二章・6
「……竜哉先輩」
こっそり忍び込んだ校内の情報室で、有希は竜哉と隣り合うようにしてパソコンに向かっていた。
まずは基本的な情報を共有した方がいい、という竜哉の提案に賛同し、二人がかりで須藤卓巳の経歴を調べているのだった。
「ん……どうかしたんですか、有希」
竜哉はモニターから視線を上げ、隣に座る有希に顔を向けた。
有希は少しだけどきりとした。普段はあまり実感しないが、こうして見ると竜哉はかなりの美形だ。
「あ、あの……四姫様のこと、なんですけど」
有希は自分の戸惑いを悟られぬよう、早口でそう言った。
「あたしが先輩方と行動するようになって、二ヶ月しか経ってませんけど……楓先輩は、四姫様にいっぱいひどい目に遭わされている気がするんです」
言葉にすると、胸の奥に渦巻いていた疑問が形を成すようだ。
「四姫様は、楓先輩を愛してるって、その言葉を免罪符にしてる気がします。愛していれば、何をしても許されるんじゃないか……って」
竜哉は目を瞠った。
「……まさか有希から、そんな言葉が聞けるとは思いませんでしたよ」
先ほどまでキーボードを叩き、マウスを縦横無尽に動かしていた二人の手は、今や完全に止まってしまっている。
「あ……すみません。こんなこと、思っちゃいけないことですよね」
有希は慌てて謝った。竜哉が、仕事の手を止めた自分を責めていると思ったのだ。
けれど、竜哉は一瞬だけきょとんとした表情を見せて、それから有希の勘違いに苦笑を浮かべた。
「違いますよ。……あなたは夏月さんのことを随分と慕っているようですから、彼が仕えている四姫様の悪口が聞けるとは思わなかったんです。誤解させるような言い方をしてすみません」
「それは、だって……楓先輩が、すごくいい人だからですよ」
有希はそう言って微笑んだ。
「訓練が終わったばかりのあたしに、色んな仕事を任せてくれるんですから。他のところじゃ、すごく簡単な仕事しか任せてもらえないって、諜報部の色んな先輩から聞いてるんです」
頬を紅潮させる有希に、竜哉は微笑ましそうな視線を送る。
「楓と一緒にいると、いつも人手不足ですからね。四姫様のわがままは、おれには……いや、たぶん、誰にも予想ができないんです」
「それなのに、楓先輩はずっと、四姫様の直属で働いていると聞いています。……そんなひどい目に遭わされて、何故……」
「……有希の疑問はもっともだと、おれも思いますよ。楓の負担は相当なものです」
「なら、どうして……?」
四姫が許せない、と。有希の顔には、ありありとそんな思いが浮かんでいた。
けれど、竜哉はその思いに賛同することができない。
――知っている、から。
「仕方ないんですよ。……楓は、そのためだけに四季宮に入った。文字どおり、血の滲むような苦労を重ねて」
竜哉に武道の心得が、有希には諜報員としての技術があるように。楓もまた、四季宮の一員となるために、気が遠くなるような訓練に耐える過去がある。
おまけに彼は四姫の直属だ。そこにどんな苦労があったか、想像に難くないだろう。
「そこまでしてでも……楓には、四姫様の傍に仕える理由があったんです」
何故なら――。
* * *
静寂と、皮膚を締め付けるような寒さと、ぼんやりとした照明の中。
楓は、四姫と二人きりになってしまった。
――やがて。
「さ、これでだぁれもいなくなった」
四姫は、満足そうに微笑んだ。
「ね、楓ちゃん」
「……なんですか、四姫」
楓の返事に、四姫はもう、と拗ねた声を上げる。
「違うでしょ。ほら……呼んで」
視線が合うと、楓はまるで取り付かれたように身動きできなくなってしまった。
「ね、楓ちゃん。久しぶりに……呼んで?」
艶やかに笑いかける四姫の姿を見て――楓は、とうとう観念した。
それでも、ためらいがちに口を開く。
「……えさん」
「姉さん。……小春、姉さん」
その、瞬間。
四姫の笑みは、慈愛に満ち溢れるものへと変化した。
たまらない、と楓は思う。
(……この瞬間が、一番嫌いだ)
無理難題といびつな愛を押し付けてくる四姫こそが――楓がただ一人、この手で守り抜くと誓った、最愛の姉であると。
楓は、痛いほど思い知らされていた。