五章・5
無常な光景が、楓の目の前に広がっていた。
脇道ひとつない、真っ直ぐな通路をひた走った、その先に待ち受けていたのは――。
「……駄目です」
竜哉がかぶりを振った。
「鍵穴は見当たりません。蝶番を破壊することも不可能です」
「くそっ、ここまで来て……!」
楓は苦々しくそう吐き捨てる。
今、彼らの前に立ち塞がっているのは、分厚い鉄の扉だった。
鍵の掛かったその扉は押しても引いてもびくともせず、物理的な方法でそれを開くことは、百パーセント不可能と言ってもいい。
事実、先ほどの竜哉の言葉どおり、楓たちは思い付く限りの手段を試してみたのだ。けれど、すべて無駄な努力に終わった。
楓は、扉の横に付けられたコンソールに目をやった。
「やはり、これをどうにかするしかないのか……」
キーボードと液晶画面を交互に見つめ、楓は唸るしかなかった。
液晶画面に表示されているのは、パスワードを要求する英文と、アルファベット五文字を打ち込むことのできる認証画面。
「……有希は、嘘は言っていなかった」
楓の言葉に、達也がうなずく。
「そうですね。方角と走った距離を考える限り、ここは四姫様のいる離れに近い、庭園の一角でしょう。有希の言葉は嘘じゃありません。……ただ、何も言わなかっただけです」
「……そうだな。むしろ、ここまで無事に連れてきてもらえただけでもありがたいと思うべきだろう」
逃げ場のない地下通路に追手が待ち受けていたとしたら、今ごろ二人は、命を失っていたかもしれない。
「ただ……有希は諜報部の人間でもあった。それだけのことなんだろうな」
「ええ、そのとおりです。なら、考えましょう。この扉を開けるための言葉を」
「……ああ」
竜哉に促されるようにして、楓はコンソールの前に立った。
――と、そのとき。
「……楓……!」
竜哉が、緊張した面持ちでそう呼びかける。
「ああ……追手が、来たようだな」
まだ随分と遠い。だが、確実に、複数の足音は二人に近付いていた。
「しかし、アルファベット五文字か……有希、四季宮、夏月……どれも当てはまらないな」
楓はキーボードに触れながら、ぶつぶつと呟く。
試しに『四姫(SHIKI)』と入力すると、盛大な警告音と共に大きなバツ印が画面に現れた。それと共に、パスワードを入力することのできる残り回数が画面に表示される。
「……あと二回、だそうですよ。下手に試したら扉は永遠に閉ざされ、おれたちはここで追っ手に捕まってしまう運命……というわけですね」
竜哉の言葉に、楓はごくりと唾を飲み込んだ。途端に緊張した体から、冷たい汗が噴き出してくる。
「やはり、これは罠なのか……けれどそれならば、もっと早い段階で追っ手を寄越してもいいはずだ。つまり有希は、僕たちにここを突破されても構わない。むしろ、突破して欲しいと願っているのかもしれない」
「なら、おれたちは絶対に、このパスワードを解くことができるはずです。彼女のことを理解しているのなら」
竜哉もまた、腕組みして考え込む様子を見せ――不意に、顔を上げた。
「……そうか……」
「竜哉? 何か分かったのか……!?」
楓の言葉に、竜哉はひとつうなずく。しかし。
「……竜哉? どうして、何も言ってくれないんだ」
楓の言葉どおり、竜哉はそれきり、口をつぐんでしまったのだ。
足音が、徐々に近付いてくる。
「竜哉、お願いだ……何か分かったのなら、僕に教えてくれ……!」
「……おれには、教えられません」
縋るような楓の視線に、しかし竜哉はゆっくりと首を振る。
「楓、あなたには見て見ぬふりをしていることが多すぎる。……本当は、分かっているのでしょう?」
何を、と。竜哉は言わなかった。
しかし、楓は――。
「……けれど、僕は……」
呟くと、迷いつつもコンソールを叩き始めた。
「くそっ、くそっ、くそっ……!」
楓は吐き捨てる。
何度も、何度も。
まるで――本当に見たくないものから、目を背けるように。