第16話 朝のひととき
「……って、……い!」
夢の狭間で声がする。
まだ幼い女の子のものだ。
「…………いよ……!」
眠くて眠くてたまらないシュトラウスにとって、その声は睡眠を邪魔するもに変わりなく、声の幼さに若干抵抗はあるが、それでも無視して眠り続ける。
「もう!朝……れな……です!」
身体を揺すられた。煩わしいのでそれを払いのける。
「…………」
恐らく「彼女」が何もしないのを良いことに、シュトラウスは再び夢の中に帰還する。
「起きろって、聞こえないのかよこのくそ男」
夢か。
「いい加減起きないならその髪全部剃ってツルッパゲにすんぞボケ」
……夢、だよね。
「聞こえてるくせにシカトしてんじゃねぇぞ」
シュトラウスは無言のまま起き上がった。
恐る恐ると顔を上げると……可愛い笑顔が待っていた。
「おはようございます、シュトラウスさん」
にっこり。
窓から見える青天の朝に相応しい清々しい笑み。
……のはず?
赤毛の少女にシュトラウスは顔を引きつらせて尋ねる。
「あのさールヴィ。いま、誰か別の人いなかった?」
一瞬面を食らったような表情をしたルヴィだが、苦笑した。
「嫌ですね、そんな訳ないじゃないですか。
ルノアンさんもクリスさんも食堂でお待ちしてるんですよ?」
「そ、そうなんだ……?」
やっぱり夢だったのだろうか。
いや、それにしてもなんて生々しいというかなんというか…………
「ほらほら、そんなこと言っていないで下に行きましょうよ」
「あ、ああ……」
どうしても釈然としないが、本能がそれ以上の追求を必死に食い止めようとする。
結局シュトラウスは素直に身支度を始めた。
「どうだった、ルヴィ。シュトラウスの寝起きは最悪だったであろう?」
食堂はわりと席が埋まっていた。宿の客では人数が合わないはずなので、近所の村人が利用しているのだろう。
その一番隅のテーブルにいたルノアンがシュトラウスとルヴィがやってきて席に座るとそう尋ねてきた。
クリスと言えば自分のティーカップに紅茶を注いでいる。
「ちょっと時間かかりましたけれど、ちゃんと起きてくださいましたから」
ルヴィの言葉を「起こされた」に変えたいのはなぜだろう。
「なる程。これからはルヴィにシュトラウスを起こしてもらおうか」
ティースプーンをカップから離したクリスが目に入った。
寝起きは喉がひどく渇く。
シュトラウスは今まさにクリスが手にしようとしたティーカップを奪うと、彼女の文句が跳びだす前に中身を全て飲み干してしまった。
そこまでは良かったのだが、この時シュトラウスは大きな間違いをしでかした。
「おえぇぇ!」
想像していたものとかけ離れた味に胃が拒否反応を示し、無駄だと分かってはいたが吐き出したくなった。
「何するのよ!しかも汚いッ!!」
至極当然、クリスに怒られたが、怒られることが不当と感じるような味がした。
「な、なんだよこの砂糖水!いや、お湯か。って、問題はそこじゃねぇ!
どんだけ甘いんだよ、気持ち悪いぞこの紅茶ッ!!」
「文句言うなら勝手に飲まないでよ!それに、それくらい甘くないと美味しくないじゃない!!」
「はぁ!?甘すぎだろが!既にもう紅茶という存在じゃないだろ!?
お前って味オンチなのか?」
クリスは顔を真っ赤にすると黙り込んだ。
そこに助け舟を出したのは意外にもルノアンだった。
「紅茶意外なら普通の味覚だと思うぞ。まぁ、それだけに関して言えば、角砂糖を10個入れた紅茶が普通だと思っているのだから、オンチかもしれんな」
「いやいや!それはオンチとか言うレベルじゃなくねぇか?」
10個も入れたら紅茶じゃなくて砂糖の味しかしなくねぇ?
クリスは腕を組むとシュトラウスから顔を背けた。
腹が立ったらしい。
まぁ、人の趣味にこれ以上アレコレ言うのもなんなので、そこはスルーすることにし、目下重大な朝食タイムに入りたいのがシュトラウスの本音であった。
四人が運ばれてきた朝食をとっている時、シュトラウスはすっかり言い忘れていたことを思い出した。
「悪いんだが、俺、ちょとこの村に用事が出来たんだわ。
だから、お前ら先に『水の街』に行っててくれるか?食事済んだら直ぐに馬車でるだろ?」
ルノアンを始め、三人は一斉に自分の皿から顔を上げた。
「なんだと?いきなり何をいいだすんだ。用事って、どんな用事だ」
「いや、私事なんだが……でも、村で馬借りてすぐに街に行くようにするからさ。大丈夫、時間はそんなにかからないはずだから」
「それなら私も残ろう。勇者殿探しは我々の使命だ」
その言葉を喜んで受け取っても良かったのだが、状況が状況だった。
ちらりとルヴィを見ると、シュトラウスは頬を掻いた。
「……セシーリア様にルヴィのこと頼まれてるだろ。俺が最後まで送ってあげられないのは本当に悪いが、ルノアンとそれからクリスもいるし。
ルヴィ、すまないな」
シュトラウスが頭を下げると、ルヴィは慌てて両手を振った。
「いえ、そんな!もともとはわたしが勝手にお二人におしつけちゃったお話ですし……」
昨日の魔物が現れたら剣士もいなく心配だが、接近戦が出来るらしいクリスがいれば代わりになるだろう。むしろ、魔物を倒したのは彼女であったし。
ルノアンはしぶしぶといった感じであった。
「……然諾を重んず、だな。仕方ない、お前の代わりに私が最後までルヴィを届けねばならないか。
ともかく、早くその用事を済ませて来い」
なんとか幼馴染の承諾も取れたようだった。
シュトラウスはなるべく早く三人に追いつくために、さっそく立ち上がった。
「それじゃ、またな!」
風のように食堂を出て行ってしまったシュトラウスを見て、クリスがちらりとルノアンに目を向けた。
「あんたの幼馴染って、なんていうか突然な人ね」
「昔からああだからな」
ルノアンの目は笑っている。
「まーそれじゃ、支度でもしてこよっか、ルヴィちゃん」
「はい!」
二人の少女と、それから黒髪の青年は村を出るための身支度をしに部屋に戻っていった。