」
「決まっておろう、我が主からだ」
「えええ……」
我 が 主 。
「じゃあ北風さんは、本当に忍なの?」
「もとより」
北風さんは胸を突き出すようにふんぞり返ってそう言った。
貧 乳。
今関係ない単語が頭を過ったが、それは置いておく。
「我がこの学校に通わせて戴いているのも主の慈悲に過ぎぬ……そうでなければこんな、学費の高い学校に通える訳がない」
なんでかイラッとした。
(……これはあれだ、北風さんが貧乳だからに違いない。よしんば漫画的なラッキースケベが起こったとしても、柔らかな感触など到底望めそうにないからな)
先程過った言葉を関連づけてみた。
俺の好みは巨乳ではないが、学力と同じでないよりあった方がいい。……別に俺がムッツリスケベな訳ではない。乳は男の浪漫なのだ。
北風さんは顔だって特別美少女な訳ではない。
大きな切れ長のつり目。小柄で童顔だけど教室にいる時の様に黙っていて、その目でジロリと睨まれると威圧的ですらある。多分そんなつもりじゃないんだろうが。
だから北風さんは、特別俺の好みなんかじゃない。
特別に好みなんかじゃないが……ちょっとだけ可愛いとは思っていた。
(でもちょっとだけだ。 例えば『クーデレで、俺にだけ心を開く』とかならときめいちゃうかな~、位には好みだったけど……そもそも俺、クーデレ好きだし)
残念ながら北風さんはクーデレではなくただのアホだったが、俺にだけは特別に喋っていたワケで……だからこう『懐いた猫が他の飼い猫だった』みたいな気持ちになったんだと思う。
(それだけのことだが、まあイラッとはするよな)
うん、するな。フツーにする。
「……そんなこと喋っちゃって平気なの? 忍のクセに」
イラッとした理由はわかったが、イラッとしたのがなくなったわけでもなく……少し険のある言い方になってしまった。
北風さんは俺の言葉に気分を害した様で、口を尖らせる。キッとこちらを睨んだ後でぷいっとそっぽをむいてしまった。
(あ、怒った)
ちょっと可愛い怒り方しやがって。
でもまあ……謝っとこう。
そう思って近付くと、北風さんはボソッと一言言った。
「……主が」
「え?」
「主が、友達には言っていいと」
少し低い声でそう言った、北風さんの表情は顔を背けているため見えないが……髪がかけられている左側の、出ている耳が赤い。
ぎゅんってなった。
胸が。
……
……
……いや
この人別にクーデレじゃないし!
ただの変な厨二だし!
しかも馬鹿だし!
だから……そんなんじゃないし!!
(落ち着け、俺……)
数回深呼吸した。
とりあえず、北風さんは拗ねている。多分。
この状況のまま放置してはいけない。
「……友達?」
回り込みながらそう尋ねると、北風さんは真っ赤な顔をさらに真っ赤にして一瞬あわあわした後、口を尖らせた不満気な表情でまた違う方を向く。
俺の心臓もまた、ぎゅんってなる。
「……勝手に友達扱いして、すまぬ」
「いや! 嬉しいよ?!」
無意識にそんな言葉が出た。
即。超速。
(……えー)
まさに『えー』だ。
意味がわからん。
でも北風さんがちょっとビックリした顔をした後、嬉しそうにふへへと笑うとまたぎゅんってなった。
可愛い……
(……いや! 違う違う!! 可愛いけどコレはそう……アレだ! 動物的なヤツだ!!)
つられて笑ってる場合じゃない……
俺は一体、なんで喜んでいるのか。
そしてなにに喜んでいるのか。
北風さんには友達がいない。
北風さんが喋らないから、敬遠されているのだ。黙っているとクールに見えるのも悪く働いている。
そんなときに唯一話相手になった俺が特別扱いになるのは特別なことじゃない。
……なのに。
(大体『友達』って言われたんだぞ……嬉しいか? いやいや! それはつまり男として意識されてないってことじゃないか)
……
……
…………っていうか、
俺は男として意識されたいのか?!
北風さんに!!?
(──あ、詰んだ)
もう言い訳が見つからない。
ごん、と音を立てて俺は机に突っ伏した。
「……大丈夫か? 鈍い音がしたが……」
「……お気遣い痛み入る」
デジャヴ。
ポジション逆だけど。