一章・4
「……それでは、調査のためにもう少し詳しい話をしておきます。ですが、これ以上は諜報部であるあなたが調べるのですよ、有希。分かっていますね?」
夏月の言葉に、有希は緊張した面持ちでうなずいた。
「はい、初めての大仕事ですが、精一杯努力します」
「ああ、よろしく頼むよ、有希」
「頼りにしてますよ、有希」
楓と竜哉が口々にそう声をかける。
すると、四姫が不満そうに有希を睨み付けた。
「本当に大丈夫なの、夏月。こんな頼りない子を楓ちゃんに付けておいて」
「四姫、確かに有希はまだ新人ですが、それでも、私が直々に教育した諜報部の一人です。楓の部下としては申し分ないかと」
「ふぅん……」
無遠慮にじろじろと眺め回され、有希はたまらず身を引いた。
「えっと、あの……誠心誠意、楓先輩のお役に立てるよう努力します」
「そんなの、わざわざ言葉にすることではないわ。当たり前のことですもの」
突き放すような四姫の言葉に、有希はますます萎縮していく。
「そう、ですよね……申し訳ありません……」
「……四姫、有希は僕の部下です。彼女への侮辱は僕のものとして受け取りますが、よろしいですか?」
今にも泣き出しそうな顔で無理に笑顔を作った有希を見たとき、楓の中で何かが切れた。
「ああ、ごめんなさい。怒らないで、楓ちゃん」
一見、傲慢としか思えないその言葉は、けれど四姫に対して充分なほどの抑止効果を生み出した。
しかし、今度は四姫が泣き出しそうだ。
楓には、四姫の傍らに控える夏月の顔が見られなかった。
夏月が向けているであろう視線は、楓の体を凍らせるように冷たく、鋭い。本当に、四姫が泣き出す、なんて事態に発展したら、生きてここから出られないのではないかとさえ思う。
けれどやがて、小さく息を吐く音がした。
「……説明を再開してもよろしいですか」
どうやら夏月は、楓の発言を不問とするようだった。
(助かった……)
楓がそっと胸を撫で下ろすと、隣で息を詰めていた竜哉も、そっと緊張を緩めたようだった。
申し訳なさそうな目をして、何度も楓に頭を下げる有希に、楓は一瞬だけ口元を彩る笑顔で応えた。
「むー……」
四姫はといえば、まだ不満そうに有希を睨みつけていたが、何か言おうとした口を渋々閉じていた。どうやら楓は、この場の難を逃れることには成功したようだ。
「……まず初めに、鮎川様の家族構成です。鮎川友博様のお父様が四季宮のパトロンであることは先ほど話したとおりですが、その他に専業主婦をやってらっしゃる奥様と、妹の花さんがいらっしゃいます。花さんは友博様とは九つ違い……そう、ちょうど有希と同じ歳ですね」
「鮎川、花……あれ、もしかして……?」
夏月の話を聞いていた有希が、何やら考え込む様子を見せる。
「その人、もしかしてあたしたちと同じ高校に通っていませんか」
「ええ、資料によるとそうなっていますね」
夏月は手元の書類に目を落とし、うなずいた。
「有希の友達?」
「やだ、楓先輩。あたしは諜報活動がメインですから、友達っていうほど親しい人はいませんよ」
「……ああ、それもそうだね。すまない」
楓は素直に謝罪した。
楓たち三人は、ただ高校に通っているわけではない。彼らの通う高校は、政治家や一流企業の社長の子息が多く通う名門の私立高校だ。
学生ではまだ情報に関する意識が薄いことも多く、何もしなくとも様々な話が耳に入ってくる。生活していることが、何よりも有意義な情報収集活動となった。
それに、四季宮という組織は全体的に若い人間が組織の中核を成している。いずれ社会の一翼を担う人間を若いうちから鍛えておこう、と長老たちが考えているためだそうだ。
そのため、楓たちは高校に通いながら、有望な人材を密かにスカウトする役割も負っていた。
「それで、彼女と接触して、何らかの情報を引き出すことはできるかい」
「ええと……何度か、図書館で話したことがあるから、さり気なく接触することはできると思います」
「情報を引き出せるか、までは自信がないと。それじゃあその部分は僕が担当しよう。竜哉は別の角度から鮎川友博を調査できるよう、彼の交友関係なんかをできる限り調べてくれ」
「分かりました、楓」
「……楓ちゃん、もう行ってしまうの?」
細い声が、緊張感のある空気に割って入った。四姫だ。
「久しぶりに会いにきてくれたと思ったのに……」
「申し訳ありませんが、僕がここに来たのは四季宮から命ぜられる任務のためであって、あなたのためではありません」
縋るような四姫の視線を振り払おうとでもするかのように、楓はわざと声色を冷たいものに変えた。
「わたしは四季宮の象徴よ。それならばあなたは、わたしの命令に従わなければいけないのではない?」
「お言葉ですが、僕の任務はあなたの身に危険が迫らないように、疑惑の芽を潰していくことです。あなた個人のわがままと、四季宮すべてを支える『四姫』という存在、どちらが大事かくらいは分かるでしょう」
「……楓ちゃんの意地悪」
負け惜しみのように呟かれたその言葉に、楓は一瞬、はっきりとした嫌悪を見せた。
だが、それは四姫の気付かないうちに消え、再び感情を押し殺すような無表情に変わる。
「それでは、僕はこれで。竜哉、有希、行くぞ」
「待ってよ、楓ちゃん……」
なおも言い縋ろうとする四姫には目もくれず、楓は二人の部下を伴って離れを後にした。