六章・4
「……失礼いたします」
楓は緊張した面持ちで、その人物の向かいに正座した。
夏月の企みを打ち砕き、混乱する四季宮を何とか収め――その、翌日のことである。
筒の屋敷、と呼ばれている河内の屋敷の母屋。四季宮の本拠地であるその中の応接間に訪れたのは、楓の祖父であり、四季宮の監視をしている長老会の重鎮でもある遠野芳史と……もう一人。
「……初めまして、河内忠敬様。わざわざご足労いただき、申し訳ありません」
楓はその人物に向かって、深々と頭を下げた。
河内忠敬。楓の目の前に座っている厳しい顔の老人こそが、長老会の中心人物であり――。
「そう硬くならずともよい。君は、秋乃の息子……私の孫なのだから」
忠敬の表情が、微かに和らぐ。
「……はい」
その言葉を噛み締めるように、楓はうなずいた。
母方の祖父である忠敬と会うのは、楓にとって生まれて初めてのことだった。
四姫はその座に就任する際に、世俗との関係をすべて絶ってしまう。おまけに秋乃は、周囲の反対を押し切るようして嵩志と結婚したのだ。実家との縁は、失ったも同然だった。
しかし忠敬は、そんな秋乃の息子である楓を、孫と呼んだ。
(けれど……この人は、姉さんを四姫に据えた、夏月の血縁でもある)
それを思うと、ここで気を抜くことは許されない。
「失礼ですが……お祖父様、と呼ばせていただいても構いませんでしょうか」
緊張した面持ちのまま、楓はそう訊ねた。
「もちろんだ。そのことに、何の不都合がある?」
「では……お祖父様にひとつ、お願いしたいことがあります」
楓は、ごくりと唾を飲む。
「四季宮についての、ことです」
声は、自然と震えた。
「……言ってみなさい」
忠敬はそれだけを答え、重々しい面持ちを崩す様子もなく楓の言葉を待つ。
「……小春姉さんを四姫の座から降ろし、それだけでなく、四季宮そのものを解散させていただけませんでしょうか」
まだ気を抜くわけにはいかないと、分かっている。
けれど、自らの言葉に、楓は微かに目を潤ませた。
(言った……やっと、言うことが出来た……)
小春が四姫の座に就任して三年。楓が四季宮入りしてからも、まだ二年ほどしか経っていない。
けれどその年月の、なんと長かったことだろう。心を蝕まれ、美しく狂ってしまった小春の姿に、楓は何度、絶望したことだろうか。
守ると誓ったものが壊れ、ガラス片のように楓の心に突き刺さる日々を――なんとしても、ここで終わらせたかった。
小春が幸せに笑える日々を、取り戻したかったのだ。
(そのためならば、僕は……!)
「……そこまで思い詰めた顔ができるのは、若者の特権だな。なあ、芳史」
やがて、沈黙を守っていた忠敬が、ゆっくりと口を開いた。
その言葉を受け、芳史は微笑を浮かべながら、大きくうなずく。
「まったくだのう……。お互いによい孫が持てて、幸せな老後だと思わんか」
「ああ。まったくだ」
相好を崩した忠敬は、優しい瞳で楓を見つめた。
一方の楓は、完全に混乱していた。
四季宮を解散させる、なんて大それたことを口にするのだ。長老たちとの対立は避けられないと、楓は覚悟を決めて彼らを呼んだはずだったのに。
「わけが分からない、というところかな、その顔は。……まあ、無理はない」
忠敬は、そう言って笑う。
「楓、君は四季宮がいつ作られたか知っているかね」
「……いえ、正確には」
楓は少し考えて、そう答えた。
初めて四季宮のことを知ったのは、四年前の正月、親戚の一同が集まる席で、嵩志の正式な後継者として紹介されたときだ。けれどそこでは、そういう組織が昔から存在していて、遠野の家はその後援をしている、くらいのことしか聞いた覚えがない。
その次は、二年前。四季宮に入る際の訓練の一環として、四季宮の歴史や成り立ちについて教わった覚えがある。
「正式な成立時代は不明、平安時代の陰陽博士が作った小さな組織がルーツだ、とも言われている……と。僕はそう教わりました」
楓の言葉に、忠敬は破顔一笑し――。
「ああ、それは真っ赤な嘘だ」
「は……!?」
予想外の言葉に、楓は思わず間抜けな声を上げた。
「わっはっは! やっぱり、まだわしらがついた嘘を信じておったか!」
芳史も、そんな楓の様子に堪えきれなくなったのか、大声で笑い出した。
「ど、どういうことですか……!?」
年寄り二人があまりにもおかしそうに笑うものだから、楓は顔を赤らめながら、慌ててそう訊ねた。
「どうも何も、言葉どおりの意味だよ」
笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、忠敬はそう答える。
「四季宮が作られたのは、第二次世界大戦後、日本が国家として再び成立する以前のことだ。その頃、私たち長老会に属する者たちの親は、日本をどうにか立て直したいと願う企業家や、思想家の集まりでね」
忠敬はゆっくりと話し始める。
「しかし、資金もなければ資材も乏しい。がむしゃらにやっていくだけでは、すぐに行き詰ってしまうことは分かっていた。それでもどうにかするしか、日本が再び国際社会に復帰する方法はない。どうしたものかと悩んでいたときに、彼らは一人の少女に出会ったそうだ」
「それが……四姫、なんですか」
「ああ。冬巳という名前のその少女は、少し不思議な力を持っていてね。迷いごとに解決の道筋を与えてくれるんだ。私たちの父は、共に日本を復興させよう、と冬巳さんを誘い、彼女もそれを了承した」
冬巳という少女は、当時、とてもひどい生活をしていたらしい。
ただでさえ貧しい時代の上、その不思議な力のせいで周囲の人間に奇異の目で見られ、遠ざけられたという。
そのため、冬巳はその力を使い、占いまがいのことをして日銭を稼いでいたそうだ。身寄りのない少女が生き抜くためには、そうするしかなかったのだろう。それは、容易に想像のつくことだ。
「冬巳さんはそのとき、まだわずか十三歳だったそうだ。……それほどに幼い少女を、私たちの父は救いの巫女として祀り上げ、仲間内だけでその力を共有するために秘密の組織まで作り上げた」
「それが……四季宮の前身、なんですね」
楓の言葉に、忠敬と芳史の両方がうなずいた。
「その後、組織の人員が世代交代する頃には、特需景気もあって、全員の企業が見事な成功を治めていたよ。……そして、美しく成長した冬巳さんは私の妻になった。そうして生まれた子どもの一人が、君の母、秋乃だ」
その言葉に、一瞬、楓は言葉を失った。
「それでは……冬巳さんという方は、僕の祖母になのですね……」
「ああ。……そして、秋乃の前に四姫をしていた人物でもある」
「……どういうことですか」
楓は反射的にそう訊ねていた。
「……不思議に思ったことはないか。四姫の託宣は、本当に神が与えているものなのか、と。そんなことが、現実に起こりうるものなのか……神は、実在しているのか」
忠敬の言葉に、楓はわずかにためらった後、静かにうなずく。
「神と超常能力、どちらも信じがたいことではあるが……それでも、目に見えるものの方が信じられるだろう?」
「……はい」
それはつまり、冬巳が現実に持っていたという力と、そこから訪れた変化や結果のことだろうと、楓は解釈する。
「しかし、人々の心を惹き付けるには、神という言葉の方がうってつけなんだ。……だから私たちは、ひとつの物語を作り上げた。四季の女神を司る、若い巫女姫という存在を」
忠敬が目を閉じる。
そこから語られた内容は、楓の想像をはるかに超えるものだった。