三章・4
翌日の昼。
楓は、高級ホテルの中華飯店に連れて来られていた。
通されたのは一番奥にある個室、いわゆる特別待遇席というやつだ。が、一緒にいる相手が他でもない四姫なので、特に不思議だとは思わなかった。
むしろ、不思議に思ったのは当の四姫に対してだ。
回る円卓の向こう側で、四姫は機嫌良く笑みを浮かべている。その傍らには、大量の紙袋があった。ここに来るまでに買った品物の山だ。
(世の中の女性というものは、どうしてこう、買い物が好きなのか……)
休日のショッピングモールはどこを歩いても人が溢れかえっていた。しかし、四姫はその中を苦もなく歩いて行ってしまい、楓や護衛に付いている男たちは、ひどく苦労して彼女の後を追った。
滅多に外に出かける機会もないはずのに、何故、四姫はああまで世間慣れしているというか、器用なのだろうか。
そんなことが分かるはずもなく、楓はげっそりと椅子に沈み込むようにして座っている。
「待たせたなぁ、小春」
部屋の扉が開き、一人の老人が悠々と室内に足を踏み入れた。
楓は咄嗟に警戒し――それから、驚きに目を見開いた。
「おじい様……?」
そこにいたのは、政界において、もしくは四季宮において、長老の一人に数えられる現役の衆議院議員、遠野芳史――二人の祖父だったのだ。
「おお、今日は楓もおるのか。久しぶりじゃな。元気だったか?」
「……はい。おじい様こそ、お元気そうで何よりです」
そう言って、楓は少しぎこちなく微笑んだ。
「そう警戒せんでもええ。誰も嵩志にお前らの話をしようとは思わんよ。あいつのせいで、わしは滅多に孫にも会えなくなってしもうた」
「駄目ですよ、おじい様。お父様はわたしたちのために働いてくださるんですから、そんなこと言っちゃ」
芳史に対して、四姫はまるで昔の小春のような姿で接していた。四姫になったことに関して、祖父に心配をかけたくないのだろう。
「ほほ、今も昔も小春の言葉は変わらんな。ほれ、それだけ買い物すれば腹も空くじゃろう。二人とも、ゆっくりたらふく美味いもんを食って帰れ」
と、芳史の言葉を受けたように扉が開き、中華服を着た何人もの従業員が入ってくる。
数え切れないほどの料理が並べられ、大きな円卓の上はすぐに埋まってしまった。
「わぁ、中華なんて久しぶり」
喜ぶ四姫とは対照的に、楓は未だ、戸惑いを隠せない状況だった。
ただ、これだけは分かる。
(どれだけ行動の正当性を説いても、夏月が四姫の説得をしてくれなかったのは……今日が、おじい様との会食日だったからなのか)
恐らく、竜哉との電話が繋がらないのも同じ理由だろう。
なにせ、彼は幼馴染であると同時に、遠野の家が楓に付けているお目付け役でもある。芳史が孫に会える久々の機会だ、と言われてしまえば、逆らうことはできないだろう。
「ほれ、楓。辛気臭い顔しとらんで、お前もたんと食べてゆけ。ここの料理は絶品じゃぞ?」
「あ、はい……」
楓は慌てて箸を動かす。
「ふふ、楓ちゃんったら、久しぶりにおじい様に会えて緊張しているのかしら?」
「かも、しれません……。本当に、久しぶりですから」
楓は、ぎこちなくそう言った。
二年前、楓は四季宮に入るため、実家である遠野の屋敷を半ば飛び出すような形で出てしまった。祖父と会うのは、それ以来のことだ。
「……のう、楓。わしはお前さんの敵じゃない。孫に甘い、ただのでれでれなじじいだ」
二人の孫に挟まれるように座っている芳史は、遠くを見るように目を細めた。
「だから、お前さんがそうしていることに、何の反対もせんよ。好きなようにすればいい。……じゃがな」
その口調に、どこか厳しいものが混じる。
「真実は、一方的なものの見方で決まるもんじゃあないということだけは、よぉく覚えておけ。忘れるな」
「……それは、僕に父さんを憎むなと、そう言っているんですか?」
楓の周りの大人たちはいつも、二言目にはそう言っていた。そのたび、楓は父親への反発芯を強めていったものだ。
しかし、芳史は違った。
「いや、あの馬鹿はお前にしてみれば最低の父親じゃろう。殺しても殺し足りないほどかもしれん。……それでも、真実を知ろうとする心は忘れるんじゃない。あいつが何を考えているのか、自分の頭の中だけで思考を完結させちゃあならんぞ」
「……肝に、命じます」
楓は短くそれだけを告げた。
それだけしか、言えなかった。
(けれど……真実なんて、僕にはたったひとつしか存在しない)
祖父が自分を思ってくれているのが分かるからこそ、楓は今度こそうまく笑ってみせる。
けれど、目の前の光景は、どんどんと現実味を失っていくようだった。
意識は集約される。
暗く深く、たゆたう記憶の海から、引きずり出されるように姿を現していく悪夢へと。
――あの日から、楓はたった一人で戦っている気がした。
それは、秋乃の葬儀が済んだ翌日のことだ。
朝、幼い楓が目覚めると、小春はすでにいなかった。
学校に行ったのだと思っていた。
真面目だから、母が死んだからといって、長く休める性格ではないのだと――少なくとも最初は、何の疑いもなくそう思っていた。
けれど楓は、すぐに自分の間違いに気付く。
日が暮れても、夜になっても、楓が寝る頃になっても。
泣いても、叫んでも、喚いても。
――小春は、帰ってこなかったのだ。