五章・4
「……四姫」
薄闇に溶けるように、夏月の声が響く。
まるで眠っているような空気と、時間だった。
しんと冷え切った佐保の間を照らすのは、隙間なく閉められた障子の向こうを淡く染める昼の光だけだ。
その中央に、四姫は座っていた。
人形のような無表情のまま、身動きひとつせずに、ただ、座っていた。
それ以外のことを、許されていなかった。
「……楓が、こちらに向かっているそうですよ」
傍らに控えるように、夏月が立っている。
楓、という言葉に、四姫の唇が微かに震えた。
「楓ちゃん、が……」
「ええ。ですが彼は、三人もの人間を殺しました。……あなたをも、殺すかもしれない。そんな人物を、あなたに近付けるわけにはいきません」
「馬鹿なことを言わないで。楓ちゃんが、わたしを殺すはずがないわ」
先ほどまで無気力に等しかった四姫の瞳に強い光が宿ったのを見て取り、夏月は目を細めた。
「……随分と、彼を信じておいでのようだ。あれほどに嫌われ、それでも楓を信じる根拠があなたにあるなら、ぜひとも聞かせていただきたいものです」
「楓ちゃんは、楓ちゃんだもの。彼は絶対にわたしを助けに来てくれる。守ってくれるって、昔から決まっているの。……あなたには分からないわ、夏月」
四姫は、夏月の言葉を受けて不安になるどころか、微かに笑ってすら見せた。
夏月は、不快そうに眉をしかめる。
「……確かに、私には分からない話のようですね」
「ええ、秘密の話ですもの」
艶やかに、四姫は夏月へと笑ってみせた。
(……そうよ。楓ちゃんが、わたしを殺しに来るはずがない)
遠い昔に、秋乃と――母と約束したのだ。
『小春を守る』と。
楓が、大好きな母との約束を破るはずがない。
(たとえわたしが……自ら望んで、この運命を呼び寄せたのだとしても)
艶然と微笑みながら、けれど四姫の胸はずきりと痛む。
夏月はしばらく口をつぐんでいたが、やがて何かを思い付いたかのように、微かに口元を歪めた。
「……しかし。楓は本当に、ここまで辿り着けるでしょうか」
「どういう、こと……?」
「さあ。……言葉どおりの意味ですよ」
夏月は四姫に寄り添うようにしてその場に屈み込むと、ゆっくりと腕を伸ばす。
四姫の長い黒髪を梳くように手のひらに乗せ、夏月はそっとそれに口づけた。
「もうすぐです、四姫」
夏月の切れ長の瞳が、怜悧な刃物のように冷たい光を帯びる。
「もうすぐ、あなたを縛り付けるすべてのものが失われる」
四姫は震える体を抑え付けるように、夏月をきつく睨み付けた。
「……お前が、すべてを仕組んだのね」
「そのようなことを、あなたが気にかける必要はありません」
夏月は、微笑を浮かべた。
「あなたはただ、神と人の橋渡しをする存在であればいい。人の世のすべてが失われるそのときこそ、あなたは本当の『四姫』に上り詰めるのです」