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僕は、巡る季節の姫君へ捧ぐ  作者: xxx
序章・一章
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一章・1

 大学受験を控えた高校三年生にとって、十二月というのはまさに戦争だ。

 当然、遠野(とおの)(かえで)の周りも例外ではなく、彼自身もまた、その例に漏れることはない。

 模試、結果、復習、過去問、傾向と対策のオンパレード。荒んだ受験生ライフを謳歌していると、ため息も枯れ果ててしまいそうだ。

 そんな心境を表すかのように、窓の外には灰色の曇り空が見えるばかり。窓際の席というささやかな特権も、冬の前では隙間風と憂鬱に取って代わられてしまう。


「……どうでした、楓?」


 先ほど返されたばかりの模試の結果をぼんやりと眺めていたら、隣の席から首を伸ばす人影がある。


「僕は別に。……竜哉は」

「おれなんか全然。本当に楓と同じ大学に進めるのか不安なくらいですよ」


 須藤(すどう)竜哉(たつや)は、肩を竦めて苦笑した。

 言葉こそ殊勝なものだが、実際のところは怪しいものだ、と楓は思う。

 色素の薄い茶色い髪に、人好きのする柔和な顔立ち。背の高い体は細く見えるが、実はしなやかな筋肉によって形作られている。


「そんな胡散臭げな目で見ないでくださいよ。今回は本当に駄目だったんですから」

「今回は、ね……」


 言いながら、自分の結果をしまおうとする竜哉を、楓は訝しげな目で見つめた。

 幼なじみの竜哉とは、物心つく前からの付き合いになる。

 しかし、楓は未だ、この人畜無害そうに見える笑顔の裏側を読み取ることができなかった。

 楓は肩を竦めると、手に持った紙を無造作にそちらへ手渡した。


「……でも、楓はすごいですね。志望校、余裕で合格圏内に入ってるじゃないですか」


 受け取った紙を一通り眺めて、竜哉は感嘆の声を上げた。

 楓はにこりともせずに、竜哉の手から紙を取り返してクリアファイルの中にしまう。


「別に、こんなものに意味はないさ。重要なのは本番だ」

「まあ、そうなんですけどね……」


 と、竜哉が言葉を失ったところに割り込むように、数人の女子が二人の席に近付いてきた。


「遠野くん、須藤くん。二人は、模試の成績どうだった? 二人とも頭いいし、結果よかったんじゃない?」

「いいなあ、あたしなんか冬休み中勉強しても足りなさそう。もっと早くからやっとけばよかったー、って今になって後悔してるの」


 席を取り囲んで、我先にと話し始めた少女たちに、楓は何の感情も浮かばない視線だけを向ける。


「別に……結果なんて、本番まで誰にも分からないよ」


 先ほど竜哉に話した言葉を柔らかく直すと、少女たちはきゃあきゃあと笑い合った。


「それって、遠野くんだからこそ言える台詞だよねぇ」

「うんうん、遠野くんって何でも簡単にこなしちゃうっていうか、そういうイメージあるよね」

「確かに。平然と志望校に合格しちゃいそう」


 さざめくように笑う少女たちに、楓は内心うんざりしていた。

 女性というものは、大抵の場合において想像を超えた生き物だ。何がそんなに面白いのか、まったくもって理解できない。

 早くどこかに行ってくれないものか。そう願う楓の様子を察したのか、竜哉がやんわりと会話に参加した。


「なるほど、楓はクールなんですね。じゃあ……おれなんか、どう見えますか?」

「須藤くん? えーと、そうだなぁ……努力の人! 頑張った分は報われる、みたいな!」

「言えてるー!」


 盛り上がる少女たちとは裏腹に、楓は冷めた目でそのやりとりを眺めている。

 竜哉のどこがそんなに善良な人間に見えるのかと思ったが、そこはやはり付き合いの長さと深さの違いなのだろう。もっとも、そこで騙される方が幸せなのだろうが。


「ね、やっぱり須藤くんは遠野くんと同じ大学に進むの?」


 聞かれ、竜哉は微かに笑う。


「そのつもりはあるんですが、合格するかは分かりませんね。楓はともかく、おれなんかぎりぎりの成績だから」

「ね、じゃああたしたちに勉強を教えてよ! 誰かに教えると、その分自分にも身に付くって言うじゃない」


 突如として盛り上がった女子は、竜哉の予想範囲を超えていたようだった。


「うーん、そうですねぇ。じゃあ、そのうち……」


 笑顔は崩さず言葉を濁し、竜哉が視線を泳がせた。どう言い逃れればいいか考えているらしい。

 仕方ないな、と楓はしぶしぶ口を開く。自分から引き付けておいてこの様だ。

 こういうときこそ腹黒そうな笑顔を活用して言いくるめるべきだろうに、この幼なじみはどうにも女性に甘いところがあった。


「こいつに勉強を教わるなんて、考えない方がいいよ。こう見えても竜哉はかなり厳しいから。僕なんか、昔はひどくしごかれた」


 それを聞いて、少女たちが歓声を上げた。楓の言葉は、どうやらお気に召してもらえたらしい。

 まあ、嘘をついているわけではないし、構わないだろう。……ただし、幼稚園の頃の話ではあるが。カタカナの『シ』と『ツ』が書き分けしづらいのが、そもそもの原因なのだ。


「さて……と。それじゃ、僕たちはそろそろ帰るよ。お迎えも来たしね」


 声にならない言葉を抱えて顔を赤くしている少女たちに形ばかりの苦笑を浮かべて、楓は席から立ち上がった。竜哉も慌ててその後に続く。

 と、教室の後ろの扉がすっと開いた。


「楓先輩、竜哉先輩、お迎えにあがりましたー!」


 髪の短いボーイッシュな少女が、廊下から中を覗き込んでいる。


「ホームルーム、もう終わりましたか?」


 その言葉に、少女の一人がそちらを振り返り、親しげに微笑んだ。


「あ、水無瀬(みなせ)さん。ホームルームならさっき終わったよ。今日も二人に呼び出されたの?」

「毎日ご苦労様。一年の教室ってけっこう離れてるし、ここまで来るの大変でしょ?」


 水無瀬(みなせ)有希(ゆき)は、困ったように笑った。


「そうなんですよ、先輩方。お二人とも後輩遣いが荒くって困っちゃいます」

「……有希、クラスメイトにあらぬことを吹き込むんじゃない。僕の心証がこれ以上悪くなったらどうするんだ」

「そうですよ、有希。せめて、こんなに素晴らしい先輩を二人も持てて幸せです、くらいは言って貰いたいものですね」


 帰り支度を済ませた楓と、コートを着ている最中の竜哉が、口々にそう漏らす。


「あはは……まあ、準備も終わったみたいですし、行きましょうかー」


 そう言うと、有希は覗かせた顔を引っ込ませた。

 楓は困ったような顔をして、


「逃げたか……。じゃあ、悪いけど僕たちは帰るね。また明日」

「うん、また明日」

「気を付けてねー」


 クラスメイトの少女たちに別れの挨拶をして、楓は廊下に出た。と、そこで一瞬だけ立ち止まる。



 ――遠野くんと須藤くん、やっぱり頭いいよねぇ。顔もいいし、二人でいるところを見るだけで目の保養になる感じ。

 ――後輩ちゃんも、一時期はどうなることかと思ったけど……あの二人に割り込める雰囲気じゃないみたいだしねぇ。

 ――クラスのアイドルは、卒業まで安泰ね。



「……相変わらず、お嬢さん方は微笑ましく、たくましいですねぇ」


 漏れ聞こえてきた会話に、すぐ後ろから付いてきていた竜哉がそう漏らす。もちろん、楓だけに聞こえるように。


「僕は、ああいうのは苦手だ。……ま、お前と二人でいるだけで、寄ってくる女性がいないのは効率的だけど」


 こちらも竜哉だけに聞こえるように呟くと、楓は廊下を歩き出す。すぐそこで、有希が待っていた。


「それで、今日は何の用なんだ?」


 その言葉に、有希は笑顔を崩さないまま、一言だけを告げる。


「『姫』が、お待ちです」


 瞬間、楓の表情は抜け落ちるように消えた。


「おやおや。それじゃ、あんまり待たせると後が面倒ですね。早く行きましょう、楓」

「……ああ」


 竜哉の言葉に、楓は低くそれだけを返す。


「そんな顔されると、言いに来たあたしが申し訳なくなりますね……ごめんなさい」

「いや、有希は自分の仕事をしているだけだろう。謝る必要はないよ」


 頭を下げる有希に、楓は慌ててそう告げる。


「それじゃ、急ごうか。姫の機嫌を損ねたら、どんな仕打ちを受けるか分からないからね」


 有希を安堵させるように優しい微笑みを浮かべて――楓は内心、深いため息をついた。

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