三章・2
「ふふ、楓ちゃんがそうやって呼んでくれるの、本当に久しぶりね」
そう口にして、本当に嬉しそうに微笑む小春は、同じ年月を成長した楓よりも、どこか幼く見えた。
こうして向かい合っていると、姉弟というよりは双子のようだ。
白い陶器のような肌も、赤く染まる唇も。漆黒に濡れる瞳も、人形のように整った顔立ちも、すべてが似通っている。
唯一違うのは、性別の違いがはっきり現れる体つきだ。華奢ながらも丸みを帯びた四姫の体に対し、楓の体はどこか骨ばった硬質さがある。
「ね、久しぶりだから、もぉっと呼んで?」
しかし、姿こそ小春であるものの――彼女は今や、『四姫』としか呼べない存在だった。
立場だけではない。彼女の中にもはや『小春』という存在は残っていないのではないかと思うほど、四姫というものは歪んでいる。
楓は時折、彼女が人間ですらないのではないかと思うほどだ。
「……姉さん、ここは冷えるよ。竜田の間に行って、早く休んだ方がいい」
「平気よ。ここは佐保の間――春の神様、佐保姫のおわすところ。わたしは、四姫ですもの」
「だからって……」
「それに、竜田の間はわたしの他には夏月しか入れないもの。せっかく楓ちゃんとお話しできるのに、追い返そうとするなんてひどいわ」
小春は拗ねたように唇を尖らせる。
「……わたしは、楓ちゃんが一番好きなのに」
「姉さ……」
楓の言葉が途切れる。
小春が、楓に抱き付いてきたからだ。
楓の首に腕を回して、小春は幸せそうに微笑む。
「大好きよ、楓ちゃん。楓ちゃんが一番大好き」
「……四姫、やめてください」
楓の声が、突き放すような響きを帯びる。
「その呼び方はやめてって言ってるでしょ、楓ちゃん」
不満そうな四姫の声にも、楓が動じる様子はない。
「なら、今すぐ離れてください。僕と小春姉さんは姉弟です。こんな風に、必要以上に距離を狭める必要はありません」
「……昔は、よくこうしてあげたわ」
「僕たちは、もう子どもじゃない」
やがて、小春は小さくため息をつくと、しぶしぶと楓から離れた。
「これでいい、楓ちゃん?」
「ええ、姉さん」
「……ふふ。じゃあ、もっと呼んで?」
楓は仕方なく、彼女の求めに応じるままにその名前を呼んだ。
「小春、姉さん……」
たどたどしく紡ぎ出される言葉に、けれど小春はとろんと瞳を潤ませる。
四姫となった彼女が楓に対して抱く感情は、どう考えても姉弟愛からは遠く離れたものだった。おまけに彼女は、楓に近付く女性はすべて敵だと考えているふしがある。
昔の、優しい姉とは遠くかけ離れたその姿を、けれども楓は責めようとは思わない。
いや、思えないのだ。
(それは……それだけは、小春姉さんのせいじゃない)
――遠野嵩志。他でもない楓の父。
もしも楓が彼を殺せるだけの知略や実力、あるいは決意を抱いていたならば――少しはましだったのだろうか。
(僕は、父さんを許さない)
あの日、優しかった姉を変貌させた父親を、楓は深く憎み続ける。
そして、いびつに成り立つ姉を、楓は守り続けるのだ。
いつか、四姫が『小春』に戻る日のために。
「……楓ちゃん」
「なに、姉さん」
「……ずっと、傍にいてね……」
吐き出される、細く震える言葉。
楓はそれには答えず、そっと目を伏せた。