さよならレンタルフレンド
「援助交際がやめられないんです」
それが、黒崎美冬が最初に発した一言だった。私の目の前に腰掛けている少女はジーンズに黒のタートルネックというシンプルな格好をしているが、今までの経験では援助交際をしている子にいかにも遊んでいるという風体の子はあまりいないものだ。
「なるほど。黒崎さんはその行為をやめたい、と思っているのですね」
心理カウンセラーである私は、彼女の台詞に驚くことはない。私は15回戸締りを確認しないと家を出られない男や、宇宙人にさらわれて脳の改造手術を受けたという女の相談も受けているのだ。私はどんな相談であっても努めてクライアントの話を受容的に聞き、信頼関係を作るところからカウンセリングを始める。
「はい、やめようといつも思っているのに、気が付くと結局また同じことをしてしまっているんです」
黒崎美冬は膝のあたりに視線を落とすと、少しためらいがちに話した。
「それで、黒崎さんは今の自分を変えたい、ということですか」
「はい、そうです。でも、やめられないのにはきっと理由があるんだと思います」
それは彼女の言うとおりだ。どんな行動にも必ず目的がある。その目的をより望ましい行動で満たせるようになれば、望ましくない行動は変えられる。見たところでは、彼女の援助交際は金銭目的ではなさそうだ。
「黒崎さんは、援助交際がやめられない理由は何だとお考えですか?」
「私は、他人との関係性を作るのが下手なので……」
なるほど、このパターンか。つまりは承認欲求だ。自己評価が低い者は、自分の身体を餌にしてでも他者から求められようとする。人間関係の飢餓感を満たす方法が、彼女にとっては身体を売り渡すことしか考えられないというわけだ。
「それで、黒崎さんは今のような男性との関係は終わりにしたいと思っているのですね」
「相手は男性の時もあれば、女性の時もあります」
これには少し驚いた。だが私はその驚きを顔に出さぬよう、営業用の笑顔を作る。
「同性であっても、やはり金銭を抜きにしては付き合えない、ということですか?」
「そうした方が、一番スムーズに関係が作れるんです。でも、今のままでいいとは思えないので」
「それで、黒崎さんは援助交際以外の方法で、他人との関係性を作っていきたいとお考えなのですね」
「そうだと思います。でも私は、お金が介在しない人間関係がどういうものか、よくわからないんです」
その声には悲痛さは感じられなかった。ただ事実を淡々と報告するような話し方だが、なにか強い感情を押さえつけているようにも感じられる。
「今まで、普通の友達付き合いというものはなかった、ということですか」
「私は『友達』と話をするときは、必ずお金のやりとりをします。お金がないと、誰も私の話を聞いてくれませんから」
「ちょっと待ってください。貴方がお金を受け取っているのではないんですか?」
「いえ、お金を払うのは私の方です」
私は訝しんだ。どうも話が見えない。援助交際とは身体を提供する代わりに金銭を受け取る行為を指しているのではないのか。
「ですが、貴方が身体を提供して、その上お金まで払っているのでは、あなたには何の得もありませんよね」
「いえ、メリットはあります。話し相手になってもらえますし、それに私は肉体関係は持ちません」
「ということは、貴方は人間関係をお金で買っていて、それを援助交際と呼んでいるのですか?」
レンタルフレンド、という言葉を少し前から耳にするようになった。お金を払えば一定時間『友達』になってくれる人物が派遣されるサービスのようだ。黒崎美冬はレンタルするという形でしか、『友達』を作れないのだろう。
「はい、そうです。私は話を聞いてもらうという形で援助してもらってますから。でもどうすればこういう関係を卒業できるのか、それがわからないんです」
「お金を払わなくても友達が作れるようになれば、『援助交際』をやめることができますよね」
私はそう指摘した。おそらく黒崎美冬は自己評価が低く、自分に与えられるものは金銭しかないと思っている。だから彼女の自己評価を高めるように誘導することが私の仕事だ。金銭以外の自分自身の価値に気付けば、彼女は『援助交際』をやめることができるはずだ。
「でも、ゼロから人間関係を築くのはどうしても面倒だと思ってしまうんです。お金を使えばみんな喜んでくれますし、努力して自分を売り込む必要もありませんから」
「何も無理をする必要はないんですよ。貴方は貴方らしく、自然体でいればそれだけで魅力的なんですから」
「そう、みんなそう言うんですよね」
黒崎美冬は顔を上げ、まっすぐに私を見据えた。少し眉根が寄っている。どうやら私の台詞に反感を覚えたようだ。だがそういう反応には私は慣れている。
「私が奇麗事を言っているように思えますか?」
「綺麗事が悪いと言いたいんじゃありません。それは生きていくのに必要ですから。ただ、お金が絡むと綺麗事しか聞けないんですよね」
金銭で買った黒崎美冬の『友達』は、彼女の耳に心地良いことしか言わないのだろう。金銭と引き換えに付き合っているのに、ありのままの貴方が素晴らしいなどというのは皮肉以外の何者でもない。
「なるほど、お金で買った友達は本音は話してくれないでしょうからね」
「それに、関係も長続きしないんです。大抵1度か2度で終わってしまいますし」
「やはり、もっと長続きする関係をお望みなんですね?」
「そうですね、今のままではいけないと思います」
「それでは、次回のカウンセリングまでに、まずお金を絡ませずに同性と会話してみましょうか。話が盛り上がらなくても、事務的な会話をするだけでも良いです。一言でも言葉を交わせれば成功、ということにしましょう」
私はいつもカウンセリングの終わりに、クライアントに簡単な課題を出す。ちょっとしたことでも成功体験を積み重ねることが自己評価を高めることにつながるのだ。
「……すみません、それはできないんです」
黒崎美冬は少しうつむくと、申し訳なさそうに話した。この課題でもまだ彼女にはハードルが高すぎたのだろうか。今までまともに友人ができたことのない彼女にふさわしい課題は何か、私は考える。
「そうですね、それなら同じクラスの子に挨拶するところから始めてみましょうか」
「私ができない、と言っているのはそういうことじゃありません」
「と、言いますと?」
「私はもうここに来ることはできない、と言っているんです」
どうやら今回のカウンセリングは失敗だったようだ。何が癇に障ったのかわからないが、彼女はもう私には会いたくないようだ。
「そうですか。私のアドバイスがなくても黒崎さんが一人でやっていけるのなら、それが一番ですね」
「一人でやっていける自信があるわけじゃありません。ただ、こういうことはもうやめようと思っているんです」
黒崎美冬は再び顔を上げると、毅然とした表情で言い放った。
「私には、カウンセラーという友達はもう要りませんから」