六章・5
――政治の世界に進出したい?
――それなら、神様の名前を出せばいい。
初めて出会ったとき、痩せこけ、性別の判別も難しかったその少女は、今や花がほころぶように美しく成長していた。
「ああいう人種は、そういったものを喜ぶんじゃあないのかい?」
しかし、どこか不遜な態度だけは変化する様子がない。もっとも、そんなところすらも好ましく見える女性だった。
「あんたの考えていることなんて、わたくしはすべてお見通しさ。政財界すべての流れを大きくしてやろうって、そういうことだろう?」
彼女は笑う。
「だったら、わたくしを最大限に利用すればいい。ただ……そうだね、巫女には身代わりを使おう。わたくしでは、少しばかりとうが立ってしまったしねぇ」
そう言う彼女はとても美しかったけれど、その言葉どおりにした。
そうすれば間違いがないと、誰もが分かっていたからだ。
* * *
「……そうして生まれたのが、四季宮という組織と、その歴史だよ。こうして話すと、どこかの新興宗教のように聞こえるが、ね」
忠敬の話が終わった後、楓はしばらく、何も言うことができなかった。
「……父さんは」
やっとのことで搾り出した第一声が、それだった。
「じゃあ、父さんは、何のために……」
四季宮から小春を遠ざけるため、ありとあらゆる策を弄した嵩志。彼は楓を助けるため、一人、倉庫街に残ったのだ。
あれほどの数の銃口に囲まれては、命はないだろう。楓は、そう考えていたのに。
「……ああ、楓はまだ知らなかったんか。あの馬鹿息子なら、どうにか生きてるぞ」
「え……?」
芳史の言葉に、楓は耳を疑った。
「本当じゃよ。何発か撃たれはしたが、致命傷はなかった。なんとか逃げ出して、今は病院のベッドの上におるわ。まったく、我が息子ながらしぶとい男だのう」
「父さんが、生きてる……?」
楓の体から、張り詰めていた力がどっと抜けた。
自然と、目から涙が溢れる。
「生きてるんだ……」
「……神託はすべて冬巳の力を利用し、それを伝えるのは若く、美しい少女。それが作り物だと、初めは誰もが了承していたんだ」
忠敬が、再び口を開く。
「しかしいつからか、冬巳の言葉こそが神の言葉なのだと信じる人々と……それこそが真実なのだと、虚構を現実にすり替えようとする人物が出てきた。私と芳史はそれを阻止しようとして、失敗した。『四季宮』という虚構の組織は、それが作られた歴史だと知らないまま巨大化していったのだよ」
「……だから父さんは、僕が四季宮に入ることに反対したのですね」
いつまでそんなごっこ遊びをしているつもりだ、と。嵩志はよく楓に言っていた。その言葉はてっきり、四季宮の構成人員が若いことに対する皮肉なのだとばかり思っていたのだが。
「ああ、嵩志にはわしが正しいことを教えた。しかし、まさか秋乃ちゃんと恋に落ちるとは思わんかったな」
芳史は、そう言って苦笑した。
「冬巳さんが病気で亡くなって、末っ子の秋乃ちゃんは次代の四姫として育てられることになった。数多くいた兄弟の中で、あの子だけが冬巳さんと同じ力を授かっていたのでな。……ただ、そのことがすべての悲劇を生んだのかもしれん」
「ああ。本来ならば、あのときに四季宮を解体するべきだった。けれど、できなかった。組織は……虚構を糧に、大きくなりすぎていたからな。私にできたのは、秋乃を無事に出奔させ、嵩志君の元に向かわせることだけだったよ」
そのときのことを思い出そうとでもするように、忠敬は目を細めている。
「虚構を何よりも信仰したのは、私の弟……夏月の父親だ。彼がまるで、洗脳するかのように夏月を育てていたことに気付いたのは、すべてが手遅れになった後だったよ」
「わしらはこれ以上、四季宮が暴走することのないように、長老会を作って組織を監視することになった。……それでも、悲劇は免れんかったがな」
と――芳史が、楓に向かって深々と頭を下げた。
「お、おじい様……やめてください……!」
慌てる楓の目の前で、忠敬もまた、その頭を深々と下げた。
「今回のことは、わたしたちがすべての元凶だ。……若い世代に後始末を押し付けて、しかも数人の犠牲者まで出してしまった。謝罪することしかできない年寄りを、ふがいないと思ってくれても構わん……」
戸惑う楓はやがて、あることを思い付き、口を開いた。
「なら、ひとつだけ聞かせてください。……佐保の間の下に、若い少女の死体が――四姫に就任し、退位の際に殺されたという少女が、何人も埋まっている、と。僕はそういう話を、様々な方からお聞きしました。……それは、本当のことですか」
「それは……痛ましいことに、一部は本当の話じゃよ」
芳史の声が、重く沈む。
「四季宮という虚構を真実にするためには、本当のことを知っている娘たちが邪魔だった。そのため、何人もの少女が、退位の際に、狂信的な者の手によって命を奪われてしまったのだよ」
「忠敬とわしがそれに気付いたのは、冬巳さんが亡くなった後じゃった。すぐに丁重に埋葬したが……本当に、すまんことをしたなぁ……」
「そう、ですか……」
楓は、ほっと息を吐いた。
痛ましい真実に胸が痛むのは事実だ。けれど……そういった背景があるのなら、小春の命が狙われることはないだろう。
(僕も……狂っているな)
夏月を嘲り、四姫を遠ざけたとはいえ、蓋を開けてみれば、楓も彼らとそう変わりはしない。
目的と理想のためならば、この手を汚すことも厭わないのだから。
「……誰が悪い、という話ではないんですね」
楓は、静かに口を開く。
「それならば僕たちは、同じ過ちを繰り返さなければいいだけです。ねえ、おじい様、お祖父様。……四季宮を、解散させましょう。きっと、それが一番いいはずなんです」
「ああ。この国はこんなにも大きくなった。……本当はもう、こんな組織は必要ないんじゃよ。なあ、忠敬」
「ああ。若い人間が虚構に傾倒し、狂い、未来を歪ませる……そんな悲劇は、もうたくさんだよ」
忠敬は立ち上がると、威厳のある声で楓にこう言った。
「遠野楓。お前に、四季宮における総責任者の地位を与えよう。……何年かかっても構わん、この組織を解体せよ。痕跡ひとつ残さず、存在していたこと自体を抹消するのだ」
「……はい」
楓は、深々と頭を垂れる。
「その命……謹んでお受けいたします」