籠女
僕には妹が居る。
それを知ったのはつい数時間前の事で、昨日まで僕には姉達しかいなかった。どうして僕が妹の事を認知していなかったのか、それは僕が家族愛を欠如した冷血漢だからではない。僕は長姉の事を女性として愛しているし、次姉の事は人間として尊敬している。三姉は、僕にとっては半身のようなものだ。
そんな家族愛に溢れた人間の鑑の様な僕が血を分けた妹の存在を知らなかったのは、全て母親が仕組んだ十数年に及ぶ秘匿によるものだった。
僕が妹の存在を疑問に思う余地が無かったのも、そんな母の弛まぬ努力の賜物だったのだろう。しかし、今更母が秘密にしたかった理由も、当時四歳の僕が成人を迎えた今日まで隠し通した手管も今となっては本人に問いだすことも叶わないが。
僕が二十歳を迎える今年の夏、大学の夏季長期休暇を利用して地元の成人式に参加するために帰郷した時、既に母は行方不明になっていた。年に二、三人は山菜取りのために近所の山で遭難するような田舎ではあるものの、母はそこまで耄碌はしていなかったはずなのに。
姉達は警察や地元の猟友会などに捜索を依頼したらしいが、本人たちはそこまで精力的ではないようで、加えて母の安否を心配している様子も皆無だった。諦め、しかも皆が皆納得した上で、徒労に終わるだろう山狩りの報告を待っている。
僕としては、そんな姉達を薄情に思うことはなかった。それは僕が母を嫌っているなんて単純な理由ではない。なんとなく母は何れ居なくなる。死んでしまうからではなく、朝起きたら急に煙のように消えるんだろうなと、幼少の時分から思っていたからだ。
今になって思えば、それこそ母が隠し切れなかったたった一つの痕跡だったのかもしれない。父は僕が二つの時に死んだと聞いている。妹の存在と母の消失の因果関係があるのかは、姉達なら知っているだろう。だが、それを姉達に直接問いただすつもりは毛頭ない。姉が僕に渡した古めかしい所々錆びついた鍵と妹の存在。帰郷したばかりの僕に母の失踪と妹の存在を話す長姉の表情は暗く、彼女を愛する身としてはこれ以上辛い思いをさせたくはなかった。無論、家の敷居を挟んでお帰りの一言もなく、切り出されたことも多少ショックではあったが、愁いを帯びた長姉の表情はどこか煽情的で僕は仔細を気にする余裕を失ってしまったのだった。
平静さを取り戻した僕個人としては、昨日まで知らなかった肉親に対する親しみ、十六年間の謎、そんなものには一切興味はなかった。なかったが、母が居なくなった途端、これ見よがしに僕に渡した鍵と妹の存在。僕に何を求めているかは計り知れないが、僕としては姉の望む結果を出したいと思う。
成人式は明日だ。成人式に参加したら次の日には大学に戻らなくてはならない。ゼミの合宿で白川郷に行かなくてはならないからだ。だから、妹に会うのは今夜でなくてはならない。成人式で久しぶりに会うだろう級友たちと飲めや歌えやで騒いだ後に、こんな厄介ごとをこなす気になれないから。
長姉の寝所から、健やかな寝息を発てる彼女を起こさないようにそっと起き上がって部屋を出た。携帯で時刻を確認すると既に二十二時を回っていた。家に帰って来たのが午後の十四時頃だったから、八時間ばかり長姉の部屋に居たことになる。
「ふぅ」
なんとなく零れた溜息。気を取り直して、三姉の部屋に寄って懐中電灯を拝借し、離れに向かった。
母屋から離れには廊下がない。間には飛び石が幾つか置いてあり、子供の頃に次姉とけんけんぱをして遊んだ記憶がある。あの時、僕が離れの扉の前まで行くと次姉は決まって、僕の意識が離れに向かないようにしていた。僕自身も離れなんかより、次姉と遊びが本当に楽しかったから、あそこに何があるのかなんて疑問にも思わなかった。
昔のように裸足で飛び石を渡り、離れの入り口を開ける。錠はされていなかった。てっきり長姉が渡してくれた鍵は離れの鍵だとばかり思っていたが、扉はあまりにも容易く開き、僕の二十年間の内で知らない実家の一角へ誘っている。
気構えすることもなく離れに入ると扉のすぐ横の壁に照明のスイッチを見つけた。押してみると天井からぶら下がった裸電球が煌々と部屋を照らす。一応と持参した懐中電灯は不要だったようだ。照らし出されたのは板張りの四角い部屋だった。広さとしてはおおよそ八畳ばかりで壁に沿うように和ダンスが置いてある。入り口の正面に押入れがあって開くと使われなくなって久しいのか黴臭い布団が一式入っている。天井を見上げても先程から僕の影を板に投影する裸電球以外は何もない。
何処に妹が居るのかと、暫し周囲を見渡すと床板が一部欠けている個所を発見した。穴が開いているのかと思ったが、近づいて見やるとそれが明らかに人為的に削られた取っ手だと知れる。試しに穴周辺を足で踏みつけると、そこだけ他よりも板が薄い様だ。膝を着いて、持ち上げてみると床板は簡単に外れて、下には石造りの階段があった。外した床板を取り敢えず脇に退けて、階下を覗く。階下には明かりの類いは皆無のようで裸電球の明かりも途切れてしまい、月並みではあるが無限に続いているのではないかと錯覚する。しかし、僕が感知してなかったとはいえ、家の敷地内からセンター・オブ・ジアースに繋がる階段があるわけがない。無価値にならずに済んだ懐中電灯のスイッチを入れて、僕はペタペタと階下に向かい降り始めた。外の空気は地元の夏らしくジメッとした湿気が漂いながらも時たま、吹く涼やかな風が風鈴を撫でて心地の良い音を奏でていたが、階段も幾つか進んだ地下は地上の湿気とは違う空気だった。ペタペタと踏む石階段も最初こそ冷たく気持ちよく感じていたが、直ぐに無遠慮な冷気が足裏を焼こうとする。冷気は痛みに変わり思わず足を停めてしまうが、立ち止まる方が辛いと気付き、重い足取りで下へ下へと鉛の足を進めた。
実際はどれ程掛かったのか判然としないが、唐突に次の段が無くなり一番下に着いた。懐中電灯で照らすと、階段の幅と同じ位しかない狭い廊下が続いている。廊下の伸びている方角は母屋が建っている方向だ。此処も階段と同じで石造りのためか空気自体がひんやりとしている。
廊下は直ぐに終わり、木製の扉が行く手を阻んでいた。今度こそ鍵の出番かと鍵穴を探すが、ドアノブはあるものの鍵穴は見当たらなかった。試しにとノブを捻ればやはり簡単に開いた。
扉の先はまず土間になっていた。土間の先は一段高くなった框があり、更にその奥は座敷牢になっていた。
座敷牢なんて本物は初めて見たが、畳敷きの座敷を木製の格子で中の人間が逃げられないように閉じ込めている。紛うことなき立派な座敷牢だった。座敷牢の中に何か居るか、懐中電灯の明かりだけでは見通せない。だからこれ以上近づく前にもう少し部屋全体を確かめておきたくなった。すると階段や廊下には無かった照明のスイッチを発見し、軽い気持ちで押してみた。途端に天井から眩い位の光が降り注ぎ、反射的に目を瞑った。大袈裟な表現になってしまったが、此処まで懐中電灯のぼんやりと明かりだけだったので、部屋全体を遍く照らす照明の明かりを過剰に視覚が捉えてしまったのだろう。
一瞬閉じた瞼を開くと、格子に縋り付いて僕を凝視ている少女と目が合った。白い髪に、白い肌、真っ白な顔の上に並んだ切れ長の目、整った鼻立ち、真紅の唇。雪の様な肌とは対照的な唇と同じ真紅の着物を纏った少女、いや、僕の妹が其処に居た。白い髪、あえて白髪と言わないのはそれが老人の艶のない白髪とは違い、寧ろ銀色に近い光沢があって照明に反射していたからだ。その差異はあるが、なるほどこうして見ると姉達に顔立ちが良く似ている。僕好みの顔をしていた。
僕が顎に手を置いてうんうんと頷いている間も、妹は一心不乱に僕を見ている。瞬きもせず射抜くような視線は、読み取れないながらも強い情緒が含まれていることを察することが出来る。
僕は土間から框に上がって、格子を挟んで妹と対面する。妹も僕も格子に額が当たるくらい顔を寄せる。格子が無ければ、そのまま唇を交わしてしまう距離と雰囲気だった。暫し見つめ合っていたが、妹が格子の間から両手を伸ばし、僕の両頬を包み込む。妹の手は指の一つ一つが白くきめ細やかで、僕に触れることで汚れてしまうんじゃないかと心配するくらい無垢だった。掌の感触は柔らかく、それでいてひんやりしていたが、石段の無機質さではなく、あくまで常識的な人の体温の範疇だった。
凄く居心地が好い。人生においてあまり感じたことのない幸福感。長姉と共にする寝台、次姉が作ってくれる朝餉、三姉とのじゃれ合い。僕の人生の幸せな出来事は、七割六分二厘が姉達との触れ合いの中にあったが、これによって僕の人生における幸せの比率は八割九分七厘姉妹たちに寄るものになった。確信があった。妹の存在を粗雑に扱おうとしていた己の短慮を悔い始めていた。
夢見心地で居たが、伸ばされた妹の左手を囲っている格子に小さな鍵穴がついている。目の前に妹がいる以上、長姉が僕に託した鍵がこの座敷牢の錠を開けるものなんだろう。されど、これはどうするべきなんだろうか。鍵は錠の開閉に使うものだ。現状閉まっているものは開ける事しかできない。なら、長姉は僕に妹を此処から連れ出して欲しいのか、それを望んでいるのか。それとも敢えて、妹と触れて尚僕の意思で閉じ込めるべきなのか。
得も言えぬ高揚感で脳髄が蕩けつつある僕には、もうその二つの可能性にしか考えが及ばなかった。思考は蒙昧で、僕は考える事を止めた。
成人式には参加しなかった。それどころか、夏季長期休暇も半分が過ぎて尚、僕は大学に戻っていなかった。この夏が過ぎても、大学に戻れるのか自身の事ながら決め兼ねていた。
実家の朝は早い。朝七時の朝食に合わせて起床し、だらだら過ごすのも嫌なので姉達の家事の手伝いをする。それも大仕事ではないから直ぐに片づけてしまうと、後は長姉の仕事を手伝うか、次姉の買い物に付き合うか、三姉の部屋で読書をしていた。
母は未だに見つかっていない。僕が葬式の準備をするべきかと問うと、姉達は揃ってその時は報せが来るからとだけ答えた。ただ母の部屋は整理されて、母の趣味だった京人形や着物も全て裏庭の焼却炉で処分された。非常に高価な品も含まれていたことは想像に容易いが、姉達は躊躇することなく全てを焼却炉に押し込んで灰にしてしまった。アルバムも私物も何もかも、燃えるものは燃やし、壊せるものは全て壊して捨てた。今や僕らの家には僕らの存在以外の母が存在していた証は一つとして残っていない。
母が居なくなってから長姉は忙しいらしい。以前は母の補佐をしていたが、母が居なくなったから全てをさなくてはならなくなってしまったから。
故に僕もこのまま実家に残るべきなのではないかと考えている。姉達には気にしなくても良いと言われてはいるが、大学に進んだ理由も目的も特になかった僕にはここらが引き際なんだと思える。と、建前を姉達にはのたまっているが、僕が後ろ髪惹かれている理由は当然妹の存在だった。
あの夜に僕は格子戸の鍵を開けた後に、鍵を鍵穴に差し込んだまま圧し折った。だから、今も座敷牢は開いているが、妹はまだ座敷牢の中で僕が訪れるのを待っている。僕のした事、している事に対して姉達は咎めることもしないし、態度を変えることもなかった。
長姉が家を開ける事が増えたのに比例して僕は夜を妹の部屋、座敷牢で過ごす事が多くなっている。妹と会話を交わそうと試みた事は無い。僕が来ると無邪気に微笑む妹の顔を見ていると、姉達が必死に消そうとしている母の残滓を、この天衣無縫の妹から穿り返すのは余りにも惨い事だ。
妹が座敷牢から出ようとしないので、僕が座敷牢の中に入って妹の肩を抱き寄せる。すると最初の夜の如く、意識は安寧の泥に沈み、僕の身体を細く小さい妹の体躯に預け、其の儘微睡んでしまうのが常だった。朝方に身を起こしてみると身体は頗る調子が良く、僕は妹の頭を優しく撫で付けて軽い足取りで地上に戻って行くのだった。
夏季長期休暇が終わりを告げて、大学が再開したが僕は実家に残っていた。友人や教授、大学職員から度々連絡が来たが応えるのは煩わしく、ついつい僕は携帯の電源を切って座敷牢に隠れるようになっていた。最近では食事を摂るのも面倒で、座敷牢にて転寝をして腹が空かないよう過ごしているが、面妖な事に此処にいると腹も空かず、喉も乾かず、尿意すら覚えない。おまけに風呂に入らずとも身体が痒くならないので、風呂嫌いの僕としては嬉しい限りである。
しかし、妹に抱かれた際に催す眠気には抗うことが出来ず、結果的に寝てばかりいるわけだが。
ふと思い立ち、座敷牢を出て、離れへの階段を上り、地上に戻って来た。離れの扉を開けると、庭は赤と黄色の落ち葉で覆われていた。母屋の縁側に三姉が居たので、日付を問うと十一月七日と答える。記憶では最後に座敷牢に降りたのは七夕の日だった。すると僕は三月ばかり座敷牢で過ごしていたことになる。
縁側で話していると次姉が気づいて、僕のために食事を用意してくれた。体感としては昨日食べたばかりだが、時間としては三か月ぶりになる食事は、やはり次姉が作ってくれたというだけで美味いので、これを三か月も食べられる環境に居ながら食べなかったのは人生を損した気分になった。次姉に座敷牢に食事を持ってきてくれないかと頼んだが、次姉は顔を顰めて、僕に食事はきちんと食卓を囲んでするものだと窘めた。昔から躾けには厳しかった次姉の言葉を受けて、納得した僕はその日から食事は姉達と食べることにした。
幾ら僕が鈍感な人間だとしても、半年も母屋と座敷牢を往復する生活を続けていれば、妹や座敷牢自体が異常な事は自覚していた。だからと言っても、それに対して恐怖や不気味さを感じる事は無い。ただ最近になって、姉達が意図して座敷牢に近づく事を忌避しているのに気付いた。直接問いただした訳ではないが、不自然にならぬ様に皆振る舞っていた。けれど、僕が座敷牢に足繁く通う様を見ても、やはり咎める事もしないのだ。
先日、次姉に頼んで退学する旨を大学に連絡してもらった。今更大学に戻る気にはなれず、あの自堕落な生活を懐かしく思いながらも僕は縁を切った。借りていたマンションの家具は長姉が業者を手配してくれるというので、僕は大学のある街にそれ以降一度も戻らずに済んだ。
学生という身分故に、大手を振って遊び惚けても許容されていたが、僕も晴れて無職のプー太郎に成り下がった。年金も払わなくてはならないし、働き口と考えてすぐに長姉の手伝いを本格的に行うことにした。朝起きて、姉達の食事を済ませて、長姉と一緒に仕事に向かい、夕方には一緒に帰宅する。半年前には帰宅も儘ならなかった長姉も、現在では毎日帰ってこれるくらいには余裕を持って働けていた。平日は毎日を複写したように過ごし、週末の休みは座敷牢で過ごす。時間の感覚があやふやになるので、携帯の電源は付けている。月曜日の朝は何度体験しても名残惜しい気持ちで、座敷牢を後にする。
或る日、叔父さんが訪ねて来た。その日は示し合わせた様に母屋には僕しか居なかった。姉達は各々の用事で家を空けていたし、僕も叔父さんの来訪があと五分も遅ければ座敷牢に降っているところだった。
叔父さんが訪ねて来た理由は、僕にお礼を述べるために来たとの事だった。僕には叔父さんから礼を言われる理由に心当たりがなかったので、叔父さんに聞き返す。
「そうかぁ、果子姉さんが山に帰参しても、まだ薫子ちゃん達は話していないのか」
叔父さんは姉達が僕に事情を話していない事に驚いていたが、思案して大事な事だからと僕に話し始めた。
叔父曰く、僕が帰郷したあの夏、僕が戻る十日も前に母は行方不明になっていたそうだ。すぐに一族が集まったのだが、それは母を捜索するためではなく、妹の処遇について話し合うためだったそうだ。叔父さんが言うには妹の存在は家だけではなく、一族末端までに関わる大切な存在らしい。
「誰かが『籠女』の世話をしないといけないんだ。これまでは果子姉さんがしていたが、姉さんが帰参したからには誰かが継がなくてはならなかった。誰がその役目を継ぐか揉めに揉めたんだよ、下手すれば一族郎党が路頭に迷いかねない事案だからね。だけど、薫子ちゃんが、帰郷する成彦君に一任するって宣言したから。僕らも立候補する度胸も無かったから、不安に思いながらも解散したんだよ。でも、よくよく考えてみれば、成彦君が選ばれたのは妥当だったんだよ。果子姉さんはそのために十何年もキミに『籠女』の存在を隠してたんだから」
叔父さんの話は僕が大学で専攻していた民俗学に出てきそうな、よくある民間伝承の類いに似ていた。叔父さんの話を古臭い伝承と莫迦にするつもりは僕にはなかった。その手の話の殆どは物語染みた脚色がされているが、何割かは真実が含まれていると思っているからだ。その真実が真に、非現実的なものだとも言えないが、思い違いや勘違いだけではないだろう。
「『籠女』は囲って閉じ込めないといけないんだ。そうしないとすぐに山に帰ってしまうからね」
叔父さんは最後に玄関で深々と頭を下げて帰って行った。
叔父さんが門の前に停めていた車に乗り込もうとしていた時に、長姉が帰宅した。二、三言葉を交わすと叔父さんの車は去って行った。
僕は門口まで出て行って、敷居を挟んだ長姉にお帰りの言葉を言わずに質問していた。叔父さんの言うことが正しいなら、妹がなぜ、今でも山に帰らないのか。
姉は簡潔に答えてくれた。
「叔父様は知らないみたいだけど、『籠女』は囲われるからじゃないの。気に入ったのを囲うから『籠女』なの」
幾許か時間が経った。僕は今も実家に残っている。姉達の子供達が大人になっても、僕は座敷牢と地上の往復を続けていた。長姉が死んだ折に母屋を建て直すことになったが、家主になった甥っ子は僕の部屋も用意してくれた。前に会った時は中学生になったばかりだったのに、見た目は僕よりも年上になった甥っ子に礼を述べるが、甥っ子は申し訳なさそうに首を振るだけだった。二十歳の頃から変わらぬ僕の姿に後年の姉達と同様に彼もまた、僕に対して後ろめたい気持ちを抱いているのは理解しているが、それは僕からしても申し訳ないばかりだ。切っ掛けはどうであれ、僕は自分の意志で選択したと思いたいからだ。
既に明かり無しでも軽快な足取りで進める石階段を降り、座敷牢に戻る。此処にはやはり僕以外は誰も近づこうとしない。姉達が甥っ子や姪っ子にしたように、子供たちにもそう躾けているからだろう。
妹と過ごす時間は最初の夏と変わらない肌を重ねているだけで、無為に時間が流れていく。
次に目を覚ました時、僕が知っている、僕を知っている人間は居るんだろうかと漠然とした不安を抱えたまま、僕は瞼を閉じた。
どの道僕には妹が居るから、永遠に忘れも、忘れられもしないんだろうが。