三章・8
――鮎川友博を殺したのは、親友である石塚卓巳ではないのか?
楓の言葉に、竜哉は少し考える様子を見せた。
「……そう考えても、なんら不思議ではないですね。もしも彼が、何らかの方法で他の求婚者のことを知ってしまったとしたら」
その中に、友人である鮎川がいると知ったら。
楓と竜哉、二人の言葉に、石塚は大きく身を震わせた。
「……俺は、鮎川には、勝てないんだ」
やがて。ぽつりと落ちた言葉に、悲痛な色が混じる。
「俺が努力しなければ得られないものを、あいつは簡単に手に入れてしまう。成績も、恋人も……。それなのに、あいつは俺のことを親友だと言うんだ。それが一番つらかった」
「しかし、鮎川さんは本当に、あなたのことを……」
「分かってる!」
楓の言葉を、石塚が強い口調で遮る。
彼は、ぽろぽろと涙を零し始めた。
「確かに、あいつには傲慢なところがある。でも、いい奴なんだ。本当にいい奴なんだ。俺みたいな真面目だけがとりえの不器用な奴をすごいって、本気で尊敬してくれて、信頼してくれて……嫌えるはず、ないじゃないか」
「……しかし、あなたは鮎川さんを殺したんですね」
楓の言葉は、無常に響く。
「……俺は、あの方を愛してしまった。君なら知っているだろう? ……四姫様、だよ」
四姫、という名前が出た瞬間、楓は顔を歪ませた。
けれど石塚は自分の話に夢中で、そんなことに気付く様子もない。
「けれどあいつが、鮎川のことを教えてくれた。同じように四姫様に求婚しているのなら、俺が鮎川に勝てるはずがないんだ。……そんなとき、あいつが来た」
石塚はぎらぎらと光る目で楓たちを睨み付けた。
「お前たちが、それを知らないわけがないだろう!? あいつは俺に言ったんだ! 『欲しいのならば、手段は選ぶな』って! だから俺は、鮎川を殺し……」
ぱん、と乾いた音が響いた。
一瞬の出来事だった。
「ぐっ……!」
石塚が、くぐもった悲鳴を漏らした。
――その胸が、見る見るうちに赤く染まっていく。
「……誰だ!?」
我に返った楓が辺りを見回す。
すると、細い路地の奥へと逃げる人影があった。
「楓、このままではまずいです」
竜哉が石塚の体を調べた後、焦った様子で周囲を見回す。
「急所は逸れているんですが、失血性のショック症状を起こしています。恐らく、助かりません」
「救急車は?」
「間に合いません。この場はおれに処理を任せて、あなたは先ほどの人影を追ってください。このままここにいては、色々と厄介なことになります」
「確かに。こんなところ、誰かに見られるわけにはいかないな」
銃で撃たれた男と一緒にいた、なんてことが知られれば、楓は間違いなく事情を聞かれることだろう。
どんなルートで情報が漏れるのか分からない以上、危険を冒すことだけは絶対に避けたい。
「竜哉、この場は頼む」
「任せてください」
路地のただならぬ気配に、大通りを歩いていた人々もざわつき始めたようだ。
竜哉を信頼し、楓は一人、人気のない路地の奥へと向かった。
立ち並ぶビルの隙間を縫うように伸びる道を、全力で駆け抜ける。
やがて楓は、道の真ん中に何かが落ちているのを見つけた。
「これは……もしかして、さっきの」
銃だった。模造品やエアガン、ましてやジョークグッズとして使われるライターなどではない。れっきとした拳銃だ。
「あの人影が、ここに落としていった……何のために……?」
足を止め、銃を拾い上げようとした楓に――。
「おい、そこで何をしている!?」
鋭い声が聞こえた。
楓は慌てて顔を上げる。と、数人の警察官が、こちらに向かって走ってくるところだった。
(……なんだって?)
石塚の処理は、竜哉に任せてきた。彼ならば、楓の方に警官を寄越すようなミスをするはずがない。
ということは。つまり――。
(罠、か……!)
今さらそこに思い至り、楓は唇を噛んだ。
いくら証拠を捨てたいからといって、道の真ん中に拳銃を捨てていく馬鹿がどこにいる?
あれは恐らく、楓を足留めし、石塚の事件に関わらせるための罠だったのだ。
「くっ……」
今さら気付いてももう遅い。楓は、その姿を見られてしまった。
せめて拳銃だけは回収しようと、楓は銃に手を伸ばし、拾い上げた。
「凶器と思われる銃を確認! 容疑者は依然、逃走中です! 若い男、身長は……」
「いつから僕は容疑者になったんだ……」
吐き捨てて、楓は全力で路地を走った。
拾った銃が、腕の中でずしりと重い。後ろからいくつもの足音が追ってくるのが分かる。
それだけではない。
「こっちだ!」
別の方向からも、警官たちが近付いてくるのが分かった。
(……追い詰められている、な)
おそらくは、楓が石塚を撃った犯人を深追いした時点で――いや、そもそも石塚に接触した時点で、この罠は作動するようにできていたのだろう。
(誰が、いったい、何の目的で……)
そこまで考えて――不意に、楓の脳裏に、まるで天啓のように閃いたのは。
一人の、男の名前。
「……あなたは」
ぎり、と楓は唇を噛み締める。
「あなたは……そんなに自分の地位が大切ですか」
血の味が、口の中に広がる。
彼ならばやりかねない。そんな思いが体を駆け巡り、神経までも冷えさせていく。
「誰かを犠牲にしてまで、権力を欲するんですか……父さん……!」