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六章・2

「……そうして今、時は来たのです」


 現れた楓に動じる様子もなく、夏月はそう告げる。


「すべてを奪われ、私は心からあの男を憎みました。けれど秋乃様は私に、たったひとつの希望を残してくださった。……それが、小春です」


 夏月は、傍らに伏す四姫――小春の長い髪を乱暴に掴み上げる。

 小春は力を失い、ぐったりと夏月に身を任せている。先ほどの現象による代償だが、楓はそれを知らない。


「姉さんを離せ……!」

「お断りします。この日のためだけに、私は生きてきた。石塚卓巳に鮎川友博を殺させたのも、偽りの情報で警察を動かしたのも、すべてはこのためなのだから」


 愛おしむように、けれどどこか蔑むように。夏月は小春の体を抱え上げ、その細い首に手をかけた。


「……これは私のもの。私の四姫です。今度こそ、邪魔はさせない」

「う……」


 小春が小さく呻く。


「姉さん……!」


 駆け寄ろうとした楓を、竜哉が止めた。


「落ち着いてください、楓。四姫様を……小春様の身を危険にさらすわけにはいかないでしょう」

「っ……ああ、そのとおりだ」


 悔しそうにうなずく楓を見て、夏月は満足そうに笑った。


「そう、あなたはそうして大人しくしていればいいのです。いずれ、父親と同じ場所に送って差し上げますから」

「やめ……楓ちゃんに、手は……」

「黙りなさい」


 夏月は小春の首にかけた手に、軽く力を込めた。それだけで、今の小春からは抵抗する力が失われてしまう。


「ふ、あ……」

「姉さん!」


 苦しげに眉を寄せる小春の姿を見せられて、楓はきつく夏月を睨み付けた。


「……何故、お前は姉さんを痛め付けることができるんだ。姉さんは、待ち望んでいた四姫じゃないのか……!?」


 楓の問いに――夏月は、微笑んだ。


「待ち望んでいた四姫、ね……。確かに、私は四姫の再来を待ち続けていました。けれど……だからといって、それを人間扱いする必要は、どこにもない」


 耳を疑うような言葉に、楓は絶句するしかなかった。

 夏月はといえば、見るものすべての心を凍らせるような、凄絶な微笑みを浮かべている。


「私が何故、そんなことを言うのか、疑問にお思いなのですか? ……今の私の話を聞いて、改めて考えてみて御覧なさい。何ひとつ、不思議な話ではないでしょう?」


 夏月はどこか粘着質な視線で、楓と小春を順番に見つめた。


「あなたたちは、私が敬愛する秋乃様の子どもです……私が誰よりも憎む、遠野嵩志の血を受け継いだ、ね……」

「……確かに、そのとおりだ」


 楓は納得するしかなかった。以前ならいざ知らず、今はすべての事情を知った後だ。四姫として祀り上げる裏で、夏月がどれだけ小春を憎んでいたとしてもおかしくはない。


「ただ、幸いにも小春は、秋乃様の面影を宿しています。頭の回転も速く、賢い。今度こそ私は、理想の四姫に仕えることができるかもしれません」


 夏月は、小春の首にかけていた腕を、そのままゆっくりと上に滑らせる。

 長い指先で唇に触れられて、小春は小さく身を震わせた。


「……や、あ」

「あなたは素晴らしい力の持ち主です。どんな目的を秘めていたとしても、あなたは自分からここに来ることを選んだ。……ならば、すべてを捨てなさい」


 ふ、と夏月が口の端を上げ、楓へ視線を送る。


「……四姫に就任する際の交換条件は、楓を傍に置くことでしたね。つまり、彼こそが、あなたを世俗に縛る最後の存在。彼を失ってこそ、あなたは真の四姫になることができるのです……!」


 夏月は笑みを深めた。

 次の瞬間――その袖から、きらりと光るものが現れる。細くて薄い、小型の刃物だった。

 夏月はそれを、ためらいなく小春の喉元に向けた。


「やめろ、夏月! 姉さんを殺す気か!?」


 楓の顔が血色を失う。


「いいえ、殺しはしませんよ。……あなたさえ、この場から消えていただければ、ね」


 小春の喉元に刃物を突き付け、夏月は楽しそうに微笑む。


「……やめてください、夏月様!」


 それまで黙ってうずくまっていた有希が、初めて口を開く。


「楓先輩は、とても有能で、素晴らしい方です! こういう人材こそが、将来の四季宮に必要なのではないですか!?」

「黙りなさい、有希。お前は裏切り者。この場で発言する権利すら与えられない者です」


 夏月の厳しい言葉に、有希はそれ以上何も言えず、ただ体を縮こまらせることしかできなかった。


「お前の処罰は後でゆっくり考えましょう。今は先に……さぁ、楓」


 夏月の視線が、促す。

 楓に――今ここで、四姫の前で、自らの命を絶つように……と。


「……夏月、お前は自分の望みのためだけに、何人の人間を殺すつもりだ」


 楓は怒りを秘めた、けれど静かな声でそう問うた。

 けれど、返ってきた答えは。


「……さぁ?」


 見とれるほどに美しい微笑みと、狂気に満ち溢れた短い言葉。


「……なら、仕方ないな」

「楓、それは……!?」

 楓が懐から取り出したものを見て、背後に控えていた竜哉が慌てる様子を見せた。まさか、楓がそんなものを所持しているとは思わなかったのだろう。

 それは、石塚が殺されたとき、道に落ちていた拳銃だった。

 楓は小さく息を吐く。何かの手がかりになるかと思ってずっと携帯していたが、まさかこんな使い方をすることになるとは思わなかった、と。

 グリップを握ると、手にずしりとした重さが伝わる。石塚を殺すために使われた弾薬は、わずか二、三発に過ぎないため、この中にはまだ十発以上の弾薬が残っているはずだ。

 拳銃の後部にある安全装置を、慎重に解除する。

 楓がそれをこめかみに押し当てるのを見て、小春が弱々しく悲鳴を上げた。


「やめ……楓ちゃん……」

「ごめん、姉さん」


 約束だから、と楓は呟いた。


「僕は母さんと約束したんだ。大好きな姉さんを守る……って」


 楓は、優しく微笑を浮かべる。


「姉さんが何を思って四姫になったのか、僕は知らない。でも……たとえ姉さんがどんな道を歩もうとしても、僕は姉さんを守る。四姫になって、姉さんが変わってしまったと感じても、父さんの紹介した誰かと結婚しても、そんなことは関係ないんだ」


 と――楓は、夏月へ視線を向けて。


「僕は、お前とは違う」

「……ほう?」


 夏月の眉がぴくりと動く。


「お前は四姫を守ると言いながら、自分の理想に固執しているだけだ。母さんと結婚した父さんを恨み、そこから産まれた僕たちを憎み……でも、姉さんを四姫に就任させようとした。母さんに似ているから、と」


 楓の声は、あくまで冷静だった。


「他の少女を四姫の座に就かせることだって、お前にはできたはずだ。お前が欲していたのは、理想の四姫だったんだから。それなのに、それをしなかったのは……お前が、母さんを好きだったから、愛していたからだろう?」

「……黙れ」


 夏月が、苦々しく呟く。


「いいや、僕はもうすぐお前に殺されるんだ。最後にこれくらいは言わせてもらう」


 楓はふん、と鼻を鳴らしてみせた。父である嵩志が、よくそうしていたように。


「お前は臆病者だ。そんなに母さんを手に入れたかったのなら、父さんを排除しようとする前に、努力すればよかったんだ。母さんに、自分だけを好きになってもらえるように」


 けれど、嵩志の言葉によれば、夏月は彼の命を狙うばかりだったという。


「自分から手にしようとする努力を怠り、それでいて、それを奪った他人を憎む。……お前は、本当に卑怯な男だな。母さんが父さんを好きになったのもうなずけるよ」

「……黙れ……!」


 夏月が激昂しても、楓は平然とした面持ちでそこに立っていた。

 こめかみに、銃口を押し付けたままで。


「……少なくとも、父さんは自分の欲しいもののためならば、ありとあらゆる手段を使ってでも手に入れるような人だったよ。生まれながらの運命、なんて誇りと矜持に囚われ、努力を怠ったお前とは違う」

「お前に……お前に何が分かる、楓!?」


 夏月が声を荒げた。


「分かるさ。僕だって、母さんと約束したんだ。……使命の崇高さがどうのこうのって、お前は言うんだろう? でも、結局は同じことだ」


 四姫を守る。

 ――大切な人を、守る。


「僕はそのために努力して、そうして今、ここにいる。姉さんを守るために、ここで死ぬんだ」

「……待ちなさい」


 引き鉄を引こうとした楓を、夏月が押し留める。


「こめかみでは、一発で死ねないかもしれません。それでは苦しいでしょう。……銃口を、口の中に入れなさい。脳幹を撃てば確実に死ねますよ」

「随分と用心深いんだな」


 嘲笑うような楓に、けれど夏月は先ほどのような乱れを見せなかった。

 恐らく、勝利を確信しているためなのだろう。楓は思う。


(……悔しいな、姉さんを最後まで守れないのは)


 小さく息を吐いて、楓は銃口を口の中に入れた。

 息を止め、楓が引き鉄に手をかけた――その、瞬間。


「楓ちゃん、駄目っ……!」


 小春が、自らに残った力を振り絞り、そう叫んだ。

 と、同時に。彼女は――自らの首を、夏月の向けている刃へと押し当てようとしていた。

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