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五章・2

「……姉さん?」


 不意に、呼ばれた気がした。


「どうしました、楓」

「いや、何でもない……」


 楓は首を振る。

 小春が。四姫が、自分を呼ぶはずがない。

 彼女は自分の意志であそこにいるのだ。だからこそ、楓はこれから、彼女の元に向かおうとしている。


「で、屋敷の周辺を見回ってきましたが……見事なほどに見張りだらけでした。正面突破は勿論、無理矢理に塀を越えたりすることも不可能でしょうね」


 竜哉は、渋い顔でそう報告した。


「そうか……ありがとう、竜哉」

「いえいえ」


 竜哉は微かに笑う。


「これが、おれの仕事ですから」


 楓も、笑い返そうとして……失敗した。


「……無理しないでください」


 竜哉が楓の頭に手を置き、軽く撫でる。


「今は、四姫様の元に行くことだけを考えましょう」

「……ああ」


 楓は大人しくされるがままに、その温かな手の感触を味わった。

 二人は今、河内の屋敷の近くにある隠れ家に身を潜めていた。


「しかし、いざというときのために作っておいたここが、本当に役に立つ日が来るとは思わなかったな」


 楓は少し埃くさいソファーに身を埋め、しみじみとそう呟く。

 楓たちが潜伏場所として用意したのは、昔、祖父・芳史の抱える愛人の一人が住んでいたという小さな屋敷の、これまた小さな離れだった。

 そこに住んでいた芳史の愛人の女性はとうの昔に亡くなっており、屋敷だけがきれいに手入れされている。竜哉からそのことを聞いた楓は、離れだけを使わせてもらえないか、と申し出た。楓が四季宮に入る、少し前の話である。

 快く了承してくれた芳史には、感謝してもし切れない。彼がここを使わせてくれなかったら、今ごろ楓たちは四季宮の追っ手に捕まっていたことだろう。


「四姫だとしても、姉さんが僕を殺そうとするはずがないんだ。なら、姉さんはきっと、夏月によって操られているか……その命令権を奪われ、閉じ込められているか」


 楓の、四姫に対する絶対の信頼を、竜哉は疑おうともしなかった。恐らくは、疑うだけ無駄だと分かっているのだろう。


「どちらにしろ、おれたちが屋敷に突入しなければいけないことには変わらない……ということですね」


 離れは、ミニチュアの洋館のような造りをしている。厚いカーテンが閉め切られ、燭台型の間接照明だけが照らし出す部屋の中、竜哉は楓の座るソファーの傍に控えるようにして立った。


「四季宮のセキュリティーは厳重です。おれたちが知っているいくつかの抜け道は、すでに封鎖された後でしょうね」

「そうなると……本当に、打つ手がないな」

「ええ。四姫様直属とはいえ、おれたちは下っ端に過ぎないのだと、よく思い知らされましたよ」


 肩を竦めた竜哉に、楓は苦い表情を浮かべる。

 ――と。空気を振動させるように、楓のポケットに入っている携帯電話が震動した。


「……有希だ」


 ディスプレイに表示された名前を見て、楓は電話に出ることをためらった。


「少し、危険かもしれませんね。彼女はあなたの部下ですが、同時に諜報部の人間でもある。下手な手を打てば、四季宮にこの隠れ家を知られてしまうかもしれません」


 竜哉もまた、楓が考えたことと同じ危険性を指摘する。


「しかし……他に打つ手があるか?」

「……ありませんね」

「なら、出るしかないな」


 半ば縋るような思いで、楓は通話ボタンに触れる。


「もしもし……有希?」

『あ、楓先輩! よかった、ご無事だったんですね……』


 電話の向こうから聞こえる有希の声は、心底安堵しているように聞こえた。

 しかし、まだ警戒を解くわけにはいかない。


『突然、四季宮全体に先輩たちの捕縛命令が出て……手段は選ばなくていいっていうから、あたし、すごく心配してたんです……』

「ああ、僕たちは無事だよ。心配をかけてすまない。それで……有希は今、どこにいるんだ?」


 冷静に、冷静に。楓は少しずつ話を進めていく。


『あたしは……屋敷の外です。今、周囲の見張りに駆り出されてる最中で、他の人の目を盗んで、こっそり電話してます』


 有希の言葉に、楓はじっと電話の向こうの様子を窺おうと耳を澄ます。

 ひとまず、有希の声以外に聞こえる音はない。かといって、それだけで安心できるはずもない。


『最初に言っておきますけど……あたしは、信じていませんから。楓先輩が人を殺した、なんて。四姫様を独占するために、恐ろしい計画を実行したなんて、あるわけない』


 疑われていることに気付いたのか、有希が心なしか緊張した声でそう告げた。


『楓先輩が、そんなこと考えるわけがないんです。だって……それくらいなら、四姫様の想いを利用する方がずっと簡単じゃないですか』

「……確かに、そうだな」


 有希は、四姫が異常なまでに楓に執着していることを知っている。楓が求婚者を殺してでも四姫を独占しようなどと、考えるはずがないと分かっているだろう。

 楓は緊張を解き、慎重に話を切り出した。


「有希。僕は、四姫の元に行きたい。……何か、いい方法を知らないか?」

「楓、それは……!」


 竜哉は慌てて楓の言葉を遮ろうとする。が、楓は小さく首を横に振って、


「竜哉、有希を信じよう。……他に、方法がないんだ」


 楓は静かに有希の次の言葉を待つ。

 やがて。


『……諜報部が使ってる、秘密の地下通路があります。そこを使えば、誰にも見つからずに屋敷の中の……四姫様のいる離れに近い場所に出られるはずです』

「……本当か!?」


 予想以上の言葉に、楓は思わず立ち上がった。


『はい、あの道は諜報部一人ずつに与えられるものなので、あたしだけの抜け道なんです。……先輩方に信じていただけるか、すごく不安ですけど』


 どこか頼りなさそうに、電話の向こうの声はそう告げる。


「……どうしますか、楓。おれには、少し危険な申し出のように思えますが」

「しかし、他に方法はない。ここにいても、いずれ捕まるだけだ。裏切られても、それが早まっただけだと考えればいいさ。……有希を信じよう。いいだろう?」

「……仕方ないですね」


 竜哉がため息混じりにうなずく。

 楓は緊張した面持ちで、携帯電話を持つ手に強く力を込めた。


「有希……そこに、僕たちを案内してくれるか?」


 わずかな沈黙の後、有希は「はい」と短い言葉を返した。

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