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四章・6

 夜の闇に紛れて、車は、海沿いに立ち並ぶ倉庫のひとつに添うようにして停まった。


「……ここは?」


 楓の問いに答えず、嵩志はさっさと車を降りてしまう。


「父さん……!?」

「来い。そうすれば嫌でも分かる」


 楓も慌てて車を降りる。

 何の変哲もない、大きな倉庫がいくつも立ち並んでいるだけの場所だ。


「こんなところに、何の用があるんですか」


 なおもそう訊ねる楓に鬱陶しそうな視線を向けてから、嵩志は顎をしゃくるようにして倉庫のひとつを指し示した。


「だから何が…………っ!」


 訝しげにそちらに視線を向け、楓は言葉を失った。

 それは、いくつも立ち並ぶ、同じ造りをした倉庫のひとつだった。

 ――ただひとつ、厳重に閉ざされているシャッターの脇に、四季宮の構成員と思われる黒服の男が立っていることを除けば。


「夏月がよく使っている隠れ家のひとつだよ。この辺の倉庫は、最近の不況で潰れちまった会社が所有してたからな。今じゃほとんど誰も来ない。河内の屋敷――四季宮の本部でできないようなことをするには、ぴったりなのさ」


 吐き捨てるように、嵩志は言った。


「まったくもって、あいつは性格が悪い」

「っ……! 何故、父さんがそんなことを知っているんですか……?」


 そう口にした瞬間、黒服がこちらを向いた気がして、楓は慌てて倉庫の影に身を隠した。


「長い付き合いだからな」


 ぽつり、嵩志はそう呟く。


「あいつから秋乃を奪うのは、それは大変な道のりだったのさ。一度、あの中に連れ込まれて、四季宮の連中から半殺しの目にあったこともある」

「……待ってください。夏月は僕と十といくつかしか違わない年齢ですよ。父さんが母さんと結婚する前って……」

「ああ、秋乃が十七で……夏月が、十にも満たない歳だった頃の話だな」


 さらりと告げられた言葉に、楓は気が遠くなりそうだった。


「どうして、そんな……」

「あいつはその頃から四季宮の次期責任者として育てられていたし、おまけに秋乃の婚約者だったからな。おかげで俺は、色々とひどい目にあった。それでも秋乃を連れ出せたのだから、俺の勝ちだ」


 嵩志は、勝ち誇るように笑ってみせた。

 楓は未だに、目の前の現実が信じられなかった。

 居場所であったはずの四季宮に牙を剥かれ、憎むべき相手だと思っていた父親が自分の手助けをしてくれている。

 夏月のことを、特別慕っていたとか、そういう事実はまったくない。むしろ楓にとっては、苦手な人物の一人だ。

 しかし。彼の、四季宮の責任者としての手腕は絶大だった。四姫を守る盾として、彼以上に信頼できる人物は存在しなかったのだ。


(……ああ、そうか)


 そこまで考えて、楓は納得した。


「……夏月が守っているのは、『四姫』なんですね」


 小春ではない。四季宮の頂点に座する、唯一にして至高の巫女姫。

 ――四姫。


「今ごろ気付くな、馬鹿が」


 楓の言葉に、嵩志は吐き捨てるようにそう返した。


「夏月はいかれてるからな。四姫をその座から下ろそうとする人間には容赦ないぞ」


 嵩志が意地悪そうに唇を歪ませる。


「特に小春は、十数年ぶりに就任した四姫だ。夏月の思い入れも格別だし、今度こそ奪われまいと必死だろう」

「けれど、姉さんは僕に執着し……僕は、姉さんを四姫の座から下ろそうとしている」

「ま、そういうことだ。……どういうことか、分かるな?」

「……はい」


 楓がうなずくのを見て、嵩志はすっと表情を引き締めた。


「竜哉は、十中八九、あの中に捕まっている。俺が四季宮の連中を誘導するから、お前は突入して、竜哉だけを助けて来い」

「待ってください。末端の部下たちも、あそこに捕まっているんです」

「馬鹿が。そいつらは四季宮の……夏月の部下だ。お前の部下じゃない。今ごろはお前を探すのに狩り出されていることだろうさ」


 そう告げるなり、嵩志は車に乗り込んだ。


「父さん!」

「なんだ、俺は忙しいんだ。さっさと終わらせて帰るぞ。まだ、明日の委員会の資料も読んでないんだ」


 後部座席の窓を開け、嵩志が苛立たしげに顔を出す。


「あの、その……ありがとうございます」

「なんだ、今日はやけに素直じゃないか」


 ふ、と笑みを漏らす嵩志に、楓は顔をほのかに赤く染めた。


「まあ……これが終わったら、酒でも飲みに行くか」

「僕は未成年です」

「知るか。だったらさっさと成長して、俺の跡でも継いでくれ。政治家ってのも、悪くない職業だぞ」

「……考えておきます」


 嵩志を乗せた車が、静かに発進した。

 楓はそのまま倉庫の陰に隠れ、辺りの様子を窺う。

 ――やがて。


「う、うわあぁぁ……っ!」


 悲鳴が上がった。続いて、急ブレーキの音。

 嵩志の乗った車が、倉庫の入口にいた見張りの男に突っ込んだのだ。


「なっ……! なんて無茶な……」


 嵩志はもちろん、あれではつき合わされている運転手も危険だ。いくら高い給料を貰っているとはいえ、あんなに過激なことをやらされるのはたまったものではないだろう。

 しかし、この機会を逃すわけにはいかない。

 騒ぎを聞き付け、シャッターの開け放たれた倉庫の中から、何人もの黒服の男たちが走り出てくる。手に銃を持った彼らは、倉庫街を走り抜ける高級車に向かって、一斉に発砲し始めた。

 その隙を突き、闇に紛れるようにして、楓は倉庫の中に忍び込んだ。

 壁際にいくつかの箱が積まれているだけで、他には何もない。明るく、がらんとした広い空間だけが、そこには広がっていた。


「……楓!?」


 竜哉は後ろ手に縛られて、入口からほど近いあたりの床に転がされていた。


「竜哉! よかった、無事だったか……」


 幸いにも、黒服の男たちは皆、外の騒ぎに借り出されてしまったようだ。楓は素早く走り寄ると、竜哉を縛っていたロープを解く。


「失敗しました。すみません」

「謝るな。すべては僕の判断ミスだ」

「それにしても……何故、ここが?」

「父さんが連れてきてくれた。今、外で四季宮の奴らを引き付けているのも、そうだ」

「嵩志様、が……」

「ああ。それより、急ぐぞ。ぐずぐずしていたら、男たちが戻ってくる」

「ええ、行きましょう」


 顔を見合わせて、二人はひとつうなずく。

 しかし、倉庫の外に出た二人は、運の悪いことに、銃を持った男の一人に遭遇してしまった。


「なっ……止まれ、お前たち!」


 男は叫ぶ。が、その銃口を二人に向けようとはせず、走って追ってくるだけだった。


「どうやら、補給のために戻ってきたようですね」

「運が悪いかと思ったが、事態は意外と僕たちに有利に動いているようだ」


 楓は微かに笑うと、近くに積まれていた箱の山を、走り抜けながら蹴り飛ばす。

 不安定な木箱の山が崩れ、追って来た男が、一瞬だけ立ち止まった。

 と――。


「おい、こっちだ!」


 楓たちの走る道を抜けたところに、嵩志の車が止まる。


「父さん!」


 後部座席のドアを開けて手招きする嵩志を目にして、楓の緊張がほんのわずかだが、緩んだ。

 ――それが、命運を分けた。


「っ!」


 車まで、ほんの数歩の距離だった。

 なのに――楓は足をもつれさせて、転んでしまったのだ。


「待て!」


 楓が立ち上がろうとした瞬間、後ろから黒服の男たちの声が聞こえた。

 続けて、いくつかの発砲音。


(やられる……!)


 無様に地面に這いつくばる楓は、格好の的でしかない。


「楓!」

「駄目だ、お前は行け!」


 足を止め、自分を助けようとした竜哉を、楓は車の中に突き飛ばす。

 竜哉が無事に車に乗ったことを確認して――楓は、ふ、と笑った。


「僕が死んでも、お前が姉さんを助けろ」


 そう言って、楓は死を覚悟した……はずだった。

 だが。


「馬鹿が! 俺より先に、勝手に死ぬんじゃない!」


 後部座席から飛び出してきた嵩志が、楓の腕を掴み、無理矢理に引きずり起こした。


「父さん!?」


 楓は焦った。

 嵩志はまるで楓を庇うかのように、黒服の男たちに背を向け、楓を車の中へと押し込んでいる。


「危険だ、父さん!」

「いいから! 早く車に乗れ!」


 振り向こうとする楓を、嵩志は力ずくで車に乗せた。

 再び、発砲音。


「車を出せ! 早くこいつらをここから逃がせ!」


 嵩志はそう叫ぶと、後部座席のドアを力任せに閉めた。


「駄目だ、父さん!」


 楓は叫んだ。

 嵩志は、車に乗り込んでいない。後部座席の二人を守るように、ドアに覆い被さるような形で車に寄りかかっているだけだ。

 嵩志の命令を受け、車が急発進する。


「父さん、父さん!」


 楓は何度も後部座席のドアを開けようとした。何度も、その窓を叩いた。

 しかし、車は嵩志を乗せることなく、倉庫街から遠ざかっていく。


「父さん……!」


 楓の、血が滲むような叫びも空しく。

 ぱん、と乾いた音がした。

 何度も、何度も。

 やがて、車を見送るように立っていた嵩志が、ゆっくりと倒れた。


 頼りない倉庫の照明に照らされて。

 最後の瞬間、嵩志は――微笑んでいるように見えた。

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