テディベアー
ほんの少しグロテスクな表現があります
流血が苦手な方はその点を考慮願います
「ごめん。別れよう?」
そう言って少年は少女に背を向けた。
待ってと叫ぼうとした少女の喉は、渇いて張り付きかすれたと息を吐き出しただけ。
徐々に小さくなり行く少年の背中を追いかけることもできずに、まるでそこに根が生えたかのように少女は立ち尽くすことしかできなかった。
→→→→→
あれから3日。
これほどまでにあの少年の存在が少女の心の中を埋めているなんて思わなかった。
その彼が去った今、少女の心は空洞だらけ。世界を見る目は虚ろで、そんな眼が見る世界に色はない。
もう全部がどうでも良くなった。
そして同時に納得もする。
なるほど、生きる意味がないのは、自分が存在する価値がないことで、私が死んでも世界は何も変わらなくて、ただ私という存在が過去になるというだけなんだ。
至極当たり前のことだけれど、何となく初めての発見のように納得してしまった。
うん、じゃあ、死んじゃってもいいよね。どうせ、私なんていらない存在だったんだし。さて、どうやって死のうか。苦しいのは嫌だな。でも、うーん。一番手っ取り早いのは…。あ、そうだ。面白いこと思いついた♪
会心の笑みを浮かべて、早速少女は準備に取り掛かった。
まず、いるのは、型紙に裁ち鋏。それから、綿とフェルトとボタン。エーっと、あとは・・・なんか面倒だ。いいや、手芸屋に行けばキットとかそんなものがあるだろう。
楽しいことを考え付いた途端、世界の全てが急に鮮明になった気分だ。心は羽が生えたかのように軽くなってとても気持ちいい。
さぁ、手芸屋に行こう。思い立ったが吉日、だ。
→→→→→→
あっという間の3日間。
少女の不器用なソレは完成した。
満足したように笑みを浮かべ、少女はソレを見ながら、うんと頷く。
茶色いフェルトをベースにした、小さなテディベア。
それを左手に持ち、右手には台所からとってきた先の尖った刃の長い刺身包丁。たぶん、これなら良く切れるはずだ。
さぁ、準備は整った。あとは覚悟と勇気を決めるだけ。
少女は瞑想するように目を閉じ、口に笑みの形を作った。
――さよなら、私
少女の部屋は血塗れだった。
赤いペンキをぶちまけたようなその惨状は、第一発見者の母親を失神させるほどに。
即座に駆けつけた警察ですら、少女の部屋に入るのを躊躇するほどに。
部屋の中心で血溜まりの中に倒れる少女は笑顔で、近くには包丁が落ちていた。
そのすぐ隣には、血で濡れそぼった元の色が判別不能なテディベアとそれを隠すように溢れ出た少女の内臓たち。
自分でつかみ出したのであろうか、少女の血と体液と肉片とその他諸々のものにまみれた手はその肝臓たちの中埋もれていた。
躊躇して入ってきた警官たちの中には、この惨状としか言いようのない光景を見て吐瀉するものまでいた。
少女の身体は司法解剖のために検察へと送られることになったのは数時間のちのこと。
部屋の状況や最近の少女の挙動から、警察は自殺と断定し事件を進めているのだという。あとは、遺書が見つかれば決定的だとか。
そんなことを少年が知っているのは、もちろん重要参考人として取調べを受けたからで。
取調べをした警察の人たちが、ご丁寧にも少女の部屋のことを描写してくれたので、その日は食事をとることすらできなかった。忌々しい。
そういえば、1つ気になったことがあった。
どうせ馬鹿にされるだろうと、警察には言わなかったことだが。
というのも、血たまりの中にあったというテディベアのことなのだが、彼女はそういったものを作るのはどちらかというと嫌っていたし――自分がとても不器用なのに劣等感を持っていたからだけれど――だいたい、自殺する人間がわざわざそんなことをするものなのだろうか?
少年はその疑問を解消すべく、遺留品として少女の家族の元に戻ってきたテディベアを、頼み込んで見せてもらった。
もしかしたら…。
ある日の少女の言葉がよみがえる。
――人間の行動にはね、必ず意味が伴うんだよ。本人以外にとってはどんなに無意味に見えても、必ずそこには意味が在って意思が在って理由が在るの。
そういった少女は推理小説なんかが大好きだった。何でも人間の細かい一つ一つの行動すべてに意味があるように書かれているから、だとか。少年から見れば、それは単に推理に信憑性を持たせる合理化にしか思えなかったのだが。
少女の死因は出血死。しかもグロテスクなことに自分で腹を掻っ捌いて内臓を引きずり出したのだとか。
その中に埋もれるように置いてあったテディベア。
これが何を意味するのか。
もしかすれば…。
はやる気持ちを抑え、少年はデスクの上の鋏を取り人形のお腹にメスを入れるように斬る。
ぽんと赤い花が咲いた。
ぎゅうぎゅう煮詰められた綿が、あたかも花のように周りに飛び散ったのだ。
それは、今の少年には腹圧で抑えられていた腸が飛び出てきたように思えて仕方がなかった。
なにせ、飛び出てきた綿というのが全て赤黒かったのだから。
乾いた血だということはすぐにわかった。それも、おそらくこれを塗った本人の血。
わざわざ自分の身を切り裂いて、己の地に綿を浸してこの熊に詰めたというのか。明らかに常軌を逸している光景に、少年はゾッとした。
それでも、ここまで来てやめるわけにもいかず、恐る恐る綿を全部出す。少女が彼女自身にしたことと同じように。
あぁ、そうだ。これは再現なのだ。少女が死んだときの。
何となくそんな考えが頭の中に浮かんできた。
だんだんそれが本当のような気がしてきて、慌てて少年は頭を振ってその思考を追いやる。
綿を全部つまみ出した手に、かさりと違う感触が伝わってきた。
ビンゴ、か?
血塗れの折りたたまれた紙を破かないようにそうっと開いた。
――愛する君へ
簡潔に、ただ一言。
比喩も何もない、わかりやすい呪いの文章。
それだけなのに、彼女の怨念めいた想いが自分の心にどす黒いものとして圧し掛かってきた。
少女の存在は過去となったが、少年の心の中では彼女の存在は永遠に現在に在り続けるのだ。




