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三章・7

 短い冬の太陽がすっかり傾いた頃。楓は、オフィス街の一角に来ていた。

 視線の先には、一人の男の姿がある。


「あれが、石塚卓巳です」


 背後に控える竜哉が、そっと耳打ちした。


「……写真と、ずいぶん風貌が違うな」


 楓は手元にある写真と、目の前を歩いている男を何度も見比べる。


「随分と……衰弱しているように見える」

「そうですね。おれもそう思います」


 竜哉がうなずいた。

 大学時代に友人たちと遊びに行った際の写真だというが、その中にいる石塚卓巳は、バーベキューの最中だというのに、どこか堅苦しい表情に写っていた。

 体つきは中肉中背で、隣に写る鮎川友博と並ぶと、わずかばかり締まりが足りないようにも見えてしまう。もっとも、これは鮎川がスマートな体つきをしていたためだったが。

 しかし、今の石塚は、その写真の鮎川よりも細く衰えているように見えた。まともに食事を採っていないのか、唇や肌はひび割れ、土気色に変わっている。写真の中できっちりと整えられていた髪はぼさぼさで、服もしわくちゃのスーツ姿だ。

 そして、何よりもその顔。


「……あれは」


 楓が訝しげに目を細める。


「あれは、正気だと思うか?」

「さぁ、どうでしょう。先ほどから監視している末端の男たちは、意味の分からない言葉を呟いていたのを何度か聞いたそうですが」


 竜哉は肩を竦めた。


「……少し、危険かもしれません。おれが行きましょうか?」

「いや、僕が行く。お前たちには昨日、今日と頑張ってもらったんだ。それに、こういうときの交渉役は僕だと、最初から決まっているだろう。訓練も受けている」

「しかし、あれは遠野議員の秘書でしょう。あなたの顔は知られているのでは?」

「それは父さん次第、かな」


 上司の家族の顔を覚えるのは秘書として最低限の仕事かもしれないが、楓が四季宮に入って以来、元から薄い親子の縁は紙よりも薄くなる一方だ。一応は跡継ぎと認めているらしいということだけは、先日の葬儀に参列した際に判明したが。

 それに、楓は四季宮の構成員。石塚が求婚者の末席に加わることで、変な関係を結ばれても困ると考えるかもしれない。


「まあ、どちらにしろ、今は関係ないさ。父さんが四季宮に関係することは知っているんだ。息子がその使者として来ても不思議はないだろう。……そう捉えてくれるさ」

「とにかく、周囲を囲んでサポートします。……くれぐれも、お気を付けてください」


 ふらふらと歩き続ける石塚に接触するべく。楓は行動を開始する。それと共に、竜哉も周囲の人の流れに紛れるよう、姿を消した。


「失礼」


 忙しそうに歩き去る人々をうまくかわしながら、楓は石塚に追い付き、後ろから声をかけた。


「石塚……卓巳さんでいらっしゃいますか」


 ぴたり、と石塚が歩みを止める。


「……少々、お時間をいただいてもよろしいですか?」


 楓の言葉に、石塚が振り向いた。死人のような顔をしている。


「警察……にしては、若いようだが」


 声すらも生気を失い、掠れていた。


「ええ、違います。……四姫からの使いだと言えば、ご理解いただけますか?」


 楓は微かに笑う。

 人通りの多いビジネス街の真ん中で四姫の名を告げるのは、少々リスクが高いように思えるが、実はそうでもない。

 外を歩き回るような人間は、四姫の顧客にはなり得ないのだ。――目の前の、この男以外は。

 事実、石塚は四姫の名を出した途端、落ち着きなく視線をさまよわせ始めた。


「ご安心を。誰も聞いていないし、誰も知らない。だから、この会話が公になることはありえません」


 安心させるための楓の言葉に、石塚は黙り込んで何やら考え始めたようだった。

 やがて。


「道の真ん中で立ち話とは、他の方に失礼だろう」


 石塚は人気のない細い路地へと楓を導いた。


「それで……四姫はなんと言っておいでか……?」


 石塚の瞳に、わずかながらも光が戻っている。

 しかし楓は極めて冷静に、伝えるべきことだけを話した。


「特には、何も。僕に与えられた命令は、あなたへ言葉を伝えることではありませんので」

「そう、ですか……」


 落胆する石塚を見て、楓は思わず四姫に呪詛の念を送りそうになった。

 あの女は人心を――特に男の心を掴むことに関して、妙に長けている気がする。そうやって生き延びなければならなかったのかもしれないが、そのうち本当に『四姫として』結婚させられたらどうするのだ。

 『四姫として』の結婚は、『小春にとって』不幸以外の何物でもない。

 そう考えると、四姫の抱く楓への執着も、むしろ都合がいいのではないか。そう思えてきてしまうのだから、本当に始末に終えない。

 たとえ表層がどうであれ、あれは小春だ。それが四姫としての行動であっても、大切な姉の気持ちを利用するなど、他人にも、自分にも許させてはいけない。


「……先日、鮎川友博さんという方が亡くなったことを、ご存知ですか」


 うなだれていた男の肩が、ぴくりと震えた。

 楓は気持ちを引き締めた。やはり、この男は――何かを知っている。


「彼について、知っていることをお話し願いたいのですが、よろしいですか?」

「……が、」


 ぼそり、と。石塚が、小さく何ごとかを漏らす。


「……いつが、言ったんだ……」


 石塚が、体を震わせてその場にうずくまってしまう。警戒しつつも、楓は心配して傍らに屈み込んだ。


「……あいつが、言ったんだ」

「あいつ?」


 どういうことだ、と楓は眉を寄せた。

 石塚は繰り返し「あいつが」と呟いている。彼が何かを知っていることは確かなのだろうが、話がさっぱり見えてこない。


「落ち着いてください、石塚さん。あいつ、とは何のことですか。誰が、あなたに何を話したというんですか……?」


 それでも楓は、根気強く石塚に話しかけた。

 だが――突然、石塚が勢いよく顔を上げ、楓を睨み付けた。


「……!」


 楓は思わず後ずさった。血走り、狂気を含む瞳にかち合えば、誰でも反射的にそうなってしまうだろう。

 だが、それが仇となった。

 ぎらぎらと目を輝かせた石塚が、身を引いた楓に飛びかかり、そのまま彼の体を道に押し倒してしまったのだ。


「あいつが言ったんだ!」


 至近距離で睨み付けられ、怒鳴られ。楓は反射的に、恐怖で身を強ばらせた。


「あいつが言ったんだ! あいつが! あいつがぁぁぁぁぁっ!!」


 恐慌状態の石塚が何かを叫ぶたびに、楓の顔に唾が飛んでくる。それがとても嫌で――そう自覚した途端、楓の心がすっと冷えるのが分かった。


(……落ち着け。何も、殺されそうになっているわけじゃないんだ)


 そう考えて、心を落ち着かせようとして。


(……本当に?)


 本当に?

 楓は改めて、目の前の青年を見つめた。

 今の石塚は、ただの狂人と化している。その言葉が真実である保証もない。

 だが――彼が、楓という『四季宮の使い』に激しい反応を見せたのは、紛れもない事実なのだ。


「……竜哉!」


 楓が鋭い叫びを上げると、急速にいくつもの足音が近付いてくるのが聞こえた。近くで様子を窺っていただろう竜哉と、末端の二、三人が路地に入ってきたのだろう。


「竜哉、石塚さんを引き剥がしてくれ! ただし、怪我はさせるな! あくまで丁重に、だ!」

「楓の命令は、いつも難しいものばかりですね。……まあ」


 と――一瞬で、楓の体にかかっていた石塚の重みがなくなった。


「それを実現するのが、おれの仕事なんですが」


 竜哉はそう言うと、楓を助け起こした。石塚は、竜哉の部下だろう末端の二人の男に取り押さえられている。


「あいつが、あいつが言ったのに! それなのに何故、こうなってしまうんだ!?」

「石塚さん、落ち着いて、最初から話を聞かせてください。僕が与えられた命令は本当に、鮎川友博の事件の調査だけなんです。あなたに関する命令は、何も受けていない。……それとも」


 楓は、無機質な瞳で石塚を睥睨する。


「それとも……鮎川友博を殺したのは、『あなた』だとでも言うつもりですか?」

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