中国 北京
中国 出発2003年10月
成田発、中国行きの飛行機が今離陸する機体が、おお空に向かって上昇する。
初めての海外旅行だ。
想像していた通りの乗り心地、まあこんなもんだろう。
機内では、隣に中国で仕事をしている御客と乗り合わせる。
海外出張だという。
こちらは中国への旅行、鳥インフルエンザで中国行く客が全くいない。
旅行中も何処から来た韓国かと聞かれる。
日本からとは聞かれたことはなかった。
日本の客は全くの0なのだ。
鳥インフルエンザ終息に近いので組まれたツアーである中国2拍3日のツアーで29000円だったと思う、信じられない価格だ、旅行中も中国政府の高官がホテルの夕食時、挨拶に来た今までには無かった事らしい、もう鳥インフルエンザは終息しているとのこと。
仕事で海外に行けるなんてうらやましい限りだ。
自分も昔海外出張の予定もあったが中止になった。
(イラクへの出張だったが、イラクに行く数か月前に、イラク戦争が勃発して中止になった。
機内では中国は初めてと言うと、中国では車は絶対運転するなと言われた。
中国では事故をするとお金があるほうが事故賠償をするそうだ、日本人と言うと間違いなく悪くなくても事故賠償をさせられると言うので車の運転は絶対にしないそうだ。
北京に着くとそこは日本の飛行場とうりふたつだ、日本に戻ってきたかと勘違いをする。
後で聞いたら日本で作った飛行場だそうだ。
北京に着くと飛行機の乗り換えだそうだ、今日中に西安まで行くらしい。
乗り換えが分からない、わからないと言うより飛行機が着いてみないと搭乗ゲ~トがわからないそうだ。
西安とは日本の京都みたいな町だ、楊貴妃の碑とか古い史跡が一杯ある。
特に秦始皇の兵馬俑博物館は、始皇帝の軍団の像であるそうだ。
一体の身長が2m位ありその像が何千体とある、壮観である、発見が最近でまだ掘っていないパビリオンが5~6あると言う、いっぺんに掘ると風化が起こるので掘る前にドームを掛けてからでないと掘れないと言う。
井戸掘りちゅうに掘り当てたと言う農夫の人も館内にいたが世紀の大発見である。
ここに来る前に通った街道には、ざくろの木が植えてあり、出店が並んでいてガイドさんが買って来て食べさせてくれた、大きくて美味しそうに見えたが味は大味でいまいちでした。
ガイドさんに20人ぐらい、いたので大変だったでしょと聞いたら、昼食とかで寄った店でもらったお金を当てていると言う。
このガイドさんはいい人なんだなと思った。
初日に泊まったホテルは古い町中にあり町全体を10m位の高さの塀で囲まれていて長さは数十キロになるという。
まあ数千キロの万里の頂上を作り上げた中国であるからして、まああってしかり。
でも塀の規模や大きさは世界を見ても無いだろう。
朝6時に起きて近くの公園に行ったが、日本のテレビで見る通り40~50人の住民が整然とカンフウをやっていた。
ところが帰り道メイン道路の横断で動けなくなった。
信号が青でも横断歩道を渡れないのです、なぜって横断歩道を青で渡ろうと思って手をあげても、車道に入ろうとしても、車は止まらない。
地元の人が渡るのを見ていると、かまはず車道に入っていく。
横断歩道に入ると地元の人の前後を車が通り過ぎていく、それでも前に前にと進む。
通勤時間帯になっていたので車が多く、とても私には渡れる状態では無い。
地元の人を見ていると、車が前後を走っていても、横断歩道をどんどん歩いていく。
歩いている人の前後を車は何台もスピードを緩めずに走っていく、とても私には怖くて渡れない。
しばらく見ていたが、朝食を食べないとならないし、出発時間も迫っているので、思い気って渡ることにした。
しかし単独で渡ることはとてもできないので、地元の人の後ろをピッタリついて渡ることにした。
横断歩道は10m位あるので自分ひとりでの横断は決してできない、徐行を絶対にしない車たちだからだ。
北京に戻って万里の長城に着く。
遥かかなたまでつずく塀を見ていると、中国人はなんと賢いのだろう。
いったい、いくらかかったのだろう、何年かかったのだろう、等考えても何もわからない。
なぜこれだけの財産、労力、時間があったのだろう。
ただ関心するだけだ。
月から見えるって。
北京はオリンピックがあるということで、日本大使館、等みんな北京市内を退くらし、くるまもある程度走っている。
今みたいにスモッグでおおわれる様な事はない。
成都でも北京でも国営の博物館にいくも、見るものは何もない、あるのは大きな石に掘られた石碑ばかりだ。
なぜって大きすぎて持ち運びが出来なかったからだと言う。
蒋介石によって台湾にみんな持っていかれたそうだ。
中国4000年のお宝はすべて台湾に有るという。
それでは台湾に行かなければと思い帰国後すぐに台湾に旅行をすることとなる。