四章・1
その瞬間。
楓が思い浮かべたのは、父親の名前。
『彼ならばやりかねない』
――それは、楓と嵩志の間にある、埋めることのない溝がもたらした推論だった。
「……なんとか、追手は撒けたようだな」
いくつもの足音が遠ざかっていく。
ビルとビルの細い隙間に体を滑り込ませ、楓はほっと息を吐いた。
「とはいえ、これからどうするか……」
一度、状況を整理しなければいけない。
「まずは……僕を罠にはめた人物が、父さんだと仮定しよう」
八割方そうだろうと思っているが、世の中、どんな物事も頭から思い込んでは失敗するので、断定することは我慢する。
「ここではっきりさせなくてはいけないのは三つだ。なんのために、僕を犯人に仕立て上げようとしたのか、石塚さんを殺したのか、……彼の劣等感を突いて、親友の鮎川さんを殺させたのか」
何のために。
少し冷静に考えれば、その答えは自ずと見えてくる。
四姫だ。
――四姫は、俺には会わないさ。随分と嫌われているからな。
以前、嵩志がそんなことを言っていた。
それも無理はない、と楓は思う。
嵩志は自らの権力のため、小春を無理矢理に四姫に仕立て上げたのだろう。嵩志の口から直接聞いたことはないが、彼は選挙の基盤作りのため、小春を四季宮に送り込んだのではないかと――楓は思っている。
何故ならその頃、都議会議員を務めていた嵩志は、圧倒的な得票数で国会議員に当選したからだ。いくら大きな政党に所属しているといっても、その結果は神がかっているとしか思えない。
しかし、選挙が終わって以来、嵩志はほとんど四姫への目通りを許されていないという話だった。随分と嫌われたものだ。
とはいえ、大事な権力を有する娘との付き合いを途絶えさせるわけにはいかない。たとえ小春が四姫に就任したことで、世俗との係わり合いを一切なかったことにされているとしても、だ。
それならば、部下を寄越せばいい。嵩志がそう考えても不思議はないだろう。大切なパトロンが寄越した求婚者ならば、いくら四姫とはいえ、はっきりと拒否することはできない。
そうして嵩志は石塚を四季宮に送り込み――甘言を用いて、同じ求婚者である鮎川を殺させた。用済みの石塚も。この二人は求婚者という立場によって、嵩志から四姫を奪う可能性があるためだ。
そして、目障りな楓に、その殺人の罪を覆い被せる。四姫の傍仕えが殺人で逮捕されるとなれば、四季宮は大混乱だろう。その隙に乗じれば、組織内部のいくばくかを手中に収めることすらも可能かもしれない。
なにせ、相手は嵩志だ。海千山千の国会議員の中において、今なお、莫大な人気を集めるほどの社交性とカリスマ性を持ち、その実、狙ったものは決して逃がさない行動力をも合わせ持つ。
そのような人物でもなければ、四季宮から先代の四姫――楓達の母親、秋乃をさらい出せるわけがない。
楓は、背筋に震えが走るのを感じた。
実の息子で風評を下げることよりも、その後にもたらされる富の方がはるかに大事だと――あの男ならば、そんな判断を下しても、何の不思議もない。
少なくとも、楓にとって、嵩志という男はそういう父親だったのだ。