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五章・6

「……夏月様」


 隙間なく閉められた障子に、小柄な影が映る。


「入りなさい」


 四姫の傍らに座り、夏月はそう声をかけた。


「はい。失礼します」


 影はためらうことなく障子に手をかけ、そっと開いた。

 もはや四姫の命令は、この場所に必要ないものと化している。

 自分がただの飾りなのだと理解してはいたが、このどうしようもない無力さは、四姫の心に棘のように突き刺さった。


「……お前は」


 やがて、現れたその姿に、四姫は呆然と呟く。


「ご苦労でした、有希。うまく彼らをおびき出せたようですね」

「はい、夏月様のご意志のままに」


 異様な光景だった。

 普段、あれほどに表情豊かな有希が、一切の感情を廃したような無表情で、夏月に(ひざまず)いているのだ。


「お前が……」


 ぎり、と四姫は唇を噛み締める。


「お前が、楓ちゃんを裏切ったのね。信頼を踏みにじるような真似をして、恥ずかしいとは思わないの!?」


 苛烈なその視線に、けれど有希は動じる様子もなく言い放つ。


「あたしは、四季宮の……諜報部の人間です。夏月様の手足となって動くことが、至上の理想ですから」

「その言葉を、楓ちゃんの前で言うつもりなら……その前に、わたしがお前を殺してやる……!」


 四姫は有希を引き倒そうと、その足元にしがみ付いた。けれど逆に、有希に抑え付けられてしまう。


「離しなさい、この裏切り者……!」

「手荒な真似をしてしまい、申し訳ありません」


 床に引き倒されるように転がり、のしかかった有希に後ろ手を掴まれて。四姫は完全に身動きを封じられてしまった。


「離して……わたしは絶対に、お前を許さない……!」


 唯一、自由な足を無茶苦茶にばたつかせて、四姫は最後まで抵抗を試みた。着物の裾がはだけていくが、そんなこと知ったことではない。


「無駄ですよ、四姫様」


 有希は四姫の耳元に顔を近付け、そっと囁きかける。


「あなたがこの部屋でにっこりと笑っている間、あたしや楓先輩、竜哉先輩は厳しい訓練に明け暮れていたんです。……だから、大人しくしていてください」

「そんなの、絶対に嫌よ。だってこのままじゃ、楓ちゃんが……」


 自分の無力さに絶望しまいと、四姫は暴れることをやめようとはしなかった。

 この運命を望んで招き入れたのは、自分。それは四姫もよく分かっている。

 けれど、そのために楓を失うわけにはいかないのだ。


(だって、わたしは……わたしは、楓ちゃんと……!)


 四姫の目に、うっすらと涙が滲む。

 ――しかし。


「…………」


 四姫以外の誰にも聞こえないように、気付かれないように囁かれた有希の言葉に、四姫はゆっくりとその動きを止めた。

 夏月はそれを、四姫の降伏だと見て取ったらしい。その端正な顔に、今まで見せたことのない、壮絶なほどの笑みが浮かぶ。


「ようやく、理解していただけたようですね」


 夏月は、這いつくばったまま顔だけを上げている四姫の元に跪いた。


「四姫に人の心など必要ありません。あるべきものは、神を降ろすための器だけですよ。……あなたには、それを間違えていただきたくはないのです」


 痛ましそうに目を細める夏月の言葉が何を指すのか、四姫にはすぐ分かった。


「それは……母さんのことね」

「ええ」


 夏月は、笑みを深める。


「あの方はとても素晴らしい四姫でしたよ。四柱の神を自在に降ろし、そのお言葉を私たちに伝えてくださる際の秋乃様は、彼女自身が神なのではないかと錯覚するほどに美しいものでした。私は幼心に、あの方にお仕えできることを誇りに思っていました」


 それなのに、と。夏月の瞳に、厳しい光が宿る。


「あの方は『人』になってしまわれた。ただの人間として、あんなくだらない男の元に嫁がれてしまいました。……あなたは、生れ落ちたときからその罪を背負っているのですよ」


 夏月は四姫の顎に手をかけ、ぐい、と持ち上げた。


「だからあなたは、理想の四姫として君臨し、その罪を(あがな)わねばなりません。私たち、四姫に仕える四季宮の者と、その神託に縋らなければ生きられない者と……何より、その御意思を人々の元に向けて下さる、四柱(よんはしら)の四季の姫神のために。そのためには……やはり、楓が邪魔ですね」

「楓ちゃんには、指一本触れさせたりしない……」


 夏月の剣呑な言葉に、四姫は弱々しくそう返した。


「まだ、そのような言葉を口にできるのですね。……けれど、今のあなたに何ができるというのでしょう」

「……っ」


 悔しいけれど、夏月の言うとおりだ。

 四姫は、四季宮においてはまがいものの主でしかない。

 捕らえられ、押さえ付けられ、こうして無力な姿を晒している今、四姫としてできることは、と言えば――。

 四姫は、目を見開いた。


(そう。私は『四姫』なのよ……)


 それならば、たったひとつ。

 たったひとつだけ、自分にできることがあるではないか。

 小春は二、三度深呼吸をすると、体の力をゆっくりと抜いていく。

 その様子に、夏月は今度こそ、四姫が観念したと思ったらしい。ふ、と口元が緩むのが見えた。


(……馬鹿ね、お前は)


 つられて笑いそうになってしまい、四姫は慌てて表情を引き締める。


(私は……『四姫』よ。四季宮の、まがいものの主である以前に)


 もっとも、今から行うことは、今まで一度も試みたことがない。不安でないと言えば嘘になる。

 けれど――。


(わたしにできることは、これだけしかない)


 四姫は、ゆっくりと目を閉じた。

 部屋に満ちる冷気と、自分の肌の温かさの境目を意識する。ゆっくりと、意識を溶かしていく――。

 その先に訪れるものは、四姫にとって、とても馴染みのある感覚だ。


 足先から、這い上がっていく。

 束ねられた絹糸のような細い光が、体中を覆い尽くしていくような――。


 ――そうだね。後は『わたくし』にお任せなさい。


 体の内側から響く、玲瓏(れいろう)たる声。

 四姫の体から、がくりと力が抜けた。

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