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ファンタズム物語

【外伝】~夢の続き~(追放された重装騎士、実は魔力量ゼロの賢者だった~そのゼロは無限大~)

本編で要望を受けて外伝を書いてみました。

外伝からはじめてお読みになる方、面白いと感じたら本編も読んでいただけると嬉しいです。

 精霊の樹海――空を覆うほど枝葉が伸び、高く聳え立つ巨木が辺りに立ち並び、全身で感じられるほどのマナで満たされた精霊の住まう場所。


 その最奥に精霊王が住まう、圧倒的な存在感を漂わせる世界樹がある。


 そこは、精霊王へ安寧の祈願のために、ダークエルフの中でフォルティーウッドのとある一族だけが、年に一度だけ訪れることを許されている場所。


 今日が丁度その日であり、フォルティーウッドのシュタウフェルン家がその場所を訪れていた。


 そこには、直径一〇〇メートルほどの幹をした並はずれて太く巨大な世界樹が聳え立っており、遠く離れているにも拘らず、訪れた者の視界を圧倒する。 

 その手前には、世界樹の幹と同じほどの幅の広大な湖に映しだされた月の形が、風によって歪められ儚い光を反射していた。

 そして、その湖畔を幾千、幾万本ものユキノカンザシが青白く発光し幻想的な風景を演出してた。


 その幻想的な風景のン中、ダークエルフの褐色の肌をより艶やかに引き立たせる紫色の祭服に身を包んだアメリアが、精霊王に祈りを捧げている最中であった。


 その祈りは数時間にも及び、その祈りの間は跪いた姿勢のまま微動だにせず、両手を前で組み祈りの言葉を捧げ続ける。


 褐色の額には汗が滲み、白銀の髪が湿り月の光を受けて輝いていた。


 この祈りは、単なる言葉を並べただけのものではなく、マナを込めた呪文であり、魔法の一種である。


 これは、自分の魔力を少しずつ体外へ放出し、精霊王へ貢物のとして捧げる儀式魔法で、シュタウフェルン家の巫女に代々引き継がれてきた魔法なのである。


「――。そして、あまねくエルフの民に安寧のときを与えたまえ」


 アメリアがそう言い終えると同時に、今まで光を放っていたユキノカンザシの光が、ふっと失われ辺りが闇に包まれた。


 そして、その闇に吸い込まれるようにアメリアの身体が傾いで、その場に倒れ込む様子が儚い月の光によって辛うじてわかった。


「ママあああー!」

「待つんだ、エルサっ!」


 アメリアが祈りを捧げている最中、彼女と同じようにシュタウフェルン家のダークエルフたちは、直立姿勢のままで見守っていたのだが、母親が倒れるの見た少女が駆けだそうとして、できなかった。


「パパ、離してっ! ママが、ママが!」


 父親に抱きかかえられ身体の自由を奪われても、エルサと呼ばれた少女は必死にそう訴えもがいた。


「エルサ、大丈夫だから。ほら、見てみな」


 父親に優しく宥められ、エルサはアメリアの方を見た。


 光を落としていたユキノカンザシが再び青白く発光し、その光の波がアメリアへと迫った。

 その光の波がアメリアに到達すると、今度はアメリアの全身を覆い、より強い輝きを放ち、マナの風が吹き荒れた。


「うわあああ……きれい」


 そして、それはエルサを幸せな気分にさせた。


「あれ?」


 そこでエルサは、違和感に気が付いた。

 エルサは、その感覚に身に覚えがあったが……。


 でも、思い出せなかった。


 エルサが不思議な感覚に疑問を感じていたら、アメリアがしっかりとした足取りで近付いて来た。


「大丈夫か? アメリア」

「いつものことです。問題ないですよ、ベルンハルト」


 アメリアが倒れ込むのことは毎度のことであったが、ベルンハルトは身を案じるようにアメリアに声を掛けた。

 それに微笑みながら返して、心配はなさそうだった。


「それよりも、どうしたんですか?」


 ベルンハルトに抱えられているエルサを見たアメリアが、小首を傾げて尋ねた。


「ああ、アメリアが倒れるのを見たエルサが駆けだそうとしたから捕獲した」

「あら、そうでしたの。エルサ、ママのこと、心配してくれたの?」

 

 ベルンハルトから理由を聞いたアメリアは、もう一歩近づき自分の娘であるエルサの顔を覗き込む。


「うん、だっていきなり倒れちゃうんだもん」

「大丈夫よ。一時的に精霊王様に魔力を預けて、エルフの覚悟を示すものなのよ。だから、最後はああやって、捧げた以上の魔力を返してくれて、エルフの民の安寧を約束してくれるものなのよ」

「変なのー。返してくれるならあんな意地悪しなくてもいいのに」


 さっきの出来事を説明したアメリアの話を聞いたエルサは、五歳の子供らしく率直な意見を言った。


 エルフ族は、一般的に長寿で中にはハイエルフと言う種族が、千年ほど生きるとさえ言われているが、それは稀で、ふつうのエルフの平均寿命は二〇〇歳と言われている。

 そのため、四〇歳前後で成人とされており、エルサはまだまだ幼かった。


 だからか、そのエルサの発言を聞いた大人のダークエルフたちは愉快そうに大笑いした。


「エルサには少しばかし難しい話だったな」


 そう言って、ベルンハルトはエルサの頭を撫で、そのまま上に持ち上げて肩車をしてあげた。


「わー高い。ありがとう、パパ」


 エルサは無邪気に笑いながら、ベルンハルトの肩先まで伸ばした白銀の髪にしがみ付いた。


「それでは帰ろうか、俺たちの里へ」


 この儀式は、一方的なやり取りで精霊王と言葉を交わすことは無い。


 どういう取り決めの元行われているかは、現在では不明で、ただ単にシュタウフェルン家に古より言い伝えられている儀式なのである。


 一般的に魔法とは、呪文を唱え体内の魔力を消費することで、色々な現象を引き起こすことができる手段であり、今回の呪文は、体内の魔力をそのまま放出するだけで、具体的な何かを引き起こす魔法ではなかった。


 放出された魔法が、湖畔に生えているユキノカンザシを媒体として世界樹へと送られる、精霊王はその代わりに濃密なマナを放出し返す。


 それで終わりなのである。


 マナは、魔力の源でもある魔素と言い換えられる。

 ここファンタズムに住む生物は、その魔素を取り込み魔力を生成する器官を必ず持っている。


 本来、魔力を失って倒れたアメリアがこんなにも早く回復することはできないのだが、それは精霊王の力によるものだろう。


 魔力は、未だ解明されていない身体の神秘であり、この先解明されるときが来るのかは何とも言えない。


 ただ、扱う者によって無限の可能性があることだけは確かである。



―――――― 



 やがてときが経ち、五年の歳月が流れた。

 エルサが一〇歳になるこの年に、エルサの人生を狂わす事件が発生した。


「おーい、そろそろ戻るぞー。みんな集まるんだ」


 エルフは一〇歳を過ぎると弓の扱いの訓練をはじめる。

 今日は、一〇歳から二〇歳までの子供を集めての訓練を行っていた。


 大分年齢の幅があるかもしれないが、出生率の低いエルフ族ではそうでもしないと人数が集まらないのである。


「よし、集まったわね」


 掛け声によって集まってきた二〇人ほどの子供たちを確認しながら、担当教官であるカロリーナがそう言ったが一人足りなかった。


「カロリーナ教官、エルサがいません」

「なっ、はあ……またか……」


 エルサがいないことに気が付いた誰かの指摘を聞いて、カロリーナはため息をついた。

 そして、アップしていた白銀の髪が乱れるのを気にせずわしゃわしゃっとかき乱し、カロリーナは悪態をついた。


「ああ、もうっ! 毎度毎度エルサは何を考えているのよー。アメリア様の娘とは思えないわ」


 各里の族長衆とは別の括りでダークエルフの頂点に立つ巫女であるアメリアは、所作が優雅な上、お淑やかな性格であることから格別の人気を誇っていた。

 いわゆる憧れの(ダークエルフ)、ナンバーワンであった。

 だが、その娘であるエルサは、お転婆で有名だったのである。


 その年齢とは思えないほどの高い身体能力を備えており、魔法の扱いにも長けているため、「さすがは族長と巫女様の娘だ」とみなから期待をされていたのだが、悪戯好きで大人のダークエルフたちの手をよく焼かせていた。


「えへへ、カロリーナ教官ったら可笑しー。あーんなに目を吊り上げたらオーガになっちゃうよー」


 エルサは、少し離れた木に登って身を潜めており、その幹の陰からその様子を楽しそうに観察していた。


「今日はどーしよーかなー」


 エルサは、単純に隠れるだけでは面白くないと思い、カロリーナを困らせる算段をはじめる。


 エルサがいくら恵まれた能力を持っているからとは言え、所詮子供基準であって、ひとたび姿を見られてしまえば、圧倒的にカロリーナの方が有利である。


 エルサが身体を幹に隠しながら、顔だけ出して覗き込もうとしたとき。


「ひっ! な、なんで……」


 エルサが身を隠していた幹目がけて弓矢が放たれ、見事命中したのだった。


「見つけた!」


 その突き刺さった矢をまじまじと見つめるようにエルサが身を乗り出したものだから、あっさりとカロリーナに発見されてしまった。


「今日という今日は許しませんよ」


 エルサが慌てて逃げ出すも、身体強化だけではなく風魔法により速度強化を施したカロリーナに、呆気なく捕まってしまった。


「はうー、なんでわかったの?」


 カロリーナに引きずられるようにされながら連れ戻されるエルサは、見つかったことに納得がいかないようだった。


「精霊が教えてくれた」

「えー、そんなのずるいよー」

「ずるくない。エルサももう少し真面目に訓練をすればできるようになる」

「えっ、本当!」

「え? あ、ああ、本当だとも」


 あっさり捕まったことで不満たらたらだったエルサの様変わりに、カロリーナは苦笑いしてそう言うしかなかった。


「そっかー。じゃあ、わたしも訓練するー」

「む……」


 そんなカロリーナの表情に気が付くことも無く、あっさりと大人しくなったエルサの反応に、カロリーナは言葉を詰まらせた。

 

 ダークエルフに限らず、エルフ族はヒューマンや亜人たちとは違い、精霊の声を聴くことができる。

「声」と言っても、それは会話ではなくマナに因る導きに近い。

 ただ、それには訓練を積み大気中のマナを感じ取る必要がある。


 エルサのことだからあっさりと精霊の声を聴けるようになると思ったカロリーナであったが、そのせいで悪戯の精度が上がったらどうしよう、とも不安になる。


「その話はあとよ。もうすぐ日が暮れるから里に戻るわよ」

「はーい」


 カロリーナが先頭に立ち、ダークエルフの子供たちは、自分たちが住む里であるフォルティーウッドへ戻っていった。


 そのときはまだ、これから起きる惨劇を予測できる訳もなく、エルサの足取りは軽かった。



――――――



 訓練場から里に向けて歩き出すこと三〇分が過ぎ、エルサたちはもう少しで到着する距離までやって来た。


 すると、数人の男たちが大声で叫びながら走ってきた。


「おーい、引き返すんだ!」

「おいおい、そんなに息を切らしてどうしたのよ」


 その男たちにカロリーナがそう声を掛けた。


「魔獣たちが襲ってきたんだ!」

「何! それは本当なの、イルツンク!」


 魔獣たちが襲ってきたという話を聞いて、子供たちは騒然となった。


「ああ、それで俺たちは子供たちを避難させるためにやって来たんだ」

「避難ってそんなに数がいるの? 魔獣といってもフォレストウルフやオークぐらいなら里の戦士たちだけで問題ないでしょ」


 魔獣が里を襲ってくることは日常茶飯事でそれほど珍しくもない。

 だから、カロリーナは、かなり慌てた様子のイルツンクに確認も含めて聞いた。


「ち、違うんだ! ウッドエルフの奴らがハンドレッドセンティピードを連れてきやがったんだよ! もう、防壁も破られて他の戦士たちが女子供を逃がす時間を稼いでいる。族長と巫女様も応戦中だ」

「ちょっ、エルサ!」


 両親が戦っていると聞いたエルサはいてもたってもいられず、駈け出した。


「カロリーナ!」

「私はエルサを連れ戻してくる。イルツンクたちは子供たちを安全な場所へ!」


 カロリーナが急いでエルサのあとを追う。


「エルサっ、待ちなさい!」


 カロリーナが自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、エルサは気にせず加速する。

 本来であれば、いくら加速したところでカロリーナに捕まるのは時間の問題だったのだが、今回はそうはならなかった。


 後ろでカロリーナが必死で叫んでいるようだったけど、その声はどんどん小さくなり、やがて聞こえなくなった。


 両親の危機を知ったことで今のエルサは、火事場の馬鹿力のような信じられない速度で木々をすり抜けるように駆けていた。

 藪の葉や小枝が当たり、エルサの褐色の腕や足に小さな傷ができ血が滲んでいるのもお構いなしだった。


「パパ、ママ……無事でいて」


 エルサがその場所に駆け付けたからと言って何かをできる訳では無い。


 ハンドレッドセンティピード――上級魔獣に分類される昆虫型魔獣で、見た目は数百本の手足が生えた全長二、三〇メートルほどの巨大なムカデ。

 普段は大人しいのだが、興奮状態になると狂暴さが増す。

 また、雑食であるが動物の肉を好むため、マンイーターに次ぐ凶悪な魔獣とされている。


 その魔獣が里で暴れていると聞いて、ただただ、エルサは両親の安否が心配でたまらなくなったのだ。

 エルサは、感情のままに先を急ぐ。


 里に近付くにつれて、悲鳴や怒号といいた戦闘音がエルサの耳にも届いた。


「もう少し……」


 するとエルサは、木に登りはじめた。

 二〇メートルほど登ると、そのまま隣の木へと飛び移り、更に里の方へと接近する。


 エルサは、気が急っている割に今日教わったばかりのことを実践しようとしていた。

 先ずは、高いところから敵を観察し、すきを窺う。

 子供なのに無意識に最善の行動を取れるのは、やはり期待されるだけの才能があるのだろう。


 エルサは、里の防壁近くまで来て、やっとそこで足を止めた。


「あんなに大きいなんて!」


 里の入口から少し先に行った場所で、全てを薙ぎ倒すように暴れ狂っているハンドレッドセンティピードの巨体を目の当たりにして、エルサは驚愕する。


 注意すべき魔獣として、昔から特徴を聞いてはいたが、話で聞くのと実際に己の目で見るのとではあまりにも違いがあった。


 里の中で暴れまわっているハンドレッドセンティピードは、少なくとも四〇メートルは有りそうだった。

 その黒く光る巨体を真っ赤な足で器用に支えながら、応戦するダークエルフの戦士たちの攻撃を躱したり、攻撃魔法が当たるのもお構いなしに体当たりを繰り返していた。


 里の木々は倒れ、火魔法が引火したのか、いたるところから火の手が上がっている。


「た、確か火魔法が効果的なのよね。でも……」


 ハンドレッドセンティピードの弱点を思い出すも、火魔法をあまり派手に撃ちすぎても延焼の恐れがあるため、エルサは逡巡した。


 実際、その火魔法のせいで戦闘区域の家々や木々は、燃え盛っていた。


「サンダーレイン!」

「今だー、今のうちに足の数を減らすんだあああー!」


 遠くの方から、アメリアが電撃魔法を唱え、その効果で麻痺して硬直したのを確認したベルンハルトが攻撃の指示を飛ばす声が聞こえてきた。


「ママ! パパ!」


 エルサは、二人の無事を確認して嬉しくなった。

 エルサも何かしなくてはと思ったが、ハンドレッドセンティピードにダークエルフの戦士たちが群がっているのを見て止めた。


 ただ、ダークエルフは、近接戦闘が得意ではない。

 更に動きを止めるために不慣れな剣を持ち、足を狙って切り込むも、固い外皮に阻まれほとんどの戦士が苦労しているように見えた。


「ああ、危ない!」


 電撃魔法の痺れ効果が解け、足元に群がる戦士たちを鬱陶しそうにハンドレッドセンティピードが反撃を開始した。


 ある者は鋭利なその足で踏み抜かれ、ある者は鋭い牙の餌食になった。

 噛みつかれたダークエルフはそのまま噛み砕かれ、グシャモキャっと食べられてしまった。


 そのあまりの悲惨な光景にエルサは、目を瞑った。


 そのあとも激しい攻防が続いたが、一向にハンドレッドセンティピードが倒れる気配はなかった。

 むしろ、ダークエルフたちの方が魔力が尽き、応戦できなくなっていった。

 エルサを追って里に向かっていたカロリーナも戦闘に加わっていたが、一人増えた位で戦局を左右するには及ばなかった。


「ああ、どうしよー」


 エルサは眼下に広がる惨状を見ながらも木の上で慌てふためく。


 どうしようも何もエルサにできることは何もない。

 それでも、両親や里の者のことが気がかりで、ずっとその場から動けずにいた。


 ハンドレッドセンティピードが思い切り暴れるものだから、倒れた木々や倒壊した建物の下敷きになってしまった者たちの救助が思うように進まず、ダークエルフの戦士たちも逃げるに逃げれないのであった。


 そして、悲劇が起きた。


 前衛の兵士が減ってしまったせいで、魔法の準備をしているアメリアが無防備となり、ハンドレッドセンティピードが呪文詠唱をしているアメリアを視界に捉え、次の攻撃目標に定め前進しはじめた。


「アメリアあああー!」


 その行動に気が付いたベルンハルトであったが、距離が離れていたせいで間に合わなかった。

 そして、詠唱に集中していたアメリアも反応が遅れ、回避行動を取ることさえできなった。


 ハンドレッドセンティピードの体当たりをまともに受けたアメリアは、数十メートル吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるように数度バウンドし、ピクリとも動かなくなった。


「ママあああー!」


 それを目の当たりにしたエルサが、アメリアの元へ急ぐ。


「おい! しかっりしろっ、アメリア!」


 エルサがアメリアの元にたどり着いたときには、ベルンハルトがアメリアを抱え込み必死に名を呼んでいたが、反応が無いようだった。


 アメリアの四肢は、有り得ない方向に折れ曲がっており、口から吐血している。

 青みがかった白銀の瞳には、生気がなくうつろ気だった。


 その姿を見てエルサは茫然としながらもアメリアを呼んだ。


「ま、ママ……?」

「なっ、エルサ! 何でお前がここにいるんだ!」


 そのエルサの呟きとも取れる小さな声に気付いたベルンハルトが叫ぶ。

 その余りの形相にエルサはたじろいでしまう。


「ああー、くそ! どうして来たんだ!」


 いつも優しく快活に笑う父の姿はそこにはなかった。

 エルサは、はじめて見るベルンハルトの様子に怖くなり、今の状況を完全に忘れてしまっていた。


「エルサっ、そっちはだめだ!」


 ベルンハルトの制止の言葉を無視して、エルサはその場から走り去ろうとした。


 が、


 ハンドレッドセンティピードが美味しそうな子供を見逃す訳もなく、エルサの方へ向かう。


 ハンドレッドセンティピードがエルサの数メートに迫ってようやくその存在に気が付いたエルサだったが、何者かに覆い被さられたと思ったら、その直ぐあとに衝撃が襲ってそのまま気を失ってしまった。



――――――



 エルサが住んでいた里、フォルティーウッドがハンドレッドセンティピードに襲われたあの日から数年が過ぎていた。


 修練場から鉄と鉄が打ち合うような音がする。


 そこがヒューマン等の種族の修練場であればふつうのことかもしれないが、ここはダークエルフの里である。

 エルフ族は、魔法や弓を好む種族で、ふつうはこのような音をさせる物を使用した訓練はしない。


 短剣を使うこともあるが、それはもっぱら狩で仕留めた魔獣や動物を解体するときくらいだろう。


 しかし、その短剣を使用した訓練が行われていた。


「こっちよ」

「はっ!」

「次はこっち」

「えいっ!」


 カロリーナがゆっくり短剣を振るい、エルサがそれを防御するように払っていた。

 それは、短剣の型稽古だった。


「はい、こんなもんでしょ」

「ありがとうございました」

「少し休憩したらフリースタイルね」

「はい」


 エルサが木陰に腰を下ろすと、カロリーナが水袋を持って来て手渡してくれた。


「あ、ありがとうございます」

「もう順手の型は問題ないわね。でも、慣れのせいで少し角度が甘いわよ」

「はい、すみません。気を付けます」


 エルサがこの訓練をはじめて既に二年が経っていた。


 ハンドレッドセンティピードの攻撃を受けて気を失ったエルサは、一週間目を覚まさなかった。

 本来であれば、子供のエルサがまともに攻撃を受けていたら命は無かった。


 それが気を失う程度で済んだ理由。

 父であるベルンハルトが身を挺して守ったからであった。


 フォルティーウッドの象徴である巫女のアメリアとその族長であるベルンハルトが瀕死の重傷を負い、そしてその娘であるエルサまで気を失ったことで、救出作業が終わるまで粘っていたフォルティーウッドの戦士たちは、救出作業を中止しその三人を優先した。


 アメリアとベルンハルトは治癒魔法により一命をとりとめたが、損傷が激しかったアメリアは、自身で歩くことができなくなり、ベルンハルトは左腕が上がらなくなってしまった。


 目を覚ましたエルサは、両親が生き残ったことを喜んだが、後日たまたま外を歩いていたら、立ち話をしていた戦士の会話が聞こえてきて「取り残された数十名のダークエルフが犠牲となった」ことを知った。


「わたしがあの場に行ったからパパが……わたしたちを助けるために民が……」


 エルサは、自分の行動を後悔した。


 ベルンハルトが大けがを負った理由は、エルサを庇ったせいだったが、ハンドレッドセンティピード相手では、それは時間の問題だった。

 むしろ、取り残された者を救うために、戦士たちも含めて全滅していた可能性だってあった。


 フォルティーウッドの戦士たちは、ダークエルフの選ばれし誇り高き戦士階級であり、そのモットーは「仲間を誰一人見捨てない」であった。

 しかし、そのときばかりはベルンハルトから叱責を受けることを覚悟して、苦渋の決断をしたのだ。


 そのこともエルサを打ちのめした。


「戦士の誓いを破らせてしまった」と……。


 その日からエルサは、何かにとりつかれたように、ひたすら訓練に時間を費やした。

 その理由は単純で、里のみんなを守れるだけの強さをエルサは身につけたかったのだ。


 エルサの一族は、ダークエルフを代表する巫女を輩出する氏族であり、その父であるベルンハルトは、フォルティーウッドの族長でもある。

 エルサはその一族に名を連ねる者の責務として、自分が強くならなければと決心した。


 あの日の出来事はなにもエルサのせいでは無いのだが、エルサは自分があの場で何もできなかったことに負い目を感じていたのである。


 それからというもの、魔法や弓の訓練はもちろんのこと短剣の訓練まで行い、エルサは日夜訓練に励んでいるのである。


 誰もエルサのことを責めておらず、周りからはやりすぎだという声も当然上がっていたが、ベルンハルトは、エルサの好きなようにさせてやれと、カロリーナに個人的な指導を依頼してサポートしていた。


「それにしても段々アメリア様に似てきたわね」

「そうですか? ありがとうございます」


 白銀の髪は、ダークエルフでは一般的なのだが、輝きが違うのだ。

 今は、戦闘訓練のために肩先で綺麗に切り揃えているが、艶が良く陽の光を反射し輝く海面のようにきらきらとしている。

 瞳の色も青みがかった銀色で、小さいが筋が通った鼻に、ちょこんとした可愛らしい唇は、アメリアと全く一緒だった。


「でも、そこは違うのね……」


 カロリーナは、そう言って自分の胸に両手を当てて確かめるが、そこにはあるべきものが無く勝手に撃沈された。

 エルフ族は、全体的にスリムで比較的控えめな身体つきをしているため、カロリーナが特別無い訳では無いのだが、年齢の割に自己主張が凄いエルサのそれと比べてしまい、やるせない気持ちになったのだろう。


 ふつうのエルフはそんなことは気にしないが、カロリーナは長い人生の中でヒューマンの国で冒険者をしていたことがあり、そのことが気になる口なのかもしれない。


 しかし、エルサはそれを気にも留めず、カロリーナに別の話題を振る。 

 

「ねえ、師匠」


 エルサは、ある日を境にカロリーナのことを師匠と呼ぶようになった。

 はじめてそう呼ばれたとき、思わず吹き出して大笑いをしたカロリーナだが、エルサは至って真剣だった。


 エルサは丁寧な言葉遣いをするようになり、悪戯をすることも無くなった。

 そのことを何か企んでいると訝しんでいたカロリーナであったが、そう呼ばれてエルサなりのケジメなのだろうと理解した。


 だから、そう呼ばれることに慣れていたカロリーナは、いつものように聞き返す。

 

「何かしら?」

「精霊の樹海から移住するって本当なのですか?」

「あーあれね……。それはどこで聞いたの?」

「里のみんなが至る所で話してますよ。それに、パパとママがそのことで喧嘩しているのを聞いてしまいました……」


 消えて無くなってしまいそうなどこか儚げな表情のエルサ。

 

「まあ、それなら隠しても仕方ないわね」

「それじゃあ、本当なんですね……」

「何? エルサはここに残りたいの?」

「いえ、いや、はい……」

「何よ、はっきりしないわね」


 あの日から笑うことがめっきり減ったエルサだったが、今日はいつもより様子がおかしい。


「気になっていることがあるなら話してみなさい。そんな様子だと訓練は続けられないわよ」

「それは困ります。わたしはもっと強くならないといけないんです」


 訓練中止と言われたエルサは、必死にそう訴え、カロリーナは、数時間の訓練を削ったところで大差ないのになと、ため息をつく。


「それならちゃんと理由を話しなさい」

「そ、それは……」


 それほど言いたくないことなのか、エルサは黙り込んでしまう。

 カロリーナは、何も言わずエルサ自ら説明してくれるのを待った。


 数分、あるいは数十分経っていたかもしれない。

 どれほど沈黙が続いたかはわからない。


「聞いてしまったんです……」

「うん……」


 唐突にエルサが説明をはじめて、また口を閉ざしてしまった。

 カロリーナは優しく相槌をするにとどめる。


「わたしは、みんなと一緒に行けないんです。……パパは連れて行くと言っていたのですが、ママが……ママはわたしをここに置いていくって……」

「うん……」


 カロリーナは、再び相槌を打つのみで何も言わない。


「わたしはいらない子なんです。今まで悪戯ばかりして悪い子な上に、弱いから……」


 エルサは、そのやり取りを聞いて、その続きを聞く勇気がなく家を飛び出していた。

 だから、肝心な内容を聞けないでいた。


「うーん、困った困った」


 カロリーナは、そう言いながらも笑っていた。


「し、師匠?」


 エルサは、真面目な話をしているのに笑われたことで傷ついた。

 しかし、それは完全な思い違いだった。


「あー、ごめんごめん。そうじゃないんだよ。エルサが勘違いしているようだったから、それが可笑しくってね」


 そう言いながらカロリーナは、目尻を拭っていた。

 涙が出るほど可笑しかったらしい。


「勘違い、ですか?」

「そうだよ。勘違いだ。どうやら私はその勘違いを訂正できるようなんだけど、どうだい、聞く?」


 勿体ぶるカロリーナの言いように少し焦れたエルサは、直ぐに頷いた。


「よし、いいだろう。真相はこうよ。毎年シュタウフェルン家といよりアメリア様が世界樹で行っている安寧の儀式にエルサも同行しているわよね?」

「はい」


 五歳になってから毎年エルサは同行していた、ハンドレッドセンティピードの襲撃を受けるまでは。


「あのムカデ野郎に襲われた年はどうだった?」

「はい、例年通り安寧の儀式を行いました」

「うん、そういうことよ」

「どういうことでしょうか?」

「ん、わからない? 襲撃を受けたのは、安寧の儀式を行った数日後だったよね。もしかして儀式は失敗したのかな?」

「あ!」


 カロリーナからそう言われて、エルサは気付いた。


「理解できたみたいね。要は精霊王様は魔獣の襲撃から私たちを守ってくれないってこと。多少の魔獣は十分対処できるし、あれくらいは訓練にも丁度いいから守ってもらう必要は無いんだけど、流石にあの上級魔獣は試練だとしてもやりすぎよ」

「つまりは、あの儀式は無駄だと仰るのですか?」

「いやいや、そこまでは言わないわ。あの儀式があるおかげでアメリア様は年々魔力が増して、里の繁栄に尽力下さっていたからね」


 エルサは、完全に無駄ではないことを聞いて少し安心したが、釈然としない。


「それで、そのことと精霊の樹海を離れることは、どう関係するのですか?」

「私たちダークエルフがウッドエルフたちとあまり仲が良くないのは知っているよね?」

「はい、仲良くないというよりお互いあまり干渉しないと聞いていますが」


 エルサは、自分が聞いて知っていることを話した。


「まあ、そうだね。ウッドエルフたちには王がいて、複数の里がその王に忠誠を誓っていて、ヒューマンたちみたいな国を築いているのよ。その反対に私たちダークエルフには特定の王はいないでしょ?」

「はい、あくまで里単体です。まあ、ママだけは他の里からも尊敬されているようですが」

「それはアメリア様が巫女だからよ。安寧の儀式を行えるというか、精霊王様とコンタクト取れるのはアメリア様だけだからね。さしずめ、ダークエルフの女王みたいなもんかしらね」


 ダークエルフは複数の里があるが、それぞれ離れて生活している。

 交流は少なく、交流の場と言ったら各族長が集まる族長会議くらいだろう。

 魔獣対策や物資のやり取りは、もっぱらこの会議の場で決められる。

 特定の族長が力を持つことは無く、平等に扱われている。

 ただ、例外というものは必ず存在し、それは代々巫女を輩出するシュタウフェルン家だ。

 族長会議で巫女の発言が最も優先される。

 矛盾があるが、それは昔から暗黙の了解として処理される。

 一応、ベルンハルトはそのことを嫌っており、よっぽどのことが無い限りアメリアに発言させることは無い。


「それでね。族長曰く、あの襲撃はウッドエルフたちによって擦り付けられたらしいのよ」

「擦り付けられた?」

「うん、どうやらウッドエルフたちが誤ってハンドレッドセンティピードを起こしてしまったらしくて、自分たちの里に被害が出ないようにフォルティーウッド方面に誘導したらしいのよ」

「そ、そんな!」


 あの襲撃が偶然ではなく人為的なものだと聞いて、エルサは驚愕した。


「残念ながら本当らしいのよ。あの襲撃のあとにウッドエルフたちが使者を送ってきたからね。でも、そのときはアメリア様も族長も意識不明だったから、詳しい話は聞けなくて、最近わかったばかりなのよ。ああー、思い出しただけでも腹が立つわね。援助物資を運んできたから歓迎したんだけど、あれは謝罪だったのよね」


 カロリーナは、当時のことを思い出したのか、眉間に皺を寄せていた。


「そうだったんですね……」

「まあ、そんなこんなで族長はウッドエルフと距離を取りたいのよ。それに安寧の儀式には、エルフ族全て、つまりダークエルフだけではなく、ウッドエルフのことも含めて祈りを捧げていたのに、そのお返しがあれじゃあね。ウッドエルフを信用できなくなるし、精霊王様を信じられらくなるのも私には理解できるのよ」

「それで、わたしだけが置いていかれる理由は?」


 カロリーナは、エルサが勘違いしていると言ったが、今の話ではベルンハルトが精霊の樹海を離れたい理由がわかっただけであった。

 

「だから、それは勘違いなんだって。アメリア様は、精霊王様と長年コンタクトを取り続けてきた訳だから、族長の考えを否定しているのよ。アメリア様の考えでは、少し早いけどエルサに巫女の役割を譲るつもりらしくて、エルサに巫女の役割を続けてほしいみたいなのよ。だから、エルサを置いていくというのは、あなたが悪い訳じゃないの」


 エルサは、それを聞いて今までの不安がきれいさっぱり消えるのを感じた。


「わたしはいらない子じゃなかった……」


 エルサの不安は消えたが、やることは変わらない。


「もっと、もっと強くならなければ」


 そうして、エルサは再び訓練を再開した。



 それから、一か月もしないうちにフォルティーウッドのダークエルフの移住が決定した。


 その移住のメンバーには、アメリアやエルサも含まれていた。

 どうやらベルンハルトは、アメリアの説得に成功したようだ。



――――――



 深夜、常闇の中を数百のダークエルフがぞろぞろと連なって荒野を歩いていた。


 当初は、集団で移動するのは目立つため、少数グループで移動を計画していた。

 しかし、他の里に所属するダークエルフたちが彼らの移住を阻止すべく強硬手段に出たため、固まって移動する他なくなったのだ。


 ハンドレッドセンティピードにより壊滅的被害を受けたとき、他のダークエルフたちは、援助を惜しまなかった。

 その恩義があるためベルンハルトとアメリアは、族長会議で移住することを報告し了承を得た。

 実際は、猛反対を受けたのだが、巫女であるアメリアに発言させることで強引に納得させたのだ。


 『巫女の発言が最も優先される暗黙の了解』があったため、他の族長たちは渋々と言ったところだろうか。

 尤も、その族長たちもただでは起き上がらなかった。


 それは、この会議をもって巫女の職位を撤廃するように提案したことだ。


 安寧の祈願の際に唱える呪文は、シュタウフェルン家に数百年に渡り代々引き継がれたものである。

 考えてみれば、その巫女である一族が移住してしまえば意味が無い職位だった。


 それに関してはアメリアも執着しておらず、その提案を受け入れた。


 ただ、それが軽率だった。


 移住する日の前夜、何者かにアメリアが攫われそうになったのである。


 それは、明らかに他の里のダークエルフたちで、今までであれば、巫女に害をなすことは重罪であったが、その職位が撤廃されたため遠慮する必要が無くなり、アメリアを人質に移住を断念させるつもりだったのだった。


 あの惨劇を身をもって経験したフォルティーウッドのダークエルフたちは精霊王に対して不信感しかなかったが、それを体感していないダークエルフたちからしたら精霊王を信じており、安寧の祈願を止められては困るのだった。


 アメリアが怪我の後遺症でまともに動けなかった期間に、安寧の祈願を一度だけ行わなかった年があった。

 恐らく偶然だろうが、その一年間樹海の果物が不作となり、魔獣襲撃の頻度が増加したため、族長会議で安寧の祈願を再開するように嘆願されたほどである。


 そのことに胸を痛めたアメリアが、無理を押して急遽安寧の祈願を執り行ったが、何ら改善されることは無かった。

 むしろ、そのせいでアメリアの回復がより遅れた。


 それは、ベルンハルトが愛想を尽かした要因の一つでもある。


 誘拐未遂事件があったことから、少数で移動するのが危険と判断したベルンハルトは、全員固まって移動することにしたのだった。


 精霊の樹海を移動する間、その作戦は成功した。

 遠巻きに他の里のダークエルフたちが追尾してきたが、手を出されることは無かった。


 しかし、精霊の樹海は、「エルフの森」や「魔の大森林」とも呼ばれており、その入口付近はヒューマンたちにとって、絶好の狩場であった。


 狩場と言うのは、何も猟師が動物を狩るだけではなく、奴隷商にとってのエルフの狩場、冒険者にとっての魔獣の狩場であった。


 エルサたちダークエルフは、そんな邪な目で見られているとは予想だにしていなかった。


 エルフ族は、精霊の声を聴くことができる。


 そのため、ヒューマンに見られていることに気が付いていたが、長い間樹海の奥に住んでいたため、ヒューマンの恐ろしさを理解していなかった。


 荒野を進むダークエルフたちを数百の目が見つめていた。


「お頭、予定通りですね」

「だな。報告を受けたときはまさかとは思ったが、これでようやく美味しい思いができそうだぜ」


 お頭と呼ばれた四〇代の男が下品な笑みを浮かべた。


 いささかみすぼらしいが統一された装備から兵士に見える。

 だが、兵士の前に「元」が付く、今ではれっきとした盗賊だった。


 エルサたちがいるのは、精霊の樹海に面しているファンタズム大陸の南に位置する軍事国家アシュタ帝国。


 ベルンハルトに連れられてエルサが目指しているのは、ヘヴンスマウンテンを越した精霊の樹海とは反対側の大森林で、迂回するために精霊の樹海から出ざるを得なかったのである。


 アシュタ帝国は、現在隣国のバステウス連邦王国とユスティ王国に挟撃され戦火が絶えない状況だった。

 そのため、傭兵だけではなく正規兵までもが盗賊に身を落としていたのだった。


「しかし、ダークエルフとは珍しいな。白い方はよく見るが、あんな数のダークエルフを見るのは俺もはじめてだぜ」

「ぐふふ、その分高く売れるんじゃないですかね?」


 頭があれなら、その子分もまた下品な笑みを浮かべて、これからのことを妄想しはじめた。

 既に成功した気でいるようだった。


 一方、族長であるベルンハルトは、精霊が騒がしいことに気付き、風魔法でその会話を盗み聞きして驚愕した。

 ダークエルフからしたらヒューマンは、短命な上、魔法の扱いが下手な下位種族という位置づけであり、まさか襲われるとは思わなかったのである。


 知らないということは、最も恐ろしいこと。

 それは、罪とさえ言い換えてもいいだろう。


「何故我々を放ってくれないのだ……何故だ……我々が何をしたというのだ……」


 ベルンハルトは、身を襲う理不尽さに嫌気がさしていた。


 この独白とも言える呟きを聞いたアメリアは何も言わなかった。

 今までのアメリアであれば、「精霊王様からの試練です」と言いそうだが、今はただただ俯いて無言を通した。


 エルサはどうしたら良いのかわからず挙動不審になる。


「エルサ、そんなに心配しなくても大丈夫だ」


 その様子を見かねたベルンハルトが、エルサを抱き上げて頭を撫でて落ち着かせる。


「どうやらヒューマンにはお仕置きが必要なようだ」

「お仕置き?」

「ああ、とっておきのな」


 ベルンハルトが決断してから行動に移すまでが早かった。

 カロリーナを呼び、アメリアの護衛を徹底させた。

 そして、当の本人は、連なって歩くダークエルフたちの元を駆け周り、戦闘準備と作戦を伝えていく。


 そして迎撃の準備が整った。


「エルサ、ママと一緒に離れているんだ」

「嫌よ。わたしも戦う! 魔法使わなくても十分戦えるもん!」

「違う、そうじゃない。ママを守ってほしいんだ」

「う……わかった……ママのことは任せて」

「ああ、頼んだよエルサ」


 アメリアのことを守ってほしいと言われては、エルサも断ることができない。

 後遺症のせいで、アメリアは駕籠(かご)に乗せられ移動していたため、万が一に備えて、ベルンハルトはアメリアとエルサを遠ざけることにした。


 本来であれば、エルサは貴重な戦力なのだが、今のエルサに魔法を使わせる訳にはいかなかった。

 それに、アメリアの護衛にカロリーナが就いているため安心できる。

 エルサのことも守ってくれることだろう。


 ベルンハルトは、十分離れたことを確認し号令を出した。


「みなの者! 休憩だ!」


 ベルンハルトがそう叫ぶと、ダークエルフたちが立ち止まる。


 それを好機と捉えた盗賊の頭が、無言で腕を振り下ろし襲撃の合図を出す。

 元が正規兵なため奇襲の際に大声を出すことはしなかった。

 

 しかし、詰が甘かった。


 ダークエルフは夜目が利く以前に、精霊の声が聞こえるため、盗賊たちの行動は筒抜けだった。

 更に、休憩と言いながらも誰一人腰を下ろしている者がいないことを警戒すべきだった。


「今だ、放てえええー!」


 盗賊たちを十分引き付けたところで、ベルンハルトが合図を出す。

 奇襲するつもりが、実は誘い出されていたことに盗賊たちが気付いたのは、弓矢の雨を受けてからであった。


 盗賊にも弓兵が居たが、深夜のため辺りは真っ暗で精度が悪く、ダークエルフたちにその反撃の矢が当たることは無かった。

 反対にダークエルフは、夜目が利き非戦闘員であっても弓の扱いが上手く、時間を追うごとに盗賊が一人、また一人とその矢を受けて無力化されていった。


 そうして盗賊たちの妄想は、所詮妄想で終わるのだった。

 

 ダークエルフたちは速やかに闇夜に姿を晦まし、夜間の移動を繰り返した。


 彼らを捕らえようと画策した者たちは、同様に撃退され、一時的だが精霊の樹海周辺の盗賊被害が激減し、ダークエルフの勇者が現れたとまで噂され、その地方で長く語り継がれることになったのはまた別の話。



――――――



 エルサたちは順調? に移住先の大森林へと歩を進めていた。


 精霊の樹海を出たばかりのころは、幾度となくヒューマンに襲われたりしたが、アシュタ帝国から離れバステウス連邦王国入りして数日経ったころになると、全く襲われることは無くなった。


 それも当然だろう。


 エルサたちが進んでいるのは、見渡す限りの砂漠地帯なのだから。

 そんな場所に盗賊たちがいるはずも無かった。


 ただ、ここまで襲ってきたのは、何も盗賊ばかりだけではない。

 戦争中に国境付近を完全武装した数百人の集団が居れば、バステウス連邦王国がアシュタ帝国の部隊と勘違いして攻撃してくるのは道理である。


 それが昼間であれば、敵ではないと判別できた可能性もあったが、夜中にこそこそ移動するのはあまりにも怪しかった。


 エルサというより、ベルンハルトは、襲い掛かってくる者には容赦がなかった。

 動物や果物といった食料に恵まれた精霊の樹海に引き籠っていたため、樹海を出たらそう簡単に食料を入手することができないことを知らなかった。

 ある程度の食料を準備してはいたが、瞬く間に食料が底をついた。


 そのため、襲い掛かって来る盗賊たちから食料を得ようとしたが、戦時中で食料に困っているから、手っ取り早く奪う側になった盗賊たちが殆どのため、撃退してもろくな物を入手することはできなかった。


 しかし、正規兵たちは軍であり、糧食部隊が存在した。

 正規兵は統率が取れており多少てこずったが、魔法が得意なダークエルフたちを前に呆気なく壊滅した。

 当然、取り残された糧食がエルサたちの腹を満たした。


 これではどちらが盗賊かわからないが、正当防衛なため文句を言われる筋合いはない。

 むしろ、日が経つにつれて、糧食を持った軍隊に襲ってほしいとさえ考えはじめたくらいである。


「まさか、砂漠が広がっているとは……」


 ベルンハルトは、自分の考えが甘かったことに後悔を口にしたが、今更である。


 ヘヴンスマウンテンを右手に北西に進むこと五日が経ち、エルサたちは砂漠のど真ん中を移動中だった。


 バステウス連邦王国の首都を囲うようにバウス砂漠が広がっており、ここは既にダークエルフたちからすると未知の世界だった。


「お腹空いた……」

「いや、水……喉がカラカラだ……」


 魔法袋にできるだけ水を満たしてきたが、この砂漠の終わりが見えないことから、朝昼夜の一日三回、一回コップ一杯までと分配する量を制限していた。

 周りから、空腹や喉の渇きを訴える声が次第に大きくなっていく。


 人は、極度の飢餓状態になると精神に異常をきたすと言うが、それはダークエルフであっても例外ではない。

 早急に何か手を打つ必要があったが、何度も言うように辺りは見渡す限りの砂漠地帯。

 食料になるものなど見当たらなかった。


「そろそろヤバいな……こうなったら魔獣でも出てくれないと、西の大森林に辿り着く前に空腹に倒れ干からびてしまう……」

「ねー、パパ。その大森林はどんな場所なの?」

「ん? えっとー、それはだな……」


 エルサの意表を突く質問にベルンハルトは言葉を詰まらせた。


 実は、目的地の大森林は、噂でしか聞いたことが無く、その存在も怪しいものだった。

 何しろその情報の出所がウッドエルフなのだから。


「私たちの故郷より、魔力溜まりが少なくて精霊の声が聞き辛いらしいけど、魔獣も比較的弱くて住みやすい場所らしいわよ」


 ベルンハルトの沈黙を見かねたのか、アメリアが駕籠の簾を押し上げて顔を出した。


「ふーん、ママは行ったことがあるの?」

「いえ、私は無いわよ。ただ、イルマさんから外の話をお伺いする機会があっただけよ」

「イルマさん?」


 エルサは、聞き覚えの無い名前に小首を傾げた。


「そーそー、俺もその話を思い出して、今回の決断をした訳だが……」


 ベルンハルトは、精霊の樹海を飛び出したことを後悔しはじめたが、今更の話であとはその話を信じで進む他なかった。

 正に精神論で、知性が高いダークエルフらしからぬ非理論的、且つ希望的観測といった稚拙な考えだった。


「今更後悔しても遅いですよ、ベルンハルト。イルマさんはね、ウッドエルフの女王様なのよ。あの人は、エルフ族らしからぬと言うか、何というか、とても自由な人なのよ。珍しい食べ物の話を耳にしては、態々その国にまで足を運び、魔道具の実験のために樹海を火の海にしたことがあるとか聞いたこともあるわね……あとは……」


 アメリアは、そのあともウッドエルフの女王様の武勇伝ともいえる珍事件の話を披露した。

 簡単にまとめると、そのイルマなる人は、己の欲望に素直な人柄であるようだ。

 女王という地位に就きながらも、その行動理念は彼女が面白いと思うかそうでないかの二択のようであった。

 白黒はっきりしていて中間のグレーが無いことから清々しい性格ともいえるが、その迷惑を被る側としては、はた迷惑な性格だった。


 その話を聞いたエルサは、世の中は広いのだなと思ったとか思わなかったとか。


「そうだ! 師匠おおおー!」


 エルサは、外の話を聞くならと、カロリーナを呼ぶことにした。


「なんだ騒々しい。こっちは腹ペコで死にそうなんだが……」


 空腹のせいかイラつき気味に、エルサの元にカロリーナがやって来た。


「ごめんなさいね、カロリーナ」

「あっ、とんでもないです、アメリア様」


 アメリアに謝られて、猫背気味になっていたカロリーナが背筋を伸ばして恐縮する。


「ねえねえ、師匠。大森林ってどんなところか知ってますか?」

「どうしたんだいきなり?」

「冒険者をしていたときに行ったことがあるなら教えてほしいなと思いまして」


 カロリーナが冒険者をしていたことを思い出したエルサは、もしかしたらという思いで、カロリーナを呼び寄せたのであった。


「そう言えば、おまえは俺たちの制止も聞かずにそんなことをやっていたな」

「何よ今更! そんな昔のことを蒸し返さないでくれる、兄さん?」

「昔って言ったってたったの五〇年前じゃないか」

「まあ、そうだけどさ……」


 ヒューマンからしたら五〇年は一生と言ってもいいくらいだが、エルフ族からしたらヒューマンの一〇年ほどの感覚だろう。


「ほらほら、二人とも。昔話はそれくらいにして、エルサの質問に答えて下さいまし」

「「あっ……」」


 ベルンハルトとカロリーナは、完全にエルサの質問を忘れて、ついつい昔話に花を咲かせてしまった。

 アメリアが指摘するまでそのことに気付かず二人がエルサに視線を向けると、青みがかった銀色の双眸に涙を湛えて、口を真一文字に固く結んでおり、そこには今にも泣きだしてしまいそうな幼子の顔があった。


 エルサは、既に一四歳になるのだがまだまだ幼かった。


「ああー、ごめんよ、エルサ。悪気はなかったんだ」


 慌ててカロリーナが謝ると、「それで?」とエルサから鋭い視線が返ってきた。


「ああ……それなんだが……」

 

 嫌な予感がする……


「実は私は、もっぱら東のヴァーティス王国やルドランド王国での活動がメインだったから西のことはさっぱりなんだよねえーあはは……まいったなー」


 それは当然エルサが望んだ回答になっておらず、気まずさからカロリーナは笑って誤魔化すしかなかった。


「そ、そうなんですね。それなら仕方がないです……」


 結局、西の大森林のことはわからず仕舞いで、エルサは残念に思い俯いてしまった。


「ああー、だからごめんて。頼むから元気を出してよ」


 ハンドレットセンティピードの襲撃から大人しくなったとはいえ、昔のわんぱくエルサを相手していたカロリーナは、見慣れないエルサの落ち込み具合を見て胸が痛くなった。


「あっ、そうだ!」


 突然大声を出されたものだから、エルサだけではなく近くにいたダークエルフたちがぎょっとなった。


「ど、そうしたんですか、師匠?」

「良いこと思いついちゃった。あそこの岩までどっちが先に到着するか勝負しない?」

「はい? それでは余計にお腹が空くじゃないですか……」


 実は、エルサも相当お腹を空かせており、気晴らしのために西の大森林の話をし出したのだが、そんなことは誰にもわからなかった。


 あの襲撃事件から同年代の子供たちと遊ぶことも無くなり、日に日に笑顔が消えていく様に大人たちは頭を悩ませていた。

 だから、カロリーナも空腹で辛いのだが、エルサに元気を出してもらおうと遊びめいたことを提案したのだが、エルサから尤もな指摘を受け、失敗したと悔やむのだった。


 完全に失敗だった。


 いや、失敗に思えて、それはまさかの結果を引き起こした。


「それで、師匠。どこに岩があるんですか?」

「「「「「んん?」」」」」


 カロリーナ、ベルンハルトやアメリア以外にも周りのダークエルフたちもその話を聞いており、その全員の頭に疑問符が浮かんだ。


「どこって……すぐ目の前にあるじゃないか!」


 五〇メートルほど離れたとげとげした巨大な岩山に、指を指しながらエルサの問いに答えたのは、ベルンハルトだった。


「パパ、あれは生き物だよ?」


 エルサは、さも当たり前のように言い、大人たちを混乱させたのだった。



――――――



 エルサが生き物と言ったそれを目を凝らして見れど、やはり岩にしか見えない。

 一見、ゴツゴツとした岩質やその黒檀のような色まで、右手に聳えるヘヴンスマウンテンの岩肌の感じと全く一緒だった。


 あえて違いを挙げるならば、不自然なとげのような突起物があるくらいだろう。


「いきなり何を言い出すかと思えば、エルサ……あ、わかった。そうやって揶揄ってるんでしょ」


 カロリーナは、エルサのことだから冗談を言っていると思ったのだろう。


 確かに、あの襲撃以前であればエルサもそんな冗談を言ったに違いない。

 しかし、エルサは今までの行いを見直し、大人を揶揄うことを止めていた。


 今までの行動を悔い、それを正したのだ。


 ただそれは、遊ぶ暇があるなら、その時間を訓練に充てて強くならなくては! という強迫観念にも似たような焦りがエルサをそうさせた。

 そのような考えに至るのは子供らしからぬところだが、あまりにもあの事件はエルサの胸に深く突き刺さったのである。


「揶揄ってないもん。師匠、あれは絶対生き物です」


 エルサは信じてもらえていないことに頬を膨らませ、確信を持って言い切った。


「いや、だって精霊は静かだよ。アレが魔獣ならこんな静かな訳が無い」


 カロリーナの反論には当然根拠がある。


 それは、エルフ族が精霊の声を聞くことができるというものである。


 代表的なものは、意識せずとも害意など危険がせまると精霊が騒がしくなり、そのざわつき具合から危険を察知することができるのだ。


 当然その領域にまで達するには、気の遠くなるような修練を積む必要があるが、能力が高いエルフ族の戦士は、みなそのようにして危機察知に役立てている。


 当然カロリーナは、その戦士に分類されており、エルフ族の戦士階級の中でもハイランクで、精霊の声を聞く能力に長けている。

 そのカロリーナが意識しているにも拘らず、精霊の声が聞こえないということは、生物または害意がある危険な存在が近くにいないことを意味する。


 しかし、その実態は、カロリーナたちが精霊の声を聞き取れていないだけで、岩に見えるアレは、エルサの言う通り魔獣で間違いなかった。


 しかも、精霊王とコンタクトが取れるほどのアメリアだって精霊の声を感じ取れていないようである。

 アメリアの場合は、後遺症の影響もあるが、今はそれは大した問題ではなかった。

 その他にも歴戦の戦士たちは大勢いるのだ。


 ただ、彼らは気付いていなかった。


 ここが精霊の樹海とは違い、風や水の精霊ではなく土の精霊が多く住む場所だということに。


 基本的に精霊は、マナが存在する場所であればどこにでも存在する。

 そして、マナはどこにでも存在する。

 言い換えるならば、精霊はどこにでも存在するのだ。


 ただ、その場所場所で精霊の性質の割合が変化するだけ。


 精霊の樹海にも土の精霊が存在するが、風と水の精霊が大部分を占めており、その環境下で育ったダークエルフたちは、それ以外の精霊の声を聞くことに慣れていなかっただけである。

 それは必然的にこの砂漠地帯では、精霊の声を聞くことが容易でないことを意味していた。


 それは、精霊の樹海に引き籠っていた弊害であると言えよう。


 もし、カロリーナが土の精霊に問いかえるようにしていれば気付くことかができたかもしれない。

 冒険者として外の世界で過ごした期間は、彼女の人生の中であまりにも短い時間であったが故、それを指摘しても酷だろう。


「でも、魔力が見えます。絶対生き物ですよ」

「魔力が見えるだって!」

「おいおい、待ってくれ、エルサ。魔力が見えるとはどういうことだ!」

 

 エルサは尚も言い切った。

 そして、「魔力が見える」ことにカロリーナとベルンハルトは驚愕した。

 アメリアは、声に出さずとも二人と同様に驚きの表情を浮かべた。


 そして、


「エルサ……まさか、魔法眼のスキルを持っているのかしら?」

「魔法眼?」


 アメリアが口にしたはじめて聞くスキルの名前に、エルサは聞き返す。


「そ、そうよ、魔法眼……エルサは、魔力が見えるのよね?」

「うん、だからそう言ってるよ」


 信じられない思いから再びアメリアが確認したが、あっさりそうだと言われ息をのむ。


「ベルンハルト……」

「ああ、本当にエルサが魔法眼のスキル持ちならアレは魔獣で間違いないな……」


 エルサの衝撃発言に色々と思うところがあるベルンハルトであったが、今はそれよりもアレが魔獣だとしたら、その相手が先であった。


 なんと言っても、待ちに待った食料である。


 見た目は完全に岩なのだが、きっとあれは擬態でその中身は肉であることを期待したベルンハルトは、腹の部分に手を当てて摩りだす。

 この世界には、ゴーレムなどの無機質の魔獣もいるが、それは稀である。


「アレは恐らく……ロッキングヒュージタートル……」

「何? カロリーナはアレを知っているのか?」

「いえ、聞いたことがあるだけで実際に見るのはこれがはじめてよ。そうか……そう言うことなのね。私としたことがうっかりしていたわ」

「ん、どういうことだよ。わかるように説明してくれ」


 ベルンハルトは、精霊の樹海に住む魔獣のことであれば全て把握している。

 しかし、ここはその樹海ではなく、外の魔獣のこととなると、流石のベルンハルトもカロリーナの知識に頼らざるを得ない。


 ロッキングタートル――岩山や砂漠地帯に生息し、周辺の環境に擬態する陸亀の魔獣で、体長は二メートルほど。

 外皮は見た目通りで物理耐性がもの凄く高いが、ひっくり返せば自分では起き上がることができず簡単に倒せる魔獣でもある。


 その肉は、見た目以上に美味で、その外皮は防具などの素材等にも使われる、食べて良し、使って良しの万能魔獣である。


 生息数はそれなりなのだが、擬態が上手いため見つけることが困難なのである。


 しかし、目の前の岩は、二〇メートルを超えており、岩山と言っていいほど巨大だった。

 だから、カロリーナは、気付くことができなかったのである。


 つまり、あれはロッキングヒュージタートルで、ロッキングタートルの上位種であったのだ。


「な、なんだと! 美味だと……ジュルリ」

「「「「「ジュルリ」」」」」


 カロリーナから説明を受けたベルンハルトだけではなく、周りの戦士たちも涎が自然と溢れ出した。


 みんな腹ペコなのだ。


「でも、どうやってひっくり返すかよね……」

「確かに、な。あんだけ大きいと持ち上げる訳にもいかんしな……」

「風魔法で吹き飛ばすとかは?」

「いやいや、無理だろ」

「ロッキングタートルならアーススパイクでひっくり返るんだけどな……」

「それこそ無理だろ。俺たちで土魔法が得意な奴はいたっけか?」


 カロリーナとベルンハルトが討伐方法を話し合うが、良い案が浮かばない。

 そこに、アメリアや他の戦士たちも話し合いに参加するが、どうやら難航しそうだった。


 肉を目の前にして成す術がないとは、何とも残念である。

 得意の弓ではあの装甲を打ち抜くことはできないだろう。

 魔法であればダメージを与えられそうだが、あの状態で倒しても解体に苦労しそうなため、是非ともひっくり返したい。


「大地に宿りし風の精霊よ……」


 大人たちが作戦会議に夢中になっている最中、エルサは一人、ロッキングヒュージタートルの元へ向かって歩いて行く。


 そして呪文を紡ぐ。


「我の問いに応え汝の力をもたらさん、今その風を解き放て、ウィンド!」


 エルサが風の初級魔法を唱え、風が発生した。

 そして、その風が砂漠の砂を巻き上げる。


 所詮初級魔法の威力は弱く、少し窪みができたくらいだった。


 しかし、エルサの行動に気付いたベルンハルトたちが慌てて駆け寄ってきた。


「エルサ、勝手なことをするんじゃない! 気付かれたらどうするんだ!」


 開口一番ベルンハルトが叱るように注意したが、エルサは引き下がらない。


「だって、声を掛けても無視するから……それにパパの声の方がうるさい……」

「ぐっ……」


 エルサは、妙案を思いつき、それを提案しようと何度も声を掛けていた。

 しかし、肉を得るために興奮気味に夢中になって話込んでしまい、エルサの声が耳に届いていなかったのだ。


「それに、既に気付いている。魔力の色が少し青になったから怯えているのかも」

「ほう、やはり魔法眼で間違いないようだな」


 魔法眼とは、魔力の流れや色を見ることができるスキルで、それをで相手が使ってくる魔法を判断したり、感情を理解することができる魔法の目のことである。


 エルサの説明からベルンハルトは、エルサが魔法眼のスキル持ちであることを確信する。


「つまり、こいつは臆病な魔獣なのか?」

「わたしにはわからないよー」

「まあ、そういうことなんだろうね。擬態して身を隠すくらいだし……」


 ベルンハルトの予測に対し、エルサの代わりにカロリーナが答える。


 エルサたちに気付いているにも拘らずこの場から逃げないということは、耐え抜く自信の表れなのかもしれない。

 しかし、その自信が脆く崩れ去るとは思いもよらなかっただろう。

 ロッキングヒュージタートルは、このあと直ぐ後悔することになる。


「それで、エルサは何を思いついたんだ?」

「それはねー。風魔法で腹の下側まで穴を掘って、水魔法で固めるでしょー」

「「「「「ふむふむ」」」」」


 大の大人たちが真剣にエルサの話に耳を傾ける。

 その様子があまりにも真剣で、エルサは途中笑いそうになったが、なんとか耐えた。


「最後に氷魔法で滑らせれば、ひっくり返せるかなーって」

「「「「「おおー!」」」」」


 そこで歓声が沸いた。


 それくらいなら簡単に思いつきそうだが、真っ向勝負しかしたことのない誇り高き戦士たちにその方法は盲点だったようだ。

 大人を罠にはめたりと悪戯っ子だったエルサだから思いついたのかもしれない。


「よーし、みんなエルサの説明を聞いたな! 準備に掛かれー!」

「「「「「おおおおおおー!」」」」」


 ロッキングヒュージタートルが言葉を理解していたら、冷や汗をかく場面であろうが、己を襲う不幸に未だ気付いていない。


 ひっくり返せるものならひっくり返してみろっ! と余裕をかましていた。


 一方、ダークエルフたちは飢えた獣のように血走った目で興奮状態にあった。

 みな空腹で今にも倒れそうだったが、そこは意地で魔法を放ち続けた。


 時間が経つに連れて戦士階級以外のダークエルフたちも集まり、その作戦は順調に進んだ。


 砂漠の砂が吹き飛ばされて、ロッキングヒュージタートルの足元まで及んだとき、足があらわになった。


 そのことに気付いたロッキングヒュージタートルであったが、今更気付いても時すでに遅し、だった。


 逃げようと必死に足を動かしても蟻地獄のように深みにはまっていく。

 更に、逃げられまいとその穴はドーナツ状にロッキングヒュージタートルを囲って包囲網を完成させていた。


 そのまま崩れては意味がないので、水魔法で慎重に地盤を固めていく。

 最終的に六本の足が現れたが、既にその足を付けられる足場は無く、必死にもがくも惨めにその足が空を切る。


「よし、そろそろだな。アイスロックかアイススピアで突起を作って仕上げだな」


 せっかく穴に落としても転がらなければ意味が無いため、引っ掛かりを作る必要があった。


「そ、それならわた――「エルサはダメだ!」」


 その役目をエルサが申し出ようとして被せ気味に却下された。


「今は無理しないでくれ、頼むから」


 本当であれば子供には花を持たせたいものだが、悪いと思いながらもある事情から、ベルンハルトはそう言わざるを得なかった。


「それじゃあ、私がやるよ」


 エルサとベルンハルトのやり取りを見ていた大人たちは遠慮していた中、カロリーナが名乗り出た。

 それを恨めしそうにエルサが見ていたが、「嫌われ役も師匠の務め」とカロリーナは考えていた。


 そんなこんなでエルサの作戦のおかげで、ロッキングヒュージタートルの討伐に成功したのだった。



――――――



 穴を掘るという作戦は、結果的にだが、そのあとの食事でも大いに役立った。

 前線から大分離れた内地まで来てはいたが、肉を焼くための焚火の火は、砂漠地帯では目立ちすぎる。


 そのため、夕飯はその穴の中で取ることとなった。


「ほら、沢山あるからどんどん食べな」


 焼きあがった肉をカロリーナがエルサの元へ持ってきたが、エルサはそれを無視した。

 よっぽど、最後の美味しいところを持っていかれたのが悔しかったのだ。


「なんだい、いらないの?」

「いりません」

「あっそう、それなら私が食べちゃうわよ」

「どうぞ……」


 エルサとカロリーナの脇でベルンハルトが焼きあがった肉にかぶりつく。


「おい、これはマジで上手いぞ! そんなこと言わずに食べてみろよ」

「……いらない……」


 エルサだってお腹が空いてたまらない。


 解体のときに匂った内臓は、クセが強そうだったため煮込み料理にしないと食べられなさそうだった。

 ムッと少し咽るような臭いだったため、今では魔法袋に収納されている。

 その臭いは、エルサの食欲を半減させるほどだったが、胸肉が焼ける匂いが、エルサの鼻腔を刺激し、食欲を搔き立てる。


「ジュルリ」


 唾を啜る音を聞いて、ベルンハルトとアメリアが顔を見合わせて目を見開いて、微笑んだ。


「なーんだ、やっぱりお腹空いているんじゃないの。子供は我慢するもんじゃないよー」


 カロリーナもその音を聞き逃さなかった。


「べ、べつに我慢してない……です」


 そう言って顔を背けようとするも、視線はカロリーナが持つ皿の上の肉から離れようとしない。

 カロリーナがゆっくり亀肉のステーキを差し出してみる……。


 その差し出された木のお皿へエルサの手が伸びる。


 が、


 寸でのところで出した手をさっと引っ込めてしまった。


「エルサ、そう意地を張らないでも良いのよ」

「違うもん……」

「エルサだってわかっているでしょ。パパはね、心配なのよ」

「そ、それは……わかってる。けど……」

「けど?」

「……何でもない……」


 エルサは、自分の置かれている状況を子供なりに理解していた。

 でも、それを納得することは、できなかった。


 『魔力弁障害』


 エルサが患ったであろう、病名。


 魔力弁障害は、体内の魔力が勝手に漏れ出してしまう病気で、その量は個人差がある。

 魔力弁障害の人は、睡眠時が一番効率よく魔力が回復するため寝たきりで過ごすか、余計な魔力を使用しないように安静にして魔力切れになるのを防ぐ。


 一応治療薬はあるが、材料の一部が魔族領にしかなく、入手がかなり困難なため、応急処置としてマジックポーションを飲み魔力がゼロにならないように気を付ける必要がある。


 病状が深刻化すると、朝方調子が良くても夜には魔力が枯渇して動けなくなる。

 それは、安静にしていてもだ。

 無理して魔法なんか使用したら、「死」あるのみなのである。


 だから、先程の戦闘でエルサが魔法を使用したことを叱り、仕上げの魔法も使用させなかったのは、ベルンハルトの親心であった。


 ただ、エルサは比較的症状が軽く、魔法さえ使用しなければマナ切れを起こす心配はない。

 むしろ、魔力量が多いエルサであれば多少の魔法くらい使用しても問題ない。


 だから、エルサはみんなの役に立ちたくて魔法を使ったりするが、ベルンハルトやアメリアからしたら、無理して倒れてしまうのではないかと気が気じゃない。


 魔力残量は、本人であれば感覚的にわかるが、エルサは無理をしがちで危なっかしい。


 そもそも、エルサが魔力弁障害の可能性があると何故わかったかと言うと、先日の訓練時に倒れてしまったからである。

 全てを把握しきれている訳では無いので、心配するなという方が無理である。



――――――



 それは、ほんの二週間ほど前。

 エルサは、いつものように強くなりたい一心で訓練に励んでいた。

 

 エルサは、基本魔法の火、水、風と土魔法の初級魔法を既にマスターしていた。

 風魔法であれば、中級まで使用できるようになっており、ついに上位魔法である電撃魔法の訓練を開始したある日のこと。


 上位魔法である電撃魔法は、基本魔法より消費魔力が多いため、万全の状態で臨んだ。

 何度もアメリアの詠唱を聞き、呪文のリズムも覚えた。

 最初の数回は、覚えたつもりでも微妙なズレがあったのか、電撃魔法は発動しなかった。

 五回目の挑戦で、やっと発動に成功した。


 上位魔法であるため消費魔力も多く一度の行使でエルサの半分近くの魔力を消耗したが、感覚的にもう一発は撃てると思ったエルサは、コツを忘れないうちにもう一度サンダーボルトを撃った。


 そこまでは、問題なかった。


 残りの魔力が心もとなくなったため、その日の訓練を終わりにして、アメリアにコツなどを聞きながら復習していたら、突然エルサは倒れてしまった。

 ただの魔力切れなら、アメリアとカロリーナは、疑問に思わなかっただろう。


 魔法は、魔力が足りないと発動しないが、ギリギリ足りれば発動するのだ。

 その場合、魔法を使用した直後に気を失うもので、エルサみたいに時間差でその症状がでることは無い。


 それなのに、エルサはまるで魔力切れの症状のように気を失ったのである。


 更に、魔力切れで気を失ったとしても、ふつうは丸一日眠れば魔力が全快するのだが、エルサは中々目を覚まさず、そのまま丸三日ほど寝込んでしまった。

 当然ベルンハルトとアメリアだけではなく、フォルティーウッドのみんなが心配した。


 エルサが目を覚ましたとき、アメリアは原因を探るためにエルサに色々と質問した。

 エルサは、素直に魔力が流れ出ていることを自覚していたことを説明した。

 ただ、それが微量だったためあまり気にしていなかったことも含めて。


 その結果、魔力弁障害の可能性が浮上し、フォルティーウッドの里は騒然となった。


 魔力弁障害は世界共通で認識されている病で、珍しい病気であるが一定数存在しており、認知もされている。


 問題なのは、安寧の祈願で守られてるはずのエルフ族は、病気に掛かることが無いとされているにも拘わらず、エルサが病気だと判明したことだろう。


 しかも、成長したら巫女を受け継ぐはずのエルサが、だ。


 魔力弁障害は、魔力が漏れ出る病気で、エルフの巫女は魔力を精霊王に捧げる役割がある。

 魔力弁障害のエルサが安寧の祈願を行えるかと言ったら、それは難しいだろう。


 結果、精霊王が全く信用ならない存在だと証明されたのだった。


 ベルンハルトは、ハンドレッドセンティピードの襲撃をきっかけに、精霊王やウッドエルフたちに色々と思うところがあって移住を検討していた。


 当然、夫婦喧嘩になるほどベルンハルトとアメリアは言い合っていた。


 その場面を見たエルサが、アメリアに愛されていないと勘違いしたりもした。


 それに賛同する者は、巫女であるアメリアが反対しているため少数であったが、エルサの病気が判明したことで、頑なに移住を拒否していたアメリアはベルンハルトの説得に首を縦に振ることとなった。


 それからアメリアを筆頭にフォルティーウッドの住民全員が移住に賛成し、此度の大移動を行動に移したのだった。



――――――



 アメリアに諭されたエルサは、そのときの様子を思い出した。


「みんなわたしのことを心配して……」


 エルサは、反省した声音でそう言ったが、実のところ、もう我慢の限界だった。


 エルサは、カロリーナが持っていた皿を奪うように取り、亀肉ステーキを手掴みで口に放り込んだ。

 しんみりしていた雰囲気はどこかへ吹き飛ばされ、エルサが荒々しく肉にかぶりついている。


「「「えっ……!」」」


 当然、三人は言葉を失った。


 そして、あっという間に皿の肉がなくなり、エルサは空になった皿をカロリーナの方に突き出した。


「……ん……」


 口の中には、まだ残っておりエルサは一生懸命に咀嚼しており、話せない。

 

 これは「おかわり」の要求だろう。


「あー、はいはい、ちょっと待ってな。今すぐ持ってくるから」


 カロリーナは苦笑いしながら皿を受け取り、肉焼き場に向かった。


「エルサ、食べるならこれ――「ん」」


 ベルンハルトが言い終わる前に、エルサはその肉に手を伸ばし、また肉を頬張った。


 そこへ、カロリーナが戻ってきた。


「なんだよ、エルサ。すぐ持ってくるって言ったのに我慢できなかったのかい?」


 その様子がおかしくて、カロリーナはクツクツと喉を鳴らして笑った。


 エルサの無言のおかわり要求が五回ほど続き、満腹で満足したのかエルサに笑顔が戻っていた。


「よっぽどお腹を空かしていたのね」

「ああ、そうだな。これで機嫌は直ったかな?」


 その様子を見たアメリアとベルンハルトは、笑い合いほっと一安心。


「そう言えば、他に隠していることは無いだろうな?」

「え、何のこと?」

「何のことって、そりゃあ魔法眼のことだよ。魔力が漏れていることも黙っていたし、あのときのように『みんなも同じだと思った』は無しだからな!」


 魔力弁障害で倒れてしまったときのエルサは、漏れ魔力が微量で生活に支障が無かったため、みんなも同じだと思っていたと説明した。


 それは勘違いなのだが、そう考えたのは魔法眼のせいだと思えば納得できる。

 何故そう思ったのか聞く余裕があれば、もっと早く魔法眼のスキルのことがわかっただろう。

 ただ、あのときのベルンハルトたちにその余裕は無かったのだ。


 魔力は、呪文を詠唱して魔法を行使しない限り消費されることは無いと言われているが、微量の魔力が大気中に放出されることがあり、その代わりに大気中のマナを取り込んでいるため過不足は無い。


 皮膚呼吸をイメージしてもらうとわかり易いだろう。


 それを魔法眼で見たエルサは、その量が少し多いだけで自分とみんなは同じだと考えており、病気だと認識していなかった。


「これって精霊の声じゃないの?」

「ま、まあ、そうなるか……」


 エルサの勘違いを知り、ベルンハルトは天を見上げた。

 そこには満天の星空が広がっており、ベルンハルトの気苦労を他所に光り輝いていた。


「でも、私は納得ですよ、ベルンハルト。何と言っても電撃魔法を数回で成功させたのですから。きっと私の魔力の流れを見ていたのね、エルサ」

「うん、そうなの。他の魔法もみんなのを見て感覚を掴んだの」


 この世界の常識では、魔法は呪文を正確に唱えられれば発動するものとされている。

 本当は、イメージが最も重要で、イメージがしっかりしてさえいれば呪文の詠唱は必要ない。

 呪文は、あくまでイメージを補うものであるはずが、魔法が開発されてから二千年の時を経て歪められ、呪文が最重要だと誤って伝わっているのだった。


 エルサが風魔法だけ中級まで使えるのは、周りの大人たちが使うのが風魔法を基本としていたからである。

 魔力の流れを見ているため、無意識にエルサも同じように魔力操作をしていたのだった。


 しかし、このときは誰もそのことに気付くことはなかった。

 いや、気付くことなどできるはずも無かった。


 【魔法三大原則】

 魔法とは、この大地に宿る神聖な力を行使するもの。

 魔法とは、詠唱をして発動するもの。

 魔法とは、詠唱を省略すると効果が弱まる。


 それほど、魔法の三大原則は種族問わず有名で、それが常識とされていた。

 もし、気が付いたとしても魔法の三大原則が有名すぎて試しもしないだろう。


 しかし、エルサはその真理を知ることになる。

 それは、もう少し先の話だが、エルサの人生を変える出会いとなるのだった。



――――――



 エルサが魔法眼のスキル持ちだということがわかり、エルサたちダークエルフの旅は着実に目的地へと近付いていた。

 それは、視覚にさえ入れば魔力が見えるという特性から、砂漠地帯で擬態している魔獣をことごとく看破し、奇襲されることなく撃退することに成功していた。


 ただ、そのスキルも万能ではないため何事も無いということは無く、バステウス連邦王国の首都にほど近いスーリー川の畔で休憩中、大規模な盗賊に襲撃され、一時はエルサの身柄が奪われるという大事件が発生した。


 しかし、たまたま居合わせた謎のウッドエルフの双子がその盗賊を撃退して、危ないところでエルサは救出された。


 エルサはそのとき気を失っており、そのウッドエルフに会うことはできなかった。

 後日、アメリアからその話を聞き、いつかお礼を言おうと心に決めるのだった。


 そして、精霊の樹海を出てから一カ月が過ぎた。


「みんなー! 念願の西の森に到着だあああー!

「「「「「うおおおおー!」」」」」


 砂漠地帯を抜けて三日ほど歩いたその先に森が見えたため、ベルンハルトがそう叫ぶと、それに呼応するようにみな欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した。


 中には、ものすごい勢いで駆けだす者さえいた。


 身体強化魔法を使うほど、森に飢えていたのだろう。


 エルフ族の中には、森の生活に飽いてヒューマンの国へ出て行く者もいるが、フォルティーウッドのダークエルフたちは森をこよなく愛する者たちなのだ。


 でも、何かが違った……。


 走り出したい気持ちを抑えて、アメリアの駕籠の速度に合わせてその森の中へ足を踏み入れたエルサは、何とも言えない微妙な感じがしていた。


「何か違う……」

「……そうね……」


 アメリアもエルサに同感なのか、辺りを見渡しながら相槌を打った。


「そりゃあそうだろうさ。ここはまだ森の入口だし、ここまで離れていれば環境も違うだろう。先ずは、適当な場所を見つけて数日休息を取ろう。永住する場所は、慎重に決めないといけないからな」


 ベルンハルトのいうことも最もだと思ったエルサは、取り合えずそれ以上は何も言わないようにした。


 大気中の魔力が薄い……。

 精霊の樹海だったらもっと華やかなのに薄暗くて少し気持ち悪いかも。


 エルサは、精霊の樹海と今いる森の違いを魔法眼のフィルター越しにそんなことを思っていた。


 先ずは、数日に渡る魔獣のリスク調査、食料や材料等の森の生態調査を行う予定が組まれた。


 そのため、安全が確認されるまでは、エルサの訓練はお預けとなっており、木の枝に跨り幹に背を預け、無下に時間が過ぎていくのを自由に飛ぶ蝶を眺めて過ごすほどに、エルサは暇を持て余していた。


「あなたはいいよねー。自由で……あ、師匠!」


 予定の数日はとっくに過ぎており、進捗状況を知りたいエルサは、探索から帰ってきたばかりのカロリーナを見つけて木から飛び降りた。


「おおっ、エルサか」

「師匠、森の様子はどうですか?」

「うーん、何とも言えないわね」

「何とも言えないとは何です?」

「……その通りだよ。魔獣も大した数いないし弱いから安全のようだね。でも、シカやウサギ等の動物の姿が殆ど無い」

「果物とかは無いんですか? あと、道具の材料になりそうな蔓とか」

「それも微妙な感じね」


 外敵が少なく安全だが、住み着くには食料が心もとないし、道具の材料も少ないとなると、生活していくのは厳しいかもしれない。


「……暇……」

「なんだ、エルサ。カゴ編みなんてつまらないとか言っていなかったっけ?」

「今はやることが無くて死にそうなんです。魔法だけではなく訓練自体禁止されているんですよ!」


 遊び盛りの子供が言うセリフではない。


 他の子供がキャッキャ言って遊びまわっている様子を見ながらカロリーナはため息をつく。


「エルサ……」

「何でしょうか、師匠?」

「エルサもナリアやイルクオーレたちと遊んでくれば良いじゃないか」


 幼馴染の名前を出されて今度は、エルサがため息をつく。


「何を言っているんですか……喧嘩中で話しかけられないんですよ」

「はあー! そんなの初耳だよ。何があったの?」


 それもそうだろう。


 エルサは誰にもそのことを話していない。

 エルサは、強くなると決めてから誘惑に負けないように、わざと強く当たり距離を取ったのであった。

 そのときにあまりにもひどい言葉を発したため、殴り合いの喧嘩にまで発展した。


 それから数年間、訓練中の形式的な会話以外、幼馴染と話をしていなかったのである。


「そこまでストイックにいかなくてもいいじゃない。まだ子供のくせに何が誘惑よ……そこは一緒に切磋琢磨して成長すればいいじゃないの」


 エルサから事情を聞いたカロリーナが尤もな指摘をする。


「そうはいかないのですよ、師匠。わたしが強くなってみんなを守るんです」


 と、エルサは胸を張るってみせたのだが、カロリーナの拳骨がエルサの頭を襲い鈍い音が鳴った。

 当のエルサはうずくまり涙目に訴える。


「痛っ! な、何するんですかあああー!」


 青みがかった銀色の双眸に涙を浮かばせ、頭を押さえていた。


「生意気だって言ってるのよ! なーにが、『わたしが強くなってみんなを守るんです』よっ! そんなこと言うのは千年早いわよ!」

「せ、千年! ハイエルフじゃないんですからそんなの無理ですよ」


 カロリーナは、知っていた。


 エルサは喧嘩別れして関係を断てたと思っているが、ナリアやイルクオーレがエルサの演技に気付いており、そのことが悔しいと言っていたことを。

 彼女たちは幼馴染として一緒に強くなりたいと思ていたのに、頼ってもらえないと悲しんでいるのだった。

 ハンドレッドセンティピードの襲撃で数多くのダークエルフたちが命を落とした。

 同じ後悔を二度としないようにエルサは強くなると決心したのだったが、当然ナリアとイルクオーレも身内を何人か亡くしていた。


 それにあの襲撃事件はエルサのせいでは無いのだ。


「まあいいわ。それよりもエルサは魔力弁障害なんだからもう無理をしなくていいのよ」


 ああ、まただ……。


 エルサは、病気を理由に気を使われたことに落ち込む。

 魔力弁障害ということがわかってから、それを理由に何もさせてもらえないことにうんざりしていた。


「ちょっと、どこにいくのよ?」

「師匠の言い付け通り休んできます」

「そう、手が空いたらまた訓練見てあげるから、それまで勝手なことするんじゃないわよー」


 エルサが歩き出し、後ろからカロリーナがそう叫んだのが聞こえたが、それを素直に守る気はエルサには無かった。


「大した魔獣はいないって言ってたよね。ゴブリンやボアかな?」


 エルサは、カロリーナの忠告を無視して、魔獣相手に訓練をしに森の奥へと進んでいく。


 精霊の樹海とは違い、木の根もそれほど張っていなくエルフ族にとって非常に歩きやすい山道であったが、子供のエルサには少々きつかった。


「やっぱり、身体は動かさないとすぐダメになっちゃうなー」


 どこぞの運動不足の中年オヤジよろしく、エルサがばててしまったことの感想を漏らしたとき。


 それほど遠くない場所で誰かが会話している声が聞こえてきた。


「ヒューマンかな? でもそんな話聞いてない……」


 名前があるのかわからないけど、便宜上西の森とエルサたちは呼んでいた。


 その西の森に到着してから既に二週間が過ぎていた。

 定住する場所を求めて大人たちが探索しているが、今のところ良さそうな場所は見つかっていない。


 当然ヒューマンの存在も確認されていなかった。


 実際は、森を出て更に西へ進むと、それほど遠くない場所にヒューマンが住む村があるのだが、森の探索が終わっておらず、森の外のことまで調査する余力がなかった。


 本来であれば、ヒューマンを警戒すべきなのだが、精霊の樹海でヒューマンを見かけることが殆ど無かったため、そのことを少し軽んじている節があった。

 ただそれは、フォルティーウッドのダークエルフたちが最深部に近い場所に住んでいたため、ヒューマンを見かけないだけだったのだが、精霊の樹海の中域まで冒険者がやってくることはあったのだ。

 ベルンハルトたちは、そういった知識や経験が欠けているのかもしれない。


「どうしよう……師匠を呼びに行った方が良いかな。でも……」


 エルサは、カロリーナを呼びに行こうとして、やめた。

 そんなことをしたら勝手に森の奥へ行ったことを咎められてしまう。


「うん、もしかしたら現地のエルフたちかもしれないし」


 外界に出ているエルフ族は、もっぱらヒューマンや亜人の国に住んでおり、精霊の樹海に住むエルフ族以外で森に住んでいる部族はいないのだが、エルサがそんなことを知っているはずも無かった。


「ん、戦っている!」


 エルサが色々考えている間に、声の主たちが緊張感のある声をあげて、魔法名を叫ぶのが聞こえてきた。


「ウィンドカッター? 風魔法だ。エルフかもしれない!」


 呪文詠唱は聞こえてこなかったが、魔法名は聞き取ることができた。

 エルサは、走ってその場に急行する。


 声がした場所にエルサが到着すると、既に戦闘は終わっており、頭が落ちたフォレストウルフの元に一人の少女が近付いて行くところだった。


 その少女の見た目は、エルフにしては珍しい栗色の髪を腰の辺りまで伸ばしていたが、ウッドエルフに多い深緑の瞳をしており、極めつけには尖った耳をしていた。

 よく観察すれば、エルフ族にしては尖っていてもその耳が小さいことや、革の胸当ての下にヒューマンが好んで着るワンピース姿であったのだが、エルサはそのことよりも、エルフ族に会えたことに意識を奪われていた。


 だからつい声をあげてしまった。


「やっぱり!」


 その声に気が付いた少女がエルサの方を見た。


「誰!」

「あ……」


 その少女とエルサは見つめ合い、エルサは咄嗟に口を覆うが、既に遅い。


「ミリア、どうしたんだ?」

「ユリア、あっち」


 別の少女が現れ、ミリアと呼ばれた少女がエルサの方を指差した。


「え、ヒューマン!」


 ミリアの隣までやってきたユリアの姿を見たエルサは驚愕した。

 ほど良く日焼けした肌に映える燃えるようなくせっ毛の赤髪の少女は、ヒューマンだった。


「ヒューマン?」


 エルサの言葉をオウム返しし、獅子のように輝く黄色い瞳がエルサを射抜く。

 持っていたロングソードを肩に担ぎ、エルサを品定めするように頭からつま先までじっくり観察してくる。


「あ、えーっと……」


 エルサは思わずしどろもどろになる。


 ど、どうしよー。


 エルサは、内心パニックに陥った。

 

 エルサは、発見されないように近付いて、声の主の正体がヒューマンであれば、そのことをベルンハルトたちに報告するつもりだった。

 でも、ミリアを見てつい声をあげたせいで、ばっちり姿を見られてしまった。


「あら、ダークエルフじゃない? こんな場所で出会うなんて珍しいわね」

「えっ、なんでわかったの!」

「はあああー? そんな褐色の肌に白銀の髪で銀色の瞳よ! もう、身体全体でダークエルフって叫んでいるようなものじゃない。バカなの! ねえーあんたバカなの!」


 お人形のような可愛らしい金髪碧眼の少女は、現れるなり、その見た目から発せられたとは信じられないようなバカにした声音で指摘した。


 いや、実際にバカと言われてしまった……二度も。


「……ローラ……」

「な、何よ、ディビー……」

「……言い方……」

「あ……」


 また一人、変な少女が現れてエルサは更にパニックになる。


「ま、魔族うううー!」

「「「はあああー!」」」


 エルサがそう叫ぶと、金髪碧眼のローラ以外が素っ頓狂な声をあげた。


「だ、だってライトグリーンの髪って言ったら魔族でしょ!」


 エルサは、ライトグリーンのお河童頭をしたディビーの頭を指差して叫んだ。


 エルサは小さいころに読んだ物語に出てきた魔人の髪の色がライトグリーンだったことからそう言ったのだが、全くの偏見である。


 確かに魔人は、得意な魔法系統の色に髪質が変化する特徴があるのだが、それはまた別の話。


「私の両親は人間よ!」


 ディビーは当然反論するのだが……。


「いえ、あながち間違いでは無いかもしれませんわよ、ディビーさん」

「「「「え!」」」」


 エルサは、突然ローラの口調が淑女らしくなったことに驚き、他の三人はローラの発言に反応した。


「それに、ユリアだってその燃えるような赤髪は、獅子獣人の特徴よ」

「「「!!!」」」


 エルサのことを無視して、その少女四人組は勝手に盛り上がっていた。


 えっ、ナニコレ?

 わたしは、帰って良いよね……。


 ローラに因る種族の起源講座が始まり、エルサは完全に蚊帳の外であった。


 エルサが忍び足でその場を去ろうとした、そのとき。


「ちょっと、そこのあなた。何か聞きたいことがあったのではなくて?」


 ローラが突然エルサの方を向き声を掛けてきた。


「え、いえ、特に……何も……」


 ヒューマンのことを良く知らないエルサであったが、見た目からローラたちは一〇歳にも満たない子供に見えたのだが、ローラから異様な圧力を感じた。


「そう、精霊の樹海から来たのではなくて?」

「え、何でわたしたちが移住して来たってわかるの!」

「移住? てっきり迷ったのかと思っていたのだけど……そう、移住ね……」

「あ……」


 エルサは、良く言えば素直なのだが、ヒューマン相手にそれは非常に不味い。

 それは、獣人と違い蛮族扱いされているエルフは、奴隷商人に高く売れるため盗賊たちの恰好の的なのである。

 

 ローラは、エルサのことを外に興味を持って出て来たは良いが、迷子のダークエルフだと思っていたのだ。


「わ、わたしたちは強いわよ! ヒューマンなんかに捕まらないよーだ!」


 エルサは内心で自分の発言を後悔しながらその場から一目散に逃げる。


「あー、わたしのバカバカバカあああー!」


 叫びながら身体強化アクセラレータを使用して風になってその場を離れたのだが、


「ぐふっ!」


 後ろから凄い勢いで体当たりされ、エルサは顔面から滑るように着地した。


「うー、口の中に土が……それより、降りてよ……」


 起き上がろうとするエルサだったが、ローラが上に載っておりできなかった。


「あら、ごめんあそばせ。いきなり逃げるあなたが悪いのよ」


 そう謝るローラであったが顔は笑っていた。


 ヒューマン、それも自分より幼い子供に捕まるなど思っていなかったエルサは、完全に遊ばれていると思い完全に心が折れた。


 でも、どうやらその少女四人組は他のヒューマンとは違い、エルサたちダークエルフに興味は無いらしい。


 当然と言えば当然かもしれない。

 一〇歳にも満たない子供たちが盗賊や奴隷商人と繋がりを持っているはずも無かった。

 むしろ、そんな密告めいたことをされたら、エルサは本気でヒューマンを嫌いになるところだった。


 それでは、態々追っかけてきた理由を聞いてみると、ここ西の森周辺ことを教えるつもりだったらしい。


「へー、じゃあここは東の森っていうのね」

「そうよ。まあ、名前が無いからわたしたちが住んでいるテレサ村から見て、東にあるからってだけだけどね」


 今更淑女ぶっても遅いと仲間から指摘され、ローラの口調は素に戻っていた。

 実のところローラは、そのヒューマンが住むテレサ村領主の娘らしかった。


 立場的には族長の娘であるエルサと変わりは無いのだが、ヒューマンは口調も気にしなければいけないのか、とエルサはどうでもいいことを考えていた。


「それで、そんな大所帯だとここで暮らすのは難しいわよ。畑でも耕すなら別だけど、そんなことしないでしょ?」

「うん、わたしたちは自然の恵みを糧に生活しているから……」

「そうよね。あと、わたしのパパはそんな偏見は持っていないけど、バステウス連邦王国が近いしそこから盗賊が流れてくる危険もあるしね」

「そうなんだー。盗賊には苦い思いしかないなー」


 エルサは、一時捕虜になったときのことを思い出し苦笑いをした。


「まあ、世界樹から離れればマナが薄いのは仕方が無いことよ」


 ローラの知識の多さに驚きだが、あっけらかんとした性格のようで彼女には好感がもてた。


「へー、世界樹のことも知っているんだね。ヒューマンを侮っていたかも」

「ああ、ヒューマンは、魔法が苦手だものね。エルフからしたら下等生物も良いところだわ」


 エルサは、小さいころからヒューマンは、魔法の扱いが下手な癖に、傲慢で狡賢い下等生物だと教わっていたのだが、エルサを凌ぐ身体強化魔法や色々な種族の起源もまた然り、大陸のことを知っているローラの聡明さに、認識を改めることになる。


「わたしからアドバイスするとしたら、もう少し北上することね」

「北に行ったら何があるの?」

「ここよりもマナスポットが多いわね。ああ、魔力溜まりのことよ。それと、その森はベルマンの森っていうのだけれど、熊獣人のベルマン伯爵が治める領地だから、交流も持てると思うわよ。きっと、ダークエルフが作るポーションなら高く売れるだろうし、それで食料等の生活必需品の購入代金に充てたら良いと思うわ」


 そのあとも話は続き、注意すべきこと等色々教わった。

 その見返りという訳では無いが、エルサはローラたちに身の上話をしたりした。

 その他にもたわいのない話で盛り上がり、日が暮れる時間が迫ってきたため、エルサはローラたちと別れた。


 そして、ある約束を交わすのだった。


 エルサは、仮拠点に戻ってくるなり、ローラから教わったことをベルンハルトに報告した。

 当然、厳しく叱られたのは言うまでもない。


 その後、ベルマンの森へ調査探索が行われ、全てローラの言う通り住みやす場所であることが判明した。


 そして、フォルティーウッドのダークエルフたちはベルマンの森に定住し、エルサはその先ずっと幸せに暮らすことに……はならなかった。


 移住し安定した暮らしを送れるようになったのは間違いなかったが、ローラに簡単に捕まったことが相当悔しく、エルサの訓練は激しさを増した。


 カロリーナの指導の元訓練をしたのは当然だが、その訓練が終わっても人目を盗んで魔法の訓練などを一人で行っていた。


 時には、ベルマンの森で魔獣狩りをする冒険者たちの魔法を魔法眼で盗み見して、使える魔法の数を増やした。


 そうして着実にエルサは成長していた。


 保有魔力も増加し、一日二〇発までなら魔法を使用できる量となっていた。

 ただし、魔力弁障害の影響で丸々消費して良い訳では無かった。


 時が経つに連れて、漏れ魔力の量も増大していった。

 エルサの症状は深刻化していたのだ。


 魔力弁障害だとわかって四年が経ち、ついにエルサは寝たきりの生活を余儀なくされた。


 応急処置としてマジックポーションを服用して、魔力の枯渇を防いだが、それは焼け石に水状態で、直ぐにエルサの魔力は霧散してしまった。


 そこで、アメリアは巫女の継承儀式を行うことを決心した。


 それは、シュタウフェルン家に伝わるスキル譲渡魔法で、巫女は代々その魔法により魔力自動回復のスキルを継承してきた。


 本来は、シュタウフェルン家を守るために魔法を撃ち続ける砲台の役割を担っていたためだが、いつしか、精霊王に捧げる魔力を少しでも多くするためと認識がすり替えられていた。


 どちらの解釈にせよ、アメリアには無用の長物と化していた。

 怪我の後遺症で戦闘はもはやできない。

 更に、精霊の樹海を飛び出した今、安寧の祈願を行うどころか巫女の役職は廃止されている。


 その儀式はエルサが床に伏せっている間に行われ、その事実も伏せられた。

 この継承魔法は、本来巫女が自分の寿命を察知して次代の巫女へ継承する魔法であるため、かなり多くの生命力を消費する。

 それはアメリアの寿命を縮める行為であり、それを知ったエルサが悲しまないようにするためであった。


 継承儀式の影響を心配されたアメリアは、まだ七〇歳という若さのため、その影響はなさそうだった。


 表面上は……。


 巫女の継承儀式は無事成功し、エルサは見事回復して元のように生活できるようになった。


 いきなり回復したエルサは、疑問に思うところがあったが、継承儀式の事実を知らなかったため、幸運に恵まれたと思っていた。

 実際、奇跡が起こったと里のみんなから言われれば、そう信じたのは自然のことだろう。


 しかし、その幸運も長くは続かなかった。


 継承の儀式からそれほど時がたたないうちに、エルサはまた寝たきりとなってしまった。


 実際は、魔力が漏れているにも拘らず、気分が悪くなるほど魔力が有り余っていたため、エルサは人目を盗んで魔法の訓練をこっそり再開していた。

 それに、魔法を使うと気分が楽になることもあり、積極的に寝室を抜け出して夜の森を訓練がてら彷徨うことが多くなった。


 しかし、寝室を抜け出していることがバレてしまい、監視を付けられて二日ほど経ったある日。

 エルサは、倒れてしまったのだ。


 その症状は魔力切れのときのように気を失うことは無かったが、意識が混濁し、まともに話すこともできなくなっていた。


 だから、伝えることができなかった。


 魔力が十分にあることを。 

 そして同時に、巫女の継承儀式が行われたことにも気が付いてしまった。


 エルサが倒れたことに一番ショックを受けたのは、ベルンハルトであった。

 エルサが倒れた事実とスキルの効果がなくなってしまったと勘違いして余計に途方に暮れた。

 アメリアが寿命を削ってまで行った継承儀式が無駄になったと思ったのだ。


「ベルンハルト……」

「なんだい、アメリア」

「イルマさんを頼りましょう」

「何? どこにいるかもわからないあの放蕩女王をか?」


 どうしたら良いかわからなくなっていたベルンハルトとは違い、アメリアは冷静だった。


「半年前に勇者召喚が行われたのは聞いていますよね?」

「ん、ああ。そうらしいな」

「どうやら、それにあのイルマさんも関わっていたらしいのですよ」

「そうなのか? そんなイメージは無いのだが。どうしてそれを? 俺だって知らないのに」

「いえ、はっきりとではないのですが……」

「もしかしてアレか? エルフの賢者があの女王だというのか」

「ええ、恐らくそうだと思います。あの方なら何かわかると思うのです」

「……いや、だめだ。ウッドエルフは信用できない」


 ウッドエルフの女王こと、イルマ・アデリーナ・シルヴェーヌ・ドノスティーア・ウェイスェンフェルトは、治癒魔法が得意とされている。

 イルマは、六〇〇歳を超えるハイエルフで、魔法だけではなく錬金術も極めているとされている。

 だから、アメリアは少ない可能性に賭けることにしたのだ。


 その他の方法が考え付かないことから、ベルンハルトもその賭けに乗ることにした。

 それから急遽、イルマがいるとされているサーデン帝国の帝都サダラーンへ向かう部隊が編成された。


 盗賊が出ることも懸念されたが、ベルマンの森周辺は元獣人族の王国で、ヒューマンたちの数は少なく。

 また、奴隷狩りが厳し取り締まりをされていることから、速度重視で少数編成だった。


 それが失敗だった。


 せめてベルンハルトやカロリーナが同行していれば結果は違ったかもしれない。


 アメリアが数日前から体調を崩し気味になっており、その看病のためにベルンハルトはアメリアの元を離れられなかった。


 カロリーナは、エルサの着替えなどを準備して後から追いかける予定になっており、エルサが乗せられていたはずの駕籠をカロリーナが見つけ、その周辺に倒れたダークエルフとヒューマンの亡骸を見て絶叫することとなる。


 そこにエルサの姿は無かった。



――――――



 エルサが盗賊に襲われて、既に一週間が経っていた。


 身体を動かすことはできなかったが、辛うじて意識だけはあった。

 しかし、全身に絡みつくじりじりと焼けるような鈍い痛みが絶え間なく続いていた。


 ここがどこかもわからない。

 薄暗く鼻につくような糞尿の臭いが漂い、数メートル先に鉄格子が見える。

 捕らえられていることは理解できたが、今のエルサにはどうすることもできない。


 ベルマンの森の出口付近で盗賊に襲われたとき、エルサは護衛のダークエルフたちが殺されるのを見ていることしかできなかった。


「ああ、またわたしのせいで犠牲が……」


 エルサは、また何もできなかったことに対する悔しさでどうにかなりそうだった。

 強くなると心に決めて、年頃の子供がやるような遊びをせず、その友達とも関係を断って訓練に励んだにも拘わらず、結局何の役にも立たなかった。


 里のみんなを守るどころか、自分の身すら守ることができなかった。


「死にたい……こんなに辛いなら、もう、死にたいよぉ……」


 何者にもなれなかったことに、エルサは生きる活力を失ってしまった。 


「わたしの人生、何も良いことなかったな……パパ……ママ……ごめんね」


 薄暗く冷たい牢屋の中に横たえながら、投げ出された動かない右手を見つめる。


「動かない……何で動かないのよおおおぉぉぉ……」


 エルサは心の中でそう叫んで、泣いた。

 涙が頬を伝うのを感じるが、それを拭うこともできない。


 意識が朦朧としてきて、目を閉じてしまいそうになる。

 そのまま意識を失ったら、もう目覚めることは無いだろう。


 エルサは、直観的に自分の死が目前に迫っていることに気付いた。


「お願い! 神様! 少しでも、ほんの少しで良いから自由に身体を動かせるようにしてください!」


 エルフ族が信じるのは精霊王のみなのだが、ベルマンの森に住むようになってから、ヒューマンや亜人たちの習慣を聞き及ぶ機会があった。


 創造神デミウルゴス、安寧と豊作の女神モーラ、愛と戦の女神ローラ、そして英雄神テイラーの存在を。


 そんな彼らはその神々から神託を受けて勇者を召喚するらしい。

 エルサは、何故英雄ではないのだろうと疑問に思ったことがあったが、今はどうでも良い。


「どんなことでもするから!」


 死にたいと思いながらも、視界がかすみ、いざその命の終わりがもう間もないことに気が付き必死に抗おうと懇願した。


 それからどれくらい経ったかはわからない。

 数分だったのか、数日だったのか……。

 エルサは、いつの間にか身体が軽くなっていることに気が付いた。

 そして不思議な感覚に目を凝らしてみると、


「魔力が動いている」


 魔法眼のスキルに因り周りに滞留していた魔力が移動していくのが見えた。

 そしてさっきまで動かなかった右手の指がぴくっと、少しだけ動いた。


「動いた!」


 エルサがそう思ったと同時に、一人の青年が檻の前に、小太りの男と一緒になって現れたのだった。


 魔力が、エルサを蝕んでいた魔力がその青年の方に流れていき、そして彼の中に吸収された。


「あれは……ヒューマンの騎士? ああここは奴隷商なのね」


 その青年と奴隷商の男がエルサのことを話しているのが聞こえてきた。


 その青年は、ヒューマンにしては大柄、身長が二メートル近くある体躯で、白銀の鎧を身に纏っていた。

 だた、あまり見かけない黒髪と黒の瞳といった風貌で、目鼻立ちがくっきりしていて、あの森の王者といわれるフェンリルもかくや勇ましい顔立ちをしていた。


「もしや、アレは勇者?」


 その風貌からその青年のことを最近異世界から召喚された勇者だと思った。

 まさに、エルサを迎えに来た勇者であると。


 しかし、話の流れから魔力弁障害の話になっており、雲行きが怪しくなった。


 これが最後のチャンスだと思ったエルサは、弱った身体に鞭を打ちなんとか立ち上がり、青年の元へゆっくりと近付く。

 息苦しいが、その青年に近付けば近付くほど、身体が軽くなるのを感じた。


 そうして、手が触れられそうな距離まで近付いたとき。


「きみは?」


 目を見開いて驚いた表情をしたその青年から名前を聞かれた。


「わたしは……エルサ。わたしを……買って……ください」


 なんとかそれだけ言い切って、


「うわ、ちょっとっ」


 無理をしたせいで、そのまま鉄格子越しに倒れ込んでしまった。

 危なく檻にぶつかるところだったが、その青年に受け止められそれは避けられた。


 その瞬間、信じられないほどの幸福感がエルサを満たした。

 魔力が抜けていくのを感じたが、その代わりにその青年の優しさが流れ込んで力が漲る感覚をエルサは感じた。


 そして、それが凄く身近で暖かい感覚だということをエルサは思い出した。


「ああ、コウヘイ……」


 エルサは、青年の名を呼ぶ。


「ん、エルサ。気が付いた?」

「んん?」


 エルサは違和感を感じて、目を開けた。


 そこには心配そうな表情をした黒髪の青年の顔があった。


 ベッドに横たわったエルサのことを覗き込んでいるのはコウヘイだった。

 コウヘイの左手はエルサの右手を握っており、右手はエルサの頭の上に乗せられていた。


「あれ……ここは? みんなは?」


 エルサは、フォルティーウッドのダークエルフたちのことを言ったのだが、コウヘイがそのことだとわかる訳は無かった。


「エヴァはまだだけど、他のみんなならいるよ。ただ……」

「ただ?」

「眠っているのに変な声が出ていたから隣の部屋に移動してもらったんだよ」


 コウヘイは頬を染め、そっぽを向きながら事情を説明した。


 どうやらエルサは夢を見ていたようだった。

 顔を横に振って見てみると、テレサの町の白猫亭の部屋だと気付いた。


 ああ、そうだった。

 イルマとエヴァと朝食を取っていたら、コウヘイとミラちゃんが戻って来て、昼間っから宴会になったんだった。

 酔い潰れちゃったんだ、わたし……。


 エルサは、記憶を探り今の状況を思い出した。


 そして、眠りながらも苦しんでいるエルサを見かねて、溢れた魔力を吸収してくれていたのだと、コウヘイの説明で理解した。


「そっか、ありがとう」


 エルサはそう言って、素早くコウヘイの頬にキスをした。


「な、いきなりなんだよ」


 コウヘイは、頬を薄く染めながら照れ笑いをした。


「へへ、内緒おー」


 エルサは、その様子を可愛く思い、はにかむ。


 そして、


「これからも宜しくね……わたしの勇者様」


 と、呟くのだった。


「ん、何か言った?」

「ううん、何でもなーい」


 エルサは、もう一人で頑張る必要は無い。

 コウヘイと言う主人? 仕える勇者を得て、エルサは自分の役割を得た。


 わたしは……わたしのできることをすればいいんだ。


 わたしは、エルサ・アメリア・シュタウフェルン・フォルティーウッド。


 フォルティーウッドのダークエルフにして、シュタウフェルン家代表の巫女。


 わたしが魔力を捧げるのは精霊王じゃない。


 わたしの魔力は、全てコウヘイのもの。


 コウヘイがこの大陸に安寧をもたらしてくれる。


 エルサは、そう信じてコウヘイの巫女となるのだった。

如何だったでしょうか?

続きが気になる方は、連載版も御座いますので宜しくお願いします。

「追放されたダークエルフ、いえ精霊王が信用できないので移住します」

(https://ncode.syosetu.com/n2616fc/)


その場合は、ロッキングヒュージタートルの話が七話になりますので、八話からお読みください。

誤字報告や感想、更には評価をいただけると嬉しいですm(_ _)m

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