第8話 本物or偽者or変質者
恐る恐る瞑っていた目をあけてみると、薔薇庭の中に見知らぬ長身の男が立っていた。
銀色の肩下まで伸びた髪と紅い血の様な瞳が実に印象的で、同時に人間らしさのない美しさを持った男だった。俗に言う「人外の美しさ」ってやつである。
襟の立った純白の生地に紅い刺繍の入った上着を着て、それがよく似合っている。実に眉目秀麗。さすがに男の美醜など関心のないシュトラウスでさえ、「美男子」とはこういう男のことを言うのか、と感心してしまった。
だが、その男は綺麗過ぎるがために、彼の今の姿の間抜けさを引き立たせていた。
実に。
男は右手でキレていた魔族の項を掴み、左手で――なぜかお玉を握っていた左手で、彼女の頭をもう一度ぽかっ、と叩いた。
魔族と言えば痛みも感じないのか、口を大きく開けたまま男を凝視していた。
「俺は言っただろう!あれだけ手を出すな、と!!」
「す、すすすす、すみ……ませんッ……!!その、そそそそ、そのですね、これは、ちょっとした暇つぶしというか、いや、でも…………」
先ほどのマジな展開など片鱗も見えない。
魔族は男に深々と頭を下げ、両手の指をせわしなく合わせ、まるで母親に悪戯の見つかった子供のように言い訳のようなものを始めた。
いきなり疎外されたシュトラウスは静かにルノアンの隣に並ぶと、ついていけない急展開に疑問符を浮べた。
「誰だ、あの男。つーか、俺ら忘れられてないか?」
「確かに……しかし、あの様子ではあの男、魔族の知り合いのようだ。彼も魔族なんではないだろうか」
「………………魔族、ねぇ……」
なんとなく「魔族」と認めたくない。そういう気持ちがシュトラウスにはあった。
美男子は美男子で、容姿には問題ない。
問題はないが……着ているものに問題がある。
想像してみてくれ。
街で見かけたちょっとカッコイイな、と思った男が、白いふりふりのフリルをつけたエプロンを身に着けて手にお玉を持っていたら、どうだろうか?
想像してみてくれ。
面倒見の良い後輩思いの先輩の家にお邪魔した時、その彼がこっそり女物の可愛らしいエプロンを着ていたら、どうだろうか?
「………………笑って良いか、俺」
「止めておけ、失礼だ」
そういうなかなかしにくいギャップを、目の前の男は平然とやっているのであって、これが笑わずしてどうすれば良いのだろうか。
新妻ルックの男は三度目、魔族の頭をお玉で(軽くだが)殴った。
「痛っ!でもでも、ですね!あのボーヤたちなら殺ってもいいと……」
「ああ、あのガキ共ならな!!だが、お前の目は節穴か!目は付いてるのか!
その後ろに人間の女がいただろうがッ!お前のさっきの攻撃では、あれも死んでいただろうがッ」
そう言われて行き成り指差されるセシーリア。彼女は一瞬身体を竦めた。
だが男が何かをすることもない。
「なんか、私たちは死んで良いって、よく考えると酷いな」
「いやいや、酷いって言うか、殺って良いってむしろ攻撃的な発言だぞ」
だいたいなんであのふざけた男に自分の命を殺っていいかどうかの許可が必要なのだ。
勝手にのどかなシーンを見せられていた二人も、そんな調子でどこか冷静な会話をしていたわけなのだが、次の言葉を聞いた時はそれをうっかりスルーしてしまいそうになった。
「うう、すみません、魔王様っ……!」
という、なんとも情けない声で発せられた言葉を。
「そういえばさ、いま思い出したんだけどよ。二年前くらいに俺、お前に昼飯おごったよな。王都の珍味・東洋料理店の旬魚のBランチ。あれって結局美味しかったのか?ルノアンなんにも感想言ってくんなかったから、あの後結構気になってたんだぜ。俺はおそろしくて飲みもんしか頼まなかったしよ」
「おお、そんなチャレンジャーなこともしたな。あれはあれで結構いけたぞ」
「ならなんでノーコメントだったわけ?俺、壮絶にまずかったのかと思ったじゃねぇか」
「むー。なんというか……口に出して感想を言う類の味ではなかったのでな」
「どんな味だよ。王都に帰ったら俺も食ってみるかなー」
「謝ってすむなら誰だってする!だいたい、お前、また人間の女を集めて『心』を喰おうとしただろうがッ。それもやるなと言ったぞ、俺は!!」
「でも、別に、人間の『心』を喰ったところで殺すわけではありませんし……」
「それは死ななくても死んだも同じだ。心のない者はただの人形、それはもう『人』とは呼ばない。よって、お前は二度も俺に逆らおうとしたわけだなッ!」
「そ、そんな――――」
「私もちょっと疑問に思っていたことがあるのだが。聞いて良いか?」
「なんだよ、改まるなよ。気持ち悪いじゃねぇかよ」
「酷い言い草だな。まあ良い。私が聞きたいのは、なぜお前はお前の父上の武器を使って差し上げないんだ」
「はッ?あ、あー……」
「父上が折角お前にプレゼントしてくれていたではないか。お前があの街を出る時もそうだ。それに時々、送ってくれているだろう?どうしてなんだ?」
「…………それがだな、あー、俺の親父の、そのー、……あまりな、センスが良くなくてな」
「なる程。お前が息子だからか」
「いやいや、俺が息子のせいじゃねぇだろ。むしろ逆だろ。つーか、それは遠まわしに俺のセンスが悪いって言いたいのか?」
「……。で、つまりお前の父上の送る武器はお前の趣味と合わないので使っていないのだな」
「なんでスルーするんだよ。ちゃんと言えよ。…………」
「だいたい、人間の『心』を喰らって美しさを保とうなどとは嘆かわしい。少しは自分で努力をしないか。太ったならちゃんと運動をしろ」
「うう……魔王様は女の苦労と言うものを何も分かってらっしゃらないんです……。というか、なんで太ったって決め付けるんですか……」
「…………………」
「? どうした、シュトラウス。ものすごく変な顔をしているぞ」
「……?……??」
「鼻がかゆいのか?」
「……」
シュトラウスは目を閉じて指でそこを押さえた。
「いや、この場合は耳の心配をするべきなのか?」
「お前は時々、変なことを言うな」
「んー……お前さ、あっちの女が『魔王』とか言うの聞こえなかった?」
「む?そうなのか?」
ルノアンは叱責を続ける男を振り返った。
「お前の言うことが正しければ、彼が『魔王』ということになるが」
「うん。でも……」
男はふりふりの可愛いエプロンに、お玉を装備している。
顔を見合わせた二人はにっこりと笑いあった。
「「ないな」」
むしろその言葉には、そうじゃなければ良い、という思いが込められていた。
そこでシュトラウスの話を聞いていたのか、男は行き成り二人の方に顔を向けた。ついでにお玉も。
「そこの人間共。現実逃避したくなる気持ちも分かるが、認める勇気も必要だぞ。
俺は誰もが平伏す魔族の王・ロンバディウム。覚えておいて損はない」
だが言葉はそれっきりで、男は再び魔族に向き直り、説教を始めた。ものすごくフランクな雰囲気で「魔王」を名乗ったのだが……それで良いのだろうか。
「あれか?影武者……とか?」
「それにしてはその役割を全うしてない男だな。あんな恰好では否定される要素が多すぎる」
「意外性で俺らを驚かそうとしたのか?隙を作らせるため、か!」
男――魔王(?)は再び振り向くと、またもやお玉を掲げた。
「この恰好はどう見ても料理の最中だろうが!人間共の頭ではそれが分からないのか!?」
「あ、ちなみに今度の料理は何を作ってるんですか?」
女魔族の問いに魔王(?)は得意げに答える。
「ふっ、今日は海老のすり身と季節野菜入りのデミグラスソース掛けオムライスだ」
「ほぉ、それは美味しそうだな」
「そうだろう?時間が許せばお前らにも食わしてやっても良いのだがな」
「むー。それは残念だ。ぜひ機会があったら頂きたいものだ」
「……なに自然に会話してんだよ」
ごく普通に会話を成立させている幼馴染と魔王(?)。これをつっこまずしてどうしろと。
その時魔王(?)が突然小さな叫び声をあげた。
「しまったッ!!!火をつけっぱなしにしてこっちに来たんだった!!
ほら、オルティス、帰るぞ!!」
「あ、はい」
魔王(?)が右手を宙にかざし、呪文を唱えると、何もない空間にぽっかりと大きな穴が開いた。穴の先は色んな色が混ざり合っては離れ、ぐるぐると渦巻いている。
ぽかんとして様子を見ていた二人だったが、セシーリアの声で我に返った。
「ラヴィを……皆を返してくれ!!」
その穴に腕を突っ込んでいた魔王(?)を止めるためにシュトラウスは剣を抜こうとした。ルノアンは杖に指を掛けていた。
だがそれよりも先に、魔王(?)が後ろで待っていた女魔族に振り返った。
「オルティス、お前まだ人間共を戻してないだろ」
「そ、そうでしたね」
「さっさとしろ。俺の城が火の海になってたらどうする」
彼に急き立てられ、女魔族は慌てて両手の指を合わせると呪文を唱えた。
葉が擦り合う音が耳に響き、音の方を振り返ると、薔薇庭の先にあった小さな雑木林の中から女性たちがゆっくりとした足取りでやってきたのが見えた。
セシーリアが何かに気がつき、そちらへ駆けて行くのが分かった。
シュトラウスは魔王(?)に視線を戻すと、鋭く睨んだ。
「どういうつもりだ、お前」
魔王(?)は眉に皺を寄せた。
「どいうつもり、とは、どういう意味だ?」
「お前が魔王なのかそうじゃないのか、それは問題じゃない。
仮にもお前が魔族だって言うなら、なんで俺らを助け、女性たちも返すんだ」
どう考えても魔族のすることではない。
彼らは人間を蹂躙し、人間を狩る。人間と魔族の戦いがない日はないのだ。
ただ、この国では――――
「ふん。理由をわざわざお前ら如きに教えるものか。
だが、俺はこの国の人間共だけは見逃してやると決めているんだ。ありがたく思え」
「何だとッ」
頭にきたシュトラウスが剣を振り上げるが、魔王(?)が放った黒い光が一瞬にして彼を包み、遠くまで吹き飛ばした。
彼は呪文を唱えなかった。
その事実に、ルノアンは驚愕した。
「俺は優しいから、警告しといてやる。俺はこの国の人間には手を出さない。だが、お前らは別だ。残念だったな、大人しく指をくわえていれば放っておいたものを……。せいぜい寝首をかかれないように、背後には気をつけておけ」
魔王はその身体を穴に全て入れる前に、もう一つ言葉を残した。
「あの勇者というガキも例外だがな――――――」
会話ばかりでした。場景分かりずらかったか…な?
すごい大御所がでたわりに地味な登場でしたね。