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五章・7

「……っ」


 ぶるり、と有希が震えた。


「寒く、なってきたみたいですね……」


 話す口元から、白い息が漏れる。


「……四姫様が、風邪ひいちゃいそうです」


 自らの身体に組み敷いた四姫の姿を改めて目にして、有希はためらいがちにそう口にした。

 あれだけ抵抗した後だ。四姫の着物はところどころ乱れ、着崩れている。特に足元は、ひどく暴れたせいで着物の裾が大きく開いていた。

 真っ白な太ももが惜し気もなく覗くその様は、同性である有希の目から見ても、ひどく扇情的に映る。

 しかし、夏月はほんのひと欠片も、そんなものに興味を抱く様子を見せなかった。それどころか、不快そうに目を逸らす始末だ。


「有希、四姫のお着物を調えて差し上げなさい」

「……はい」


 有希は四姫の体の上から退()くと、力を失ってぐったりとしたその体を抱え、衣服の乱れを整え始めた。

 血の気を失い、青ざめた四姫の姿は、まるで人形のように見えた。閉じた瞼、頬に(かげ)を落とす長い睫毛に、有希は思わずため息をつく。

 本当に美しい人だ、と。悔しいけれど、有希は素直にそう思った。

これほどまでに端麗な容姿をしていれば、求婚者が後を絶たないのも納得できるし、神を降ろす器になっても不思議ではない。

 けれど。有希は気付かれぬよう、一瞬だけ夏月に視線を走らせた。


(……夏月様、は)


 彼の目に写る四姫は、四季の姫神を降ろす依代(よりしろ)だ。それ以上でも、それ以下でもない。


(なら、夏月様は。楓先輩のお姉さんとしての四姫様を、小春さんのことをどう思っているんだろう……)


 有希が考えた、その刹那――四姫の体が、腕の中で大きく震えた。


「きゃっ……!」


 突然の出来事に、有希は小さく悲鳴を上げる。その隙を逃さず、四姫は小春の腕から逃れた。


「四姫様……!」


 慌てて四姫を捕まえようとした有希は、顔を上げた彼女の視線に、思わず立ちすくんだ。


「……控えよ。お前のような下賤の者が、『わたくし』に触れることを、許されると思うのか……?」

「あなたは……誰ですか……」


 有希は、自然と震える声で、そう漏らした。

 そこにいるのは、確かに四姫だった。姿かたちには何の変化もなかったのだ。

 けれど――その身にまとう雰囲気が、完全に様変わりしていた。


「一度だけだよ、小春」


『四姫』は、囁くようにそう告げる。


「一度だけ、わたくしたちは力を貸してあげよう。……お前と、そしてわたくしたちの未来のために」


 言葉が紡がれる度に、四姫の唇からは白い息が吐き出された。

 部屋の温度はどんどんと下がっていく気がする。そこで有希はようやく、四姫が今、どんな状況にあるのか思い当たった。


「もしかして……(しろ)(ひめ)、様なのですか」


 白姫。それは、冬を司る女神の名。四姫がその身に降ろす四柱の姫神のうちの一柱(ひとはしら)だ。

 有希の言葉に、四姫の中にいる『何か』が微かに口の端を上げた。


「ふふ……限りなく正解に近いけれどはずれだよ、お嬢ちゃん。知りたいのなら、もっと自分のいる場所についてお勉強するといい」


 と――四姫の中の『何』かが、夏月へと視線を向けた。有希もまた、あわててそちらの方を向く。

 夏月は、陶然たる面持ちで、四姫の姿を見つめていた。

 もっとも、その言い方は正しくないかもしれない。夏月が見ていたのは四姫ではなく、その中にいる『何か』だったのだから。


「……やはり」


 夏月は、熱に浮かされたように呟く。


「やはり、あなたは素晴らしい方だ。自らの身に神を降ろすなど、歴代の四姫の誰も成功しなかったことではありませんか」

「黙りなさい、河内の男。わたくしがこの娘の中に降りたのは、そうしなければ助けられないと思ったからだよ。お前からも……運命からも」

「いいえ、あなたは素晴らしい。……それでこそ、私の四姫です」


 四姫の中の何かが向ける冷たい視線に、夏月が動じる様子はなかった。それどころか、その気高さを目にし、心の底から歓喜する様子でさえあった。

 有希の背筋に、震えが走った。


(この方は……狂っている)


 頭では理解していたつもりだったのに。実際に目にしてみるとこんなにも恐ろしいものなのか、と有希は思った。

 これほどの情念が、夏月のどこからやってくるというのだろう。


「楓さえいなくなれば、あなたは私だけのものになる。私だけの、神に……」

「……いいえ」


 四姫ははっきりと告げる。


「楓ちゃんは、お前になんか殺されない」


 ――そのとき、四姫の中には確かに白姫のような『何か』が宿っていた。

 だから、その言葉はその存在による神託だったのだろう。少なくとも有希にはそう思えた。

 力ある言葉は、なおも続く。


「楓ちゃんは絶対に来る。わたしを、助けに来てくれる……!」


 そうして放たれたその言葉は――すぐさま現実のものとなる。


「四姫……小春姉さん……!」


 叫ぶ声と共に勢いよく障子が開き、現れたものは、息を切らした楓と竜哉の姿。


「楓ちゃん!」


 四姫――小春が、瞳を涙に潤ませる。


「……ほらね」


 有希は、寂しげにそう呟いた。


「楓先輩は意地悪だから……やっぱり、来てくれた」


 有希が設定した扉のパスワードを、楓は解いてしまったのだ。

 アルファベット五文字の答えは、『楓(KAEDE)』。

 それは、有希が楓に送ったささやかな愛の告白であり――夏月直属の諜報部として、彼との信頼関係が決裂したことを表すものだった。


「……ごめんなさい、楓先輩」


 有希は呟く。誰にも気取られないように。


「……大好きでした。本当に、大好きだったんです……」


 楓が四姫のことしか見ていなくとも、四姫のことしか考えていなくとも。

 ――それでも。

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