マッチ擦りの少女
原作:マッチ売りの少女 アンデルセン
「マッチ、マッチはいりませんか?」
年の暮れも近い粉雪が舞う夜、雪が踏み固められた街頭で少女がかごに入れたマッチを売り歩いていました。
寒さにさらされ続けた少女の指は痛々しくあかぎれ、一日中出し続けた声はかすれていました。通り過ぎる大人たちはちらりと少女に憐みの眼を向けましたが、誰一人としてそのマッチを買い求める者はいません。
「そこのおじさん、マッチが売れないとお父さんに家に入れてもらえないんです。ひと箱だけでもいい、お願いですから買ってください。」
少女が声をかけるも、大人たちはちらりと少女を見るだけで無言で足早に通り過ぎてゆきます。
夜も更けて人通りが無くなると、重い足を引きずりながら少女は帰路につきました。
途中、街の家々からもれる灯りに引き寄せられるように中を覗き込んだ少女は、暖炉のそばで食べ物を囲み暖かく笑う家族の姿をうらやましそうにながめて言います。
「おばあちゃんが生きていたときはこんなのじゃあなかったのに。お父さんは今と変わってないけど、あのときはおばあちゃんがかばってくれた。ああ、なんでおばあちゃんはわたしを置いて死んでしまったのかしら。」
少女の眼からあふれる涙のあとは風が吹くとぱりぱりと氷りつきます。
「寒い。このままでは死んでしまうわ。そうだ、マッチ!マッチの炎があれば。」
寒さに耐えかねた少女がマッチを擦ると、手の中で小さな火が生まれました。
「ああ、暖炉だわ。暖かい暖炉が見える。」
それも一瞬の事。マッチの炎はすぐに燃え尽き、少女が見たまぼろしは霧散していきます。
少女は消えゆくその命をつなぐようにふたたびマッチを擦りました。
「あたたかいニンジンのスープ、おばあちゃんがよく作ってくれた。また飲んでみたい。」
「チキンの丸焼き。お父さんがくれる食べ残しの骨じゃないお肉。」
「きれいなケーキ。一度でいいから食べてみたいと思っていた。」
小さな炎と共に生まれては消えるまぼろしを追いながら、ふらふらと少女がたどり着いたのは家の前でした。
燃えカスになったマッチをなごり惜しそうに捨てた少女が空を見上げると、大きな流れ星がちょうど頭の上を横切っていくところでした。
「おばあちゃんが言ってたわ、だれかが死ぬとき流れ星ができるんだって。きっと今夜わたしが死ぬのね。
いっそ、死んでしまえばこんな苦しみから逃げられるのかしら。おばあちゃん、わたしが死んだらむかえに来てくれるよね。」
少女が失意のままドアを開けると、無精ひげを伸ばした目つきの悪い男が瓶ごと酒をあおりながら肉をほお張っていました。
男は入り口にたたずむ怯えた少女からマッチの入ったかごを奪い取ると、テーブルの上に散乱する酒の空き瓶を寄せて売り上げを確認し始めます。
「ちっ、全然売れてねえじゃないか。これじゃあ酒代にもなりはしねえんだよ。あん?マッチが減ってるじゃねえか。さてはお前、売らずに使いやがったな!
誰がここまで育ててやったと思っていやがる、この親不幸のクソガキが!」
いらだちと共に男が投げつけた空の酒瓶が玄関の柱に当たり破片をあたりにまき散らします。
男は乱暴に「今日は外で寝ろ、売れるまで帰ってくるんじゃねえ。」と言うと、毛布にくるまり寝息をたてはじめました。
「ああ、身も心も凍えそうなほどとても寒いわ。そうだ、マッチを擦って温まらなくちゃ。」
少女は父親の飲みかけの酒を暖かそうな毛布に包まれているごみの上にどぼどぼと振りかけると、残ったマッチをいっぺんに擦りました。
毛布と共にごみが勢いよく燃え盛り、暴れまわる炎が机やいすや家の中にあるすべての物を巻き込んでいきます。
壁を伝った火が格子に組まれた梁を焼き切り、少女の背にばらばらと降り注いで肉を焼きましたが、少女は逃げ出すでもなくうっとりと全てが燃えていくのを見ていました。
「まあ、きれい。ああ、おばあちゃん、来てくれたのね。でももういいの。わたし、もうぜんぜん寒くないわ。」
その夜、町はずれの一軒の家から赤々とした炎が上がりました。
炎は冬の夜空を焦がし、気付いた住民たちが駆けつけたころにはもはや手の施しようが無いほど燃え上がっています。
住民たちが燃える物が無くなって鎮火した家を捜索すると、男のなきがらだけが見つかり少女の痕跡を示すものは何も見つかりません。
男のなきがらがあった場所の燃え方が一番ひどかったことから、煙草の火の不始末によるものと断定された後も、男が少女を奴隷のようにこき使って居たことを知っていた住民たちは口々に噂をしました。
「きっと少女は家が燃えた事も知らずにマッチを売っているに違いない。」
「いいや、少女もいっしょに焼け死んでしまったに違いない。小さな子供の骨だから見つからなかったのさ。」
「どちらにせよこの寒い中家を失ったら生きていけないだろうよ。可哀想な事だ。」
火事の後その町で少女の姿を見たものも無く、哀れな少女の話は事件から数日にわたって語られましたが、冬が明けるころに少女の事を覚えているものは誰もいませんでした。
◇ ◇ ◇ ◇
春になると行商や旅人によって、商品と共にいろいろな噂が舞い込みます。
「隣町の教会に小さな聖女が居るらしいぜ。なんでも傷だらけの背中に、ヤケドのような大きな十字架のあとがあるらしい。」
「ああ、それか。神父様がボロをまとって聖堂で倒れている女の子を見つけたんだろう?」
「俺には聖女かどうかはわからないが、がんばって奉仕活動をやってるのを見かけたぜ。悪い子ではないさ。」
「ただ、祭壇のろうそくにマッチで火をつける時すごく嬉しそうな顔をするのはどうしてだろうな。」
「あんなに清純そうな娘なんだ、きっと他人を傷つけた事すらなかろうよ。」
親は子を作る選択ができるが、子は親を選べない。ファッションか何かのように子供を作り、飽きては放置する、いらだち紛れに暴力を振るう親のなんと身勝手な事か。
虐待される子供が助けを求めたところで、哀れみはするがほとんど誰も動いてはくれない。