第5話 薬屋の一大事
シュトラウスは目を充血させながらも明け方まで起きていた。
だが結局、「気配」とやらを捕まえることはできなかった。
「……ラウス……」
「うあ―――」
「シュ……ス……!」
「ん―――?」
「シュトラウスッ!!!」
「うるせぇぇぇッ!!!」
ドスッ、と鈍い音が鳴り、同時に呻き声が聞こえた。
だがそんなものを気にする様子なく、シュトラウスは惰眠を貪る。
「ッう……こ、こいつ……寝起きは本当に最悪なヤツだ……ッ」
お腹を抱えて痛みを堪えるルノアン。理不尽な暴力に涙目も怒りのそれになる。
だが、途中で寝てしまった彼と、朝まで起きていたシュトラウスと、得られた睡眠時間で考えれば、シュトラウスなど仮眠程度のものなのだ。すんなり起きないのも無理ない。
彼の傍で起こそうとすれば彼の拳が飛んでくる。
しかたなくルノアンはシュトラウスから距離をとり、杖を取り出して朝の陽光の中それを掲げた。
「来たれ、流水よ!」
光に煌く大量の水が、間抜け面のシュトラウスの頭上から降り注いだ。
「ッ!!??」
いきなり襲い掛かってきた冷たい感覚にシュトラウスは飛び起きた。頭から流れる水を擦るようにふき取る。
「ルノアンの仕業だな!?何しやがる!」
彼が立ち上がると足元に水の染みが芝生に広がる。
ルノアンは肩を竦める。
「お前が起きないから悪いんだろ。もう朝食の時間はとうに過ぎている。早く起きないか」
そう言うとシュトラウスは口を大きく開けたまま、信じられないものを見るようにルノアンを見た。
「なんだ?」
訝しげに見返すと、シュトラウスが手を強く握り締めているのが分かった。
「お、お前さ……俺がいつまで起きてたか知ってるか……?」
「知らん。私は寝てたんだ、そんなことが分かるような特技は持っていない」
素直にそう言ったら、シュトラウスからもう一発拳を貰ってしまった。
シュトラウスたちは夫人への挨拶と朝食を済ませると、再び街中に出て来ていた。
セシーリアにはシュトラウスたちの犯人探しの件は話をしてないので、朝が遅い言い訳をしなければなかったが結局、情けないことに二人の寝坊ということになった。(半分事実だが)
調査の結果はまだでていないらしく、やることがない二人は一日が手持ち無沙汰になるのを見越し、夫人の調査とは別で聞き込みをすることにしたのである。
「まぁ、俺としてはセシーリア様の屋敷で待っててもよかったと思うけど。話がかぶりそうだろ」
「そうは言ってもただぼんやり座っているのはどうなんだ。もしかしたら有力な情報を聞けるかもしれんだろう」
二人がさて、どこから聞き込もうかと昼前の大通りをぶらぶらしていると、人の間を掻き分けて走ってくる男性に気がついた。
「――――!!!」
何かを叫んでいた。
その男性が目の前に来て、シュトラウスは彼が誰なのか知った。
「あっ、薬屋のおっちゃん?」
昨日お世話になった薬屋の店主であった。
だが店主はシュトラウスなど眼中にないのか、何か一心不乱に駆け抜けていた。
「な、なんだぁ?」
すれ違い様の彼の形相があまりにも真剣で真っ青で、ただ事ではなさそうな雰囲気であった。
二人が呆然としていると、またもや前から走ってくる人がいた。
その人は中年の女性で、足元はふらふらとしている。顔は先ほどの薬屋と同様、青ざめていた。
その女性は力尽きたようにその場にしゃがみこんだ。
シュトラウスが傍に駆け寄り助け起こすと、女性は震える声を搾り出した。
「す、すみません……」
「あの、どうかしたんですか?」
尋ねると、いきなり女性が泣き出した。
何がなんだか分からない。シュトラウスは慌てて彼女にハンカチ……がなかったので、自分のマントを差し出した。彼も立派に動転していた。
「実は…………それ……むす……あああぁぁぁっ!!!」
なんとか事情を説明要してくれようとしたらしい。でも、彼女の鳴き声はいっそう激しくなった。
視線を感じてその先を向くと、通行人たちがひそひそと話をしながら自分たちを見ているではないか。
「ちょ、ちょっと!カンベンしてくださいよー!!なんか俺が泣かしてるみたいじゃないっスか―――!!」
だが女性は泣き止まない。
縋るような思いでルノアンを振り返った。
ルノアンはシュトラウスから距離をとった場所から、腕を組んで立っていた。
「どこのどいつかしらんが、こんな街の往来で女性を泣かすとは……」
「てめぇ!!いかにも他人の振りしてんじゃねぇよッ!!!」
女性が落ち着いてきたことに気がついたのでもう一度声をかけてみる。
「大丈夫ですか?いったい何があったんですか」
すると荒い息をしながらも女性は懸命に答えてくれた。
「そ、それが……私の、私の娘が昨日から行方不明で……」
「行方ふめ……」
大声を出してしまいそうになったのを慌てて自分の手で止めた。
シュトラウスは彼女を道端に促すと、確認するように尋ねた。
「行方不明と言うのは本当ですか?」
「え、ええ。わたしと主人は薬屋を営んでおりまして、娘はよく店の手伝いをしてくれるんです。昨日も夕方近く、残っていた配達の仕事をしに店を出て行ったんですが……」
やはりさきほどの店主の慌てぶりはそういう事情があったのか。
「それっきり夜になっても帰ってこないんです!そんなこと、一度もなかったんです。それに、とっても親思いのあの子が、むやみに私たちに心配をかけるようなことをするとは思えません。配達先のロブさんに聞いても、昨日あの子は家に来てないって言ってるんです」
そこに割り込んだのはルノアンだ。
「失礼ですがお嬢さんの容姿や年齢をお聞きしても宜しいですか?」
「え……」
「あ、できればいなくなる直前の服装なんかも!」
シュトラウスも加わる。
女性は困惑気味に青年たちを見上げた。
「あ、あの……?」
「俺らでよければ力になります」
そうして、任務とは別に行方不明になった娘の捜索が始まったのだ。