三章・5
楓が小春と再会したのは、それから八年後のことだった。
十四歳の楓は、その正月に初めて親戚の集まりに顔を出すことが許された。嵩志の後継者として、正式な挨拶をすることになったのだ。
もっとも、当の本人にしてみれば、迷惑なことこの上ない。
(……僕は、父さんの跡を継ぐ気なんかない)
そして恐らく、嵩志の方も楓に跡を継がせようとは思っていないだろう。
嵩志とは、月に一度、顔を会わせればいい方だ。捨て置かれているような子どもが、どうして同じ道を進むと思えるのだろう。
そして――小春とは、引き離されて以来、一度も会っていない。会うことを、許されていなかった。
引き離されてすぐに、楓は小春が屋敷の離れに軟禁されていることを知った。
そして、それを行うように指示したのが父・嵩志だということも。
それからの八年間は、どこを切り取っても同じだ。引き離された小春の代わりに、昔からときどき遊びに来ていた竜哉が、いつも楓の傍にいてくれたけれど――それだけだ。失われた幸せが還ることはない。
周囲の人間は皆、小春は嵩志に守られているのだと楓に教えた。悪い奴が、小春をさらおうとしているのだと。
今でこそそれが真実だったと知っているが、幼い楓にしてみれば、父親が小春を独占するためについた嘘だとしか思えなかった。
加えて、以前にも増して嵩志が楓を気にかけることもなくなり、楓は一人、孤独に年月を重ねていったのだ。
その日、庭にはうっすらと雪が積もっていた。
楓は用意された正装に着替えることもなく、縁側でぼんやりと早朝の庭を眺めていた。
堅苦しい服も、集まりも嫌いだ。一人で着ることもできない漆黒の紋付羽織袴を着て、親戚の狸爺に散々なことを言われるのがお披露目ならば、一生ここに閉じこもっていたい気分だった。
だが、そのとき。がさり、と庭から物音がした。
「……誰だ!?」
楓と小春が幼い頃に遊んだこの庭は、秋乃のために造られた庭だった。
家族以外は、誰であろうとここに足を踏み入れることは許されない。
楓は鋭い声を上げ、庭の片隅を睨み付けた。
「きゃ……」
侵入者はその声に驚いたのか、小さく悲鳴を上げる。
楓は素早く庭に下りると、雪に埋まる下生えを踏み越えて、小さな池のほとりに植えられた松の元に向かった。
果たして――侵入者は、そこにいた。
どこにも身を隠す場所などないのに、何故、庭を眺めているときに気付かなかったのだろう。そんな楓の疑問は、すぐに解けた。
侵入者である小柄な少女は、真っ白な着物を着て、純白の絹のストールで頭から肩を覆っていた。その姿は、白く染められた庭の中では溶けて消えてしまうだろう。
「……お前は、誰だ」
苛立ちを隠そうともせずに、楓は一歩、少女に詰め寄る。
少女は、松の木に縋って震えていた。
「ここは母さんの庭だ。誰であれ、足を踏み入れることは許さない」
また、一歩。
ゆっくりと近付く楓に、少女はひどく怯えている様子だった。先ほどから何も言おうとしないし、体は儚く震えるばかりだ。
(……でも、おかしいな)
今日の昼から開かれる集まりのため、現在、本家の客間には何人もの親戚が滞在している。
(その中に、女の子なんて……いなかった)
丁寧に記憶を辿り、やがて疑問は臨界に達した。
「……顔を見せろ。お前は、誰だ」
と――楓は少女との距離を一気に詰め、有無を言わせず彼女を覆っていたストールを剥いだ。
少女の体が揺れたかと思うと、長い漆黒の髪が、楓の純白の視界に散らばる。
まだあどけなさの残る、けれど美しく整った顔立ちをしていた。雪に溶けてしまいそうな純白の肌を、血のような赤い唇が彩っている。丸く見開かれた黒い瞳には、溢れんばかりの涙が湛えられていた。
どきり、と。楓の胸が跳ねた。
涙に濡れた少女の双眸は、まっすぐに楓のことを見つめている。そこには楓への恐れなど、微塵も存在してはいなかった。
秘められているのは――。
「……楓ちゃん、よね……?」
濡れた声が、楓の名前を呼ぶ。
楓は、愕然とした。
「もしかして……姉さん、なのか!?」
「ああ、なんてこと……本当に、本当に? 夢みたい……」
感極まった少女はため息をつき、ゆっくりと目を閉じる。幾筋もの涙が、薄紅に染まった頬を伝った。
それが、引き離された姉弟の、八年ぶりの再会だった。