第9話 一息つく間もなく
「本当に、ありがとうございましたっ」
セシーリアの屋敷の一室で、一人の少女がぺこりと頭を下げた。彼女の肩から赤毛がぱらぱらと落ちる。
「もういいよ、そんなに頭下げなくても――」
行方不明、訂正して誘拐事件は一応解決した。
浚われた女性たちを家に送り届けたシュトラウスたちはもう一泊セシーリアの屋敷で過ごし、現在に至る。
女性たちは次々にお礼にやってきて、ついでに果物やお菓子など気持ちとしてシュトラウスたちに渡していった。おかげで、部屋の机には小山のようなお礼品が積まれている。
赤毛の少女――ルヴィは花のように可愛らしい笑顔を浮べた。
「おー。このパンケーキ、なかなかいけるぞ」
ルノアンはすでにプレゼントを口に入れて、その美味しさを味わっていた。相変わらず彼は全身真っ黒だ。
「本当ですか?良かったです、気に入ってもらえたようで!
ぜひシュトラウスさんも食べてくださいね」
歳が離れているとはいえ可愛い少女にそう言われてしまい、彼もルノアンから残りのパンケーキをひったくると一口味わった。
「ん、うまいな」
「よかったぁ」
二口、三口と食べ進めていると、セシーリアが部屋にやって来た。
今日の彼女は出会ってから一番輝いている。
「ルヴィ。身体はなんともないのか?」
「はい!もうなんともありませんっ。セシーリア様にも心配かけちゃって、ごめんなさい」
「お前のせいではない。それに、お前が無事ならそれだけでいいんだ」
優しく微笑むセシーリアはどこか聖母のようだ、そうシュトラウスは思った。
「ほら、まだ陽はあるが早く帰りなさい。ノースたちも昨日の今日で心配するだろうし」
「はぁい」
素直にルヴィは返事をすると、もう一度シュトラウスたちに振り返った。
「シュトラウスさんたちは明日の朝この街を出られるんですよね。わたし、見送りに行きますね」
「別にいいんだぞ、そんなことまでしなくても」
「でも折角知り合えたのにすぐお別れでしょ?だから、最後まで見送らせてください」
ルヴィはぺこりとまた頭を下げると、ぱたぱたと廊下を駆けて行った。
セシーリアは軽く一息つくと、手に持っていた紙を机の上に置いた。
「これが勇者グレイドルに関する情報だ」
昨日の出来事でうっかり忘れそうになったが、シュトラウスたちの目的は勇者捜しだ。
二人はじっと机上の洋紙を見つめた。
「……見ての通り、洋紙が一枚。あまり役にたてなかったようだ」
気落ちした様子を見せるセシーリア。
だが始めから勇者を見つけられるとは思わないし、セシーリアが協力してくれたのは全くの善意からである。彼女が申し訳なく思う理由はない。
「そんなことないですよ。ありがとうございます。……それで、勇者はこの街に来ていたのでしょうか?」
セシーリアはその問いに強く頷いた。
「ああ。時期は一ヶ月経たないくらいか。街の宿屋を借りていたことを主人が証言してくれたらしい。名前は『グレイドル』を名乗ってはいなかったようだが、ブロンドに紫の瞳の青年だったようで、腰に特徴のある剣を下げていたらしい。宿屋の主人はちょっとした武器好きだったらしくそれに興味を引かれてよく覚えていて、しかもその剣が勇者が持つ特別な剣だということに気がついたようだ」
「岩をも両断すると言う、聖剣デュルダリアですね」
継ぐ気はなくともシュトラウスは武器屋の息子。聖剣や名剣を始め、名のない武器などにも知識が広い。
「聖剣デュルダリア」は細身の剣だが、その強靭さは大木や大岩を切り裂くことからも認められていると言う。柄の中には聖剣が創られた時代の聖女の髪と、かつて大陸を蹂躙していた帝王の血、そしてこの世界のどこかに存在すると言われる聖なる木の葉が納められている。
武器マニアなら涎を出すほどの武器で、大陸の国々も聖剣となれば自分の国にあってくれたら嬉しいわけで、だれもがその剣ぜひとも手に入れたいと願うものなのだ。もちろん、シュトラウスだって手に入れられたら一週間は興奮で寝られない自信がある。
どんな因果か、その聖剣はいま、勇者と呼ばれるグレイドルの手元にある。
それは彼の名前と同じくらい知られた事実である。中にはその剣欲しさに勇者に挑んだ愚か者もかなりいるらしい。
「それなら勇者がこの街にいたと思って良さそうですね」
「彼は一泊しただけで街を出て行ってしまったらしいが、街道に出る橋の衛兵の話によると彼はここから南西の水の街『ウィークス』に向かったようだ」
「よし!!これで次の行き先が決ったなッ」
なんだかんだいって、ルノアンの「南に行こう」という考えは間違いではなかった。
次の目的地がはっきりした二人は、もう一泊セシーリアの世話になることになり、各々就寝についたのだった。
扉をノックする音に気がついたのは、おそらく真夜中すぎ辺りであろう。
飛び上がるように起き上がったシュトラウスは、半分しか瞼が開かない状態で部屋の鍵を開けた。
「誰だ――――」
寝ぼけていたシュトラウスの頭は一気に覚めた。
薄くふんわりとした生地の寝巻きにガウンを羽織った姿のセシーリアが廊下に立っていたのである。昼間の彼女よりも薄暗い中の彼女は実に艶かしかった。
顔を真っ赤にして慌てたシュトラウスだったが、セシーリアがとても困った表情を浮べていることに気がついた。
「どうしたんですか?」
「そ、それがだな……今夜も気配がするんだ――誰かの」
「え!?でも、あの魔族はもう……」
「私もそう思ったのだが、やはり前と同じ気配だと…思う」
困惑した表情の中には怯えが見える。
シュトラウスは急いで部屋に戻ると愛用の剣を手に、セシーリアの寝室へと向かった。
途中で二人の話し声で起きたのか、隣の部屋で寝ていたルノアンもやってきた。
「もしかしたら、あの魔族は関係なく、他に犯人がいるのかもしれんな」
幼馴染の言葉に頷くと、シュトラウスは寝室の中をゆっくりと開いた扉から覗いた。
さっと視線を窓に向けると、カーテンに何か動く影がある。
「……ルノアン、外からいくぞ」
「ああ」
セシーリアをその場に残し、二人は静かに、迅速にバラ庭に出る。
ちょうどセシーリアの寝室のあたりに、何かが壁にくっつくように中の様子を窺っていた。
「私にまかせろ」
ルノアンは杖を取り出すと、それを塊に向けた。
「遙かなる風よ、至れ」
杖から噴出した風が塊を一瞬で持ち上げると、そのまま塊は地面に落ちた。
塊のなんともなさけないが上がる一方、シュトラウスは塊に向かって突進し、その顔の見えないフードの中に向けて刃を向けた。
「てめぇか!セシーリア様を不安に陥れていた元凶はッ!!」
剣を向けられても逃げようとする塊。シュトラウスは威嚇のために塊の上着を切りつけた。
「それ以上動いたら、今度はてめぇ自身を切り裂いてやるぞ」
セシーリアにストーカー擬いのことをして、尚且つこの期に及んで逃げ出そうとする根性にシュトラウスは頭にきていた。
だからこそ、彼は緊張感が一気に抜けてしまった――――
「す、すまんケロ!あ、ああああ謝るから、どうか切らないでケロッ」
という、実に独特な言葉遣いのせいで…………