黒い天使短編「無実の有罪」9
黒い天使短編「無実の有罪」9
ユージが調べた医学的な再捜査。
そこにはコーウェンの犯罪ではないことを裏付ける証拠が。
だが、それでもヴィクトリアは裁けない。
その時、アレックスは最後の切り札を出す。
***
すでにユージはこの会議室の状況を把握している。
ユージは入るなり自分の名前を告げ、「ここに新証拠がある」と言ってレポートをアレックスに手渡した。
それを一読したアレックスは満足そうに頷く。
「では、その証拠をこのユージ=クロベ捜査官に説明してもらう。彼はFBI捜査官兼医者だ。つまり彼は今から医学的見地による新証拠の解説をしてくれる。宜しく頼む」
ユージはヴィクトリアの前に立つと、「お嬢さんのプライバシーのためだ。マスコミ、一旦この質問の間カメラは止めろ」と命じ、それからヴィクトリアを見た。
「ヴィクトリア。返答は任意で強制じゃない。だが捜査上重要な質問だ。美人の君に不躾にこんなことを聞くのは気が引けるが仕事なんでね。君は処女か?」
「何? 折角格好いい二枚目のお兄さんなのに、そんな失礼な事をいきなり聞く?」
「レディーに失礼なのは十分承知だ。だから答えなくてもいいが、言ってくれるほうが助かる。令状を取って、医務室で調べたくはない」
「俺の分析では彼女に男性経験はない。まぁ標準より上の容姿があり髪を長く伸ばしているのは女性としての自信の表れだ。これでIQが高いとなれば同年代から20歳の発情期の馬鹿なガキを恋愛相手には選べない。自分を高く評価しているから自分に釣り合う人間以外恋愛対象にならないタイプだ」
アレックスは全部見ている。
今ユージが現れたとき、ほんの僅かに彼女の頬が緩んだ。ユージを異性として好意的に認識した。ユージは犯罪者にとっては死神だが、知らない人間には長髪で端正な顔立ちを持ちクールで知的な印象を持っている美青年だ。FBIという堅苦しい雰囲気はなくビジュアルは俳優や歌手のほうに近い。だから大人の女性より若い娘に好かれるタイプだ。そして医者という職業が高い知性を裏付けている。それがヴィクトリアの興味を刺激したのだろう。
「どうかな、ヴィクトリア。イエスかノーか?」
「貴方が相手をしてくれるなら、今すぐにでもヴァージンは捨てるわ」
「回答ありがとう。光栄だ。じゃあ、証拠の説明をしよう。本当は君みたいな子には聞かせたくないが、当事者だから仕方がない。カメラ、回していいぞ」
そういうとユージはUSBをアレックスに手渡した。
直ぐにアレックスはその中のデーターをモニターに映す。
それは何かの検査結果の表示のようだが、画像が二枚。その画像は床に放置された使用済みのコンドームだった。
「レイター家の犯行現場に残されていた証拠品だ。使用されたコンドームで、中からはコーウェンの精液が確認されている」
「それがどうしたというのだ捜査官」とガウェイン。
「問題はそこじゃなかった。外側についている女性の体液だ。血液と膣分泌液が付着している。そして簡易検査でアルカリ性だと判断された。この書類はその正式な分析結果だ」
それがどういう意味か……誰も分からない。
だがユージは知っている。これは科学医学の分野の話だ。
「SEXの時女性の膣からは分泌液が出る。最初に出る愛液は酸性で成分は汗に近い。だが女性ホルモンが分泌されてオーガニズムを起こすと愛液はアルカリ性に変化する。つまり、このコンドームに付着した女性はオーガニズムを起こしていた事になる」
「つまり<SEXで快感していた、という事か? クロベ捜査官」
「そういう事だ。ここで矛盾が起きる。12歳と15歳の未性交女子がレイプされてオーガニズムを起こすか? 被害者二人の女子は検死で外陰部から子宮頚まで外傷が広く確認されているし処女膜も破られている。ひどい激痛だったはずだ。素人にも分かりやすく言えば、股が裂けている」
「処女の少女の股が裂けるほど激しいSEXで快感を覚えるはずがない、という事だな? クロベ捜査官」
「俺は女じゃないから破瓜の痛みは知らないが、科学的にはそういう事だ。つまりあのコンドームは現場で使用されたものじゃない」
「ありがとう、クロベ捜査官。ということでコーウェン犯行説はこれで覆った。では誰か? 男じゃない。男ならそもそもコンドーム自体現場に残さないしレイプするのにコンドームを使う人間は少ない。つまり女性だ。それは少女二人に加えられた暴行の加減で分かる。SEXを知っている大人の女性はない。つまり、犯人は処女の少女……ヴィクトリア、君だ。コーウェンから使用済みのコンドームを受け取り利用した」
「そんに破廉恥な要求を15歳の女の子から頼まれてやる?」
「相手がナターリャのDNAを確保するため、だという理由だとしたらコーウェンはやる。ヴェカのDNAを調べるならナターリャのDNAもあればより関係ははっきりする。ナターリャは売春婦だ。金を払えば可能だ。そしてそれが事実であれば、コーウェンは豊満で熟れた大人の女性を愛せる男だ。少女性愛の癖はなく、レイター家の少女二人をレイプする理由はない。普通なら母親をレイプする」
マスコミ、そして控えていた刑務官や州警察ポール=ニードルス警部補が色めき立つ。
これはもう推論ではない。科学的根拠のある決定的な証拠だ。何よりヴィクトリア自身が自白もしている。
「逮捕だ! 拘束しろ!」
ポール=ニードルスが顔色を変え怒鳴るとヴィクトリアに向かう。
だが、すかさずガウェイン弁護士が立ちはだかった。
「何の容疑で逮捕するんです!? ニードルス警部補!」
「むろん殺人だ! 自白もしたじゃないか!」
「何の事件で、です? レイター一家殺人事件はコーウェン=ギブスの犯行として結審し、その刑が執行を終えた! もう事件はどこにもない!」
「なっ! 何っ!?」
困惑するニードルス。
確かに裁判は終了、刑も執行された。
その後真犯人が出てくるという話は聞いた事がない。
「俺もこんな事例は初めてだ。しかし言うとおり事件そのものはすでに終了し、上告も再捜査もできないかもしれない」
アレックスは冷静にニードルスを制する。
これがもしコーウェンが無罪を訴えていた冤罪事件で無罪を争い、真犯人が出てきたのであれば名誉回復裁判を起こせるかもしれない。しかしコーウェンは刑を受け入れ事件は終わってしまった。今更ヴィクトリアを逮捕し告訴できるのか。ヴィクトリアを有罪とするのであれば司法が無実のコーウェンを殺してしまった事になる。その事実は米国の司法と憲法を揺るがしかねない。
これまで後ろに控え聞く側に徹していたガウェイン弁護士が一転、席を立ち上がるとマスコミ、捜査当局、双方を見回した。
「これは一種の<二重処罰の禁止>に該当する。もうヴィクトリアを罰する事件は終了した以上レイター一家惨殺事件で彼女を告訴することはできない。この悲劇の原因は何だ? いうまでもない、死刑制度だ! 懲役が何年でもいい。国が人を殺す……そんな神をも恐れぬ国家権力の傲慢とエゴがなければ、コーウェンの命は失われずすんだ! そして結局事件の真相は分からない。ヴィクトリアが関係しているとしても、それは状況証拠と彼女の自白だけだ。だが本当にそれが事実か? 自白をして物証もあったコーウェンは殺人をやっていないというのに、今度はヴィクトリアの状況証拠だけの自白を信じるのか!?」
「そ……それは……」
戸惑うニードルス。
警察と知事側はこの弁に反論できない。
ヴィクトリアの話を信じていいのか。FBIの新情報ではヴィクトリアの話を裏付けてはいるが、絶対的なものはない。コーウェンが犯人ではないという証拠でしかない。ヴィクトリアの犯行を追求できる最大の人間はコーウェンだ。だがそのコーウェンを殺したのは政府で手遅れだ。
「これは知事の出処進退に関わる大事件だ! いや、死刑制度そのものの必要を問うべきものだ! 違うか! 秘書官。そう思うだろう、マスコミ諸君!!」
「た……確かに、こんな事は想定外です。前代未聞です」
「死刑にサインをした知事の責任も免れない」
「警察の捜査方法にも問題があったといえる」
「司法長官と最高裁判所長官も免職になる!」
「大統領の責任だって!」
「大ニュースだ!」
死刑反対協会とマスコミが騒ぎ始めた。彼らはようやく今回起きた事件の本当の意味を知ったのだ。
敵は死刑制度だ!
そして現在のフロリダ知事と政権の責任の追及だ。
火が点いた非難は収まりそうにない。知事秘書官も、ニードルス警部補も顔面蒼白だ。
が……アレックスとユージは平然としている。
「確かに貴重な事例だ。<ヴィクトリア=レイター法>ができるかもしれないな。今後死刑判決に一石を投じるかもしれない」
「ファーレル捜査官! そんな悠長な!」とニードルス警部補が叫ぶ。
「俺は本件の専任捜査官じゃない。言い忘れていたが、俺はFBI本部の行動科学捜査部部長アレックス=ファーレルだ。この事件に興味があったのではなくヴィクトリア=レイターという稀代の犯罪者の研究のため参加したのだ。別に君たち死刑反対協会の意見に反対しているわけではない。はっきり言おう。コーウェンを殺したからこの事件は未解決事件となった。興味深いじゃないか」
今度はユージだ。
ユージは「喫煙していいか?」と一言断り、煙草を咥えながら、同じく平然という。
「俺も部外者だ。同じく興味深いじゃないか。15歳の愛らしい少女が、こんな大事件を仕出かしたんだ。研究に値する。我らFBIも踊らされたわけだ」
「アラ♪ じゃあ今度ゆっくりお相手してくれる? クロベ捜査官」
「NYの最高の日本食レストランに招待するよ。だけどその前に一つ確認したい」
「何?」
「君の狙いが、死刑反対という高邁な理想によるもの。憲法に議論を問いかける、それが目的だった?」
「ええ。ご覧の通り……議論になったでしょ? 政府はこれまで歯牙にもかけなかったのに」
「戦略的行動なわけだ」
「そうよ」
「自分の家族を失う事は辛くないのか?」
「……つらいわ。でも、私がもっと大きな舞台に出るため必要だった。私という天才にふさわしい舞台のため。コーウェンだけは分かってくれた。だから私に協力してくれた。ガウェイン弁護士も、他の皆も……今の腐った合衆国を正すため力を貸してくれた」
「妹まで殺す事はなかったのに。あの子だけは助けてあげて欲しかったな」
「そうね。そこは私もつらいわ」
「長く苦しんだのか?」
「いいえ。パパとママは毒だから苦しんだかもしれないけど、メアリーは寝ているとき、そっと首を絞めたから苦しんでいないと思う。あの子は眠るように息を引き取ったわ。でも、さすがにガソリンをかけていた時は涙が出たけど」
「毒なんか簡単に手に入らないだろう?」
「簡単よ。学校の理科室にはいくらでも劇物があるもの。学校の管理なんてお粗末なものなんだから」
「そうか」
そういうとユージは途中まで吸った煙草をテーブルで押し消し、笑った。
「確かに君は世間に出るべきだ。日本にはこんな言葉がある。<井の中の蛙大海を知らず>……つまり君の事だ」
ユージは振り向き、後ろにいるアレックスに向かい合うと、二人はパンッとハイタッチした。
「?」
「クロベ。お前はジゴロになったほうがいい。その才能がある」
「何でこの役が俺なんだ? 拓でよかっただろう?」
「お前には実績があるからな。少女の扱いに長けている。それにお前からは政府の人間らしくない雰囲気があって女の子受けがいい。お前自身気づいていないだろうが、こんな下衆外道な小娘相手に、ちゃんと本心から同情している。それが彼女みたいな聡い人間は見抜いていた。だから甘い言葉に乗った」
「同情しているよ。こんな事件を起こさなければよかったってな」
二人の会話に、その場にいた全員が首を傾げた。
この二人の捜査官は、何を言っているのか。
その時だ。
これまで勝利の笑みを浮かべていたヴィクトリアの顔から、笑みが消えた。
分からない。だが……何だ、この不安は。
「人はな」
アレックスはニヤリと笑った。
「勝ったと思ったときが一番油断するんだ」
「どういう事?」
「じゃあ、そろそろ幕にしようか。この茶番劇もこれが最後のステージだ」
「どういう事ですか!? 捜査官」
「ある男が面白い情報をもってここにくる。彼を皆で出迎えてくれ」
アレックスはそういうと携帯電話で何か伝えた。
5分後……一人の男が姿を現した。
全員が仰天し、言葉を失った。
現れたのは、コーウェン=ギブスだった。
黒い天使短編「無実の有罪」9でした。
今回はユージのターンでした。
ちゃんと医学的根拠がある捜査です!
暴力だけじゃないんですね、ユージはw
そして同じ犯罪を二重に裁判はできないのも事実です。もっとも厳密にはこの場合それが適応されるかどうかは、本当は協議が必要ですんなり裁判なしというわけではないですが、元々ヴィクトリアたちの狙いはここにあったわけです。だから顔出し告白できたわけです。
だがアレックスが一枚上手!
実は死んでいなかったコーウェン!
これでアレックスたちの王手です。
次回、アレックスの追い詰め編!
ここで終わりではなく決定的な証拠が!
ということでまだ続きます。
これからも「黒い天使短編・日常編」をよろしくお願いします。




