前編
私は犬が好き。何故好きなのかと言われれば、好きな人が犬好きだから。人参だって好き。好きな人が好きな野菜だもの。私だって好きになる。
普通でしょう?
「普通じゃないから!」
「なんで?」
友人と王都の中心部にあるカフェで優雅なティータイム。常日頃、図書館に勤め倉庫の奥の奥で本の整理やリストを作成したり、利用者用にしおりを手づから作っていたりしている私にとって、こんな時間は至福以外のなにものでもない。
読書が好き。
本が好き。
字が好き。
紙が好き。
な私にとっては最高の職場だけれど、やはり程度というものはある。息抜きというものはやはり必要だ。
久しぶりに友人と会えば、もっぱら話題になるのは恋の話。最近はどう?と、あーでもないこーでもないと議論をことごとく、それはもうピザ生地のように広げるところまで広げ、最終的にはどちらかに傷を残し終わる女子の論戦である。
無理して話さなくても良いのについつい話してしまうのは、もはや女の性なのだ。
「猫は好きなわけ?」
「どっちでも無いかな」
「じゃあ好きな人が猫嫌いだったら?もしかして…」
「嫌いになるかも」
「うぇ、やっぱり!メルって馬鹿?」
友人のリアが頬に手を当てながら残念な顔をしだす。
ふん、失礼な美人だ。でもここまでモノを言える友人なんて少ないので良い事だと思う。
内容は別だが。
「図書館の奥に引っ込んでいるから、こんなヘンテコ馬鹿になるのかしらね」
ヘンテコは余計だ。だからと言って馬鹿は良いと言うわけではないけれど。
うるさいな、と頬を膨らませれば、生意気、と鼻を摘ままれたので息が出来なくて直ぐに凹む。やはりこの友人は遠慮が無いと思った。
私が住むヘイデル王国は山にも海にも恵まれた産業が盛んな国で、国民も生活について特に不平不満など呟いてはいない。小さな子供は当たり前に勉学を学べているし、周囲の国に向かって此処はとても平和な国なんだ!と大声で自慢できる。それもこれも、歴代の王様が賢王と言われる程賢く民からも慕われているせいだろう。
現王は10代目となるが、お年を召してきたと言うことで、次の王となる王子に関心が高まってきているらしいけれど、次の王様も良い王になると良いな、なんて一国民として思う。
ある国では王が金を支配していたり、貧困に目を向けず貴族が腹を膨らませ路上で行き倒れる者がいたり、戦争ばかりを起こす戦狂いの王の元で戦って生きるしかない人達、悲惨としか言い様の無い国があるので、そんな国にはしてほしくない。期待を寄せられる王子には重りかもしれないが、国民として支えられる部分があるなら皆はきっと協力するだろうし、国を良くする為の努力は惜しまないだろう。
そんな事をいっちょまえに言い張る私は、王子様の姿なんて1度も見たことは無いけれど。
カフェの窓越しに黄色い蝶々が2、3匹仲良く飛んでいた。
春真っ盛りな今日の日は、国の平和にありがたみを感じる事に尽きる。
「だってだって、それに、金髪碧眼なら誰でも良いんでしょ?」
「失礼な!誰でもじゃないよ!」
物思いに更ける私の耳へ、話の続きを促すリアのキンキンとした声が響く。せっかく和んでいたのにまだその話を蒸し返すか、この遠慮無い友人は。
「見た目は…確かにそうだけど」
後半を早口で言った私に、え?聞こえなーい、とリアは耳に手を当ててニヤニヤと笑う。
こんなに誰かの足を踏みたいと思ったのは初めてだ。
それなら善は急げと、私より少し大きな踏みやすい足を思いきり踏ませてもらう。ちなみに今日はオシャレとしてヒールを履いています。
そうして、「っ!」と声も出ず歪んで痛みに耐える友人の顔は、人の不幸は蜜の味、と言える程に清々しい歪み具合であった。
しかしリアが言った通り、いつも私は見た目で人を好きになる。その事については悔しいが否定のしようが無い。
容姿は金髪碧瞳で一定のラインを超えたそこそこの顔をしていれば、話かけられただけでも直ぐに恋をしてしまうのが癖。
恋愛に癖もクソも無いけれど、これが私なのだから仕方がない。ついでにもう1つ癖を上げるとするならば、飽きやすいというところだろうか。
好きになるのは良いけれど、一緒にお話したり食事をしたりしている内に不思議と熱が冷めてしまう。好きになった人に似合わせる為に、なるべくその人の理想や感性に近づこうとしているのだけれど、途中でいつも誰かに肩をポンポンと叩かれるようにして我に返るのだ。
お嬢さん、お嬢さん、お終いですよ。
みたいな感じで。
そんな飽きやすい惚れやすいある意味チョロい女、私こと、メルの初恋は幼馴染みの男の子だった。
名前はアルス。
メルの好みの決定打とも言えるこの幼馴染みの容姿は、金の波打つ髪にエメラルドグリーンの瞳で、まさに大人になった今も私が男の人を好きになる条件に必ず入っているもの。
そこそこの一定のラインを超えた顔なら、とか偉そうに言ったが、ようは私自身面食いなのかもしれない。金髪碧眼でも太った人は嫌だ。
友人にそう言えば、いい意味か悪い意味でかは知らないが爆笑されて正直者だと言われた。ぶっちゃけ爆笑された意味も分からない。だから今度は脛を狙う。
アルスとはこんな、カフェや服屋に仕立屋、なにより図書館と何もかもが揃った王都ではなく、もっともっと国境に近い星が良く見える辺鄙な村で共に生まれ育った。お国一大きいと言われている王都の城など見えやしない、ましてや貴族様が住んでいるわけでもない平々凡々な村。
唯一王都に勝てる所をあげるとするならば、国境沿いに流れる綺麗な川が見れるという点だろう。
だってこっちの川は、川の底の石が全然見えない。ちょっと濁ってる。それに夏の夜に川辺へ集まるポルピィと言う光る虫も、私の村程見掛けなかった。あんな綺麗なものを見るのは実は貴重だったんだな、なんて、村を出て初めて故郷の美しさを理解した王都で過ごした夏。
そう思うのと同時に、それなら彼は8歳からずっとあのキラキラした景色を見れなかったのかなと心の片隅で思った。
産まれた時からアルスとはずっとずっと一緒で兄弟のように育っていた。五歳までは本当に自分は彼と兄弟なのだと勘違いしていた程だ。
けれど仕方無いじゃないか。彼の母と私の母がたいそう仲良しでしょっちゅうお互いの家に行き来し寝泊まりしており、ご飯を食べるのも寝るのもいつも一緒だったので、何も分からない子供がそう思ってしまっていても無理は無かったと思う。
紛らわしい。
因みに兄弟の役割ではどちらかと言うと私が姉役でアルスが弟役だった。女のほうが身体的に成長が早いせいでもあったが、アルスの見た目がそれはもう可愛いらしいせいでもあったからだ。
服が沢山あったなら、きっと着せ替え人形のようにして遊んでいたかもしれない。
クルクルの天然パーマに、ビー玉を嵌め込んだようなクリリとしたお目め、白くてぽてぽてとした頬っぺたは食べてしまいたい程小動物的。
そんな小さな存在が自分の横にいたらする事は1つ。
愛でる事だ。
『メルちゃ、』
『アルスぅ!』
会うたびに頬をスリスリしてギュッと抱き締める。
嫌な顔もせず背中まで目一杯腕を回して抱き締め返してくれる、自分よりも少し小さな存在に胸はいっぱいになった。
大好き、と言えば大好き、と返してくれ、ずっと一緒にいようね、と言えば花が咲くような笑顔で『うん!』と抱きついてくれる。
可愛くて小さくて私の大好きなアルス。
ぜってーぜってーこのまま一生離れるもんか。
いや、お前は何様だ、とツッコミたくなるが当時の私は本気でそう思っていた。
しかし8歳の時。
『あのねメルちゃん…』
『お別れいやだ!!』
アルスの家族が王都へ引っ越す事になった。
父親が城内で仕事を持つようになったので、それに伴い一家全員で移り住む事にしたのだ。
そんな大事な事を彼が母親と一緒に私へ報告して来たのは旅立つ1日前。
よく晴れたお散歩日和だった。
『待ってメルちゃん!』
『うわあぁあん』
川まで一緒にお散歩へ行こうよ、と彼を誘う為に直前まで握りしめていた麦わら帽子を殴り捨て家から飛び出た。
震える足にムチを打って駆けていく。
止める声が聞こえたけれど、音を拾うだけで身体はストップしない。
だってだって、今日はお散歩して、川原で一緒に寝っころがって、そのあとは昨日見つけられなかった四ツ葉のクローバー探して、それで、それで、
『うわぁっ、あだ!』
わけもわからず走りまくっていたせいか、石に躓き盛大に転ける。口に砂が入りジャリジャリとして気持ちが悪い。手をついて転んだものだから、掌の薄皮が剥けて血が滲みだしてしまい地味に痛く、膝小僧は右の足だけ酷く擦り剥けて血が出ている。
元々泣いているせいか痛みによる涙は出なかった。
ただただアルスがいなくなる事が寂しくてどうしようもなくて仕方が無かったのだ。声が枯れれば泣き止むと言うのに、当分まだ泣けそうな程に喉は潤っている。昨日アルスがくれたハナム(花の蜜)のお陰かな。
あぁそうかアルスのお陰か。
そう思うとまた涙が出て彼を強く思い起こしてしまい世話がない。
いつからこんな泣き虫になったのかな。私はアルスのおねえちゃんなのにな。
『メルちゃん!』
転んだ所は、今日来ようとしていた川原。
青い空の下、穏やかに流れる川を座ったままボーッと黙視していれば、私を追いかけてきたらしいアルスが汗だくになりながら近寄ってきた。
私とは違い途中で転びはしなかったのか、服は綺麗で体に傷も無い。私のほうが身長が大きくて、歳も同じなのに。
自分の体を見下ろしてみれば服は泥でまみれて足は傷だらけ、顔を触れば頬に土が付いている感触がした。
惨め。みっともない。泣き虫。
そんな言葉が心に落ちる。
するとアルスが私の前にゆっくりとしゃがみ、目線を合わせてきた。
『にげちゃわないで』
血が出ている手をそっと掴まれそう言われる。
悲しそうな痛そうな顔をしながら言うので、私はわけが分からなくなった。
だって、だって、
『にげちゃうのはっ、行っちゃうのはアルスだもん!』
『メルちゃん、』
『だって゛…だって、ずっとっ一緒にいようねって言った!約束したもん!』
声を震わせてそう訴える。
そうだ、だって約束したんだ。ずっと一緒にいようって。
それなのに、それなのに、行っちゃうのはそっちじゃないか。約束したじゃないか。破るのはアルスじゃないか。
首を振りながら愚図る私とは裏腹に、アルスは笑顔になる。
『だからね、大きくなったら一緒にいようよ』
『ふぇ?』
『また約束しようよ。大きくなったら僕とメルちゃんは一緒になるんだ』
そんな約束をして早10年。
具体的にどう一緒になるのかも、いつ帰って来るのかも全く分からない。それに彼が私の初恋だったと気づいたのは、回りの皆が年頃になりお嫁に行き出した15歳の頃。
友人に『誰か好きな人とかいないの?いないなら紹介しようか?』と言われた時で、私はふいに思ってしまったのだ。そうね、アルスとなら結婚を…なんて。
遅すぎる自覚である。アルスの姉だと自負していた期間が長かったせいなのかもしれない。
初恋だったのか、と自覚したその日の夜はひたすら机の角に頭をぶつけていた。とても痛かったけれどボヤボヤとして直ぐに眠れたから良かったが、翌日の朝、母が私を見て悲鳴をあげながら包帯を投げつけてきたのは記憶に新しい。
確かに枕が赤かったのでおかしいなとは思っていたけれど。
文のやり取りをすれば良いのではないかと思われるだろうが、生憎文のやり取りを簡単に出来る所では無いそうだ。なんでも、王都内だったら文を出しても良いそうなのだが、辺鄙な国境付近の村にいる者との文のやり取りは禁じられているらしい。
父親が城内で働いていると言っていたし、そのせいもあるのかな。だから母にもアルスの母から文などは来ていないらしく、とても寂しがっていた。
そう、寂しくて寂しくて堪らなかった。私も。
彼が村を出てから、私は寂しさを紛らわせるために彼が好きだと言っていた本を沢山読んだ。アルスが好きな本を読んでいれば、なんとなく、近くに感じる事ができたから。隣にいるように思えた。
本が好きだというアルスに、本なんて燃えちまえ、なんて馬鹿らしく無機物に嫉妬していたけれど、彼がいなくなればそれは彼の跡が残っているようで、形見にも思えた。
父が王都とこの村の雑物を運搬させており、その中でも本が大量で村の貯蔵庫に沢山詰まっていたので、幸い読むものには困らない。
そうして1日1冊を目安に読み始めていけば、歳を重ねるにつれて段々と1日2冊、1日5冊6冊と読む本が増えていく。
取り憑かれるように本を読んでいる私に両親は心配をしたが、自分でも凄く不思議だった。アルスの影を追うとは言え、最初はこんなにのめり込めるなんて思わなかったから。
それに恋の話から政治物まであるだけすべての物を読んでいたら、いつのまにか物語を楽しむだけじゃなく、文字中毒になっていた私。話に飽きたらず遂に文字まで来たか、と冷静に自分を見つめた14歳の冬だった。
こうして、村では他の女の子達が嫁に行っていると言うのに、私は17になってもひたすら本を読み続けていた。
ボッチの道をひたすら歩んでいる。
寂しい?寂しくない?と聞かれたら、きっと私はどちらとも言えない。だってアルスがいなくなった事に馴れてしまった。寂しさを感じなくなってしまった。麻痺した感情に名前を付けられたならば、その問いに直ぐ答えられるのに。
そんな有り様なので父も母も私に口煩く言う。
『ねぇメルちゃん、お見合いしない?』
『知り合いの行商にちょうどお前と同じ年頃の息子がいるんだが、好青年そうだしどうかと思ってるんだ。あちらさんにもお前の事を話たら是非にとな』
怖くない、怖くないよー、と子猫を扱うよう慎重に聞かされたお見合いの話。
悪い冗談だ、と笑って言えないのは母も父も目が本気だったから。本当に行き遅れとかやめて、と言わんばかりの眼力。
ちくしょう。
別に嫁になんて行けなくても良いじゃん!
此処で親の手伝いをして一生暮らすって事で良いじゃん!
なんて大声で叫びたいけれど、叫んだところでお見合いは無くならないし、アルスは来ない。
所詮初恋は叶うものではないと本にも書いてあったように、ラブロマンス的な展開は望むにも皆無に等しい。きっともう彼は私の事など忘れているだろう。
ここは親の為、自分の為にもお見合いは必須だ。
けれど。
『あと1年、ちょうだい』
『メルちゃん、あなたもう16なのよ?』
『1年だから!1年、王都に行って色んな物を見てみたいの。本の世界だけじゃなくて、それにもしかしたらそこで好きな人だって出来るかもしれないし、…いや…出来ても結婚までいくかは分からないけど』
『なら』
『で、でもお願い、1年経っても何も無かったら言うことを聞くから!』
そうして勝ち取った今の生活。
自分で王都へ行き仕事も探すつもりだったのだが、父が『知り合いの図書管理の奴にあてがあるからそこで世話になるといい』と私の仕事先から下宿先まで決めていてくれた。
何ともありがたい事。
安心してください、1年経ったらちゃんと言うこと聞きますから父上。
「でも、もうそろそろ終わりかな…」
「え、何、もう尽きるの!?犬を好きになったばっかなのに!?」
スカートのポケットに入っているのはヨレてクシャクシャになった実家からの手紙。もうあと一週間で約束の一年が経つ。それは未だ何も無い私にそろそろ帰って来なさいという両親からの温かい通達だった。
好きな作家の本に、運命は自分で掴み取るもの、なんて言葉があったけれど、どうやら私には掴める運命や恋なんて無かったみたい。




