陽菜
*
空を見ていた。壁の向こうにあるはずの。
耳をふさいで、目をふさいで、ただその向こうにあるはずの空に手を伸ばす。
そうしたら、もう一度あの手に届く気がした。
ベッドの上で陽菜がそっと目を開けた。
その目に映るのは真っ白な天井。晴れ晴れとした青空でも、目を見張るような夕焼けでも、静まりかえった白みがかった空でもない。どこまでも無機質に広がる天井だけ。
「っ・・・・・・」
その名前を呼ぼうとして、意味のないことに気がついてやめた。開きかけた口をそっと閉じる。
体を動かすと、鎖が擦れる鈍い音がした。陽菜のチョーカーから壁へと繋がれたそれはこの部屋を移動する分には不自由しない長さであるし、そもそもこんなものは意味がない。はずそうと思えばどうとでもなるはずだ。それでも、かつてのわたしから自由を奪うには十分なものだった。
一人部屋にしては広い。「始まりの日」の本部で与えられた部屋の五倍はあるだろう。ベッドだってこっちの方が断然立派だし、壁一面を覆うほどの本棚には影に関する本がぎっしりと詰まっている。勉強するための机も専用の広いものがあるし、呼べば好きなときに好きな食事をもらえる。料理なんてする必要もない。
けれど、それだけだった。
全身によく分からない管で機械と繋がれて実験データをとられることと、影を殺すことと、実験に使った人や実験に反対する人を殺したりすることのために一日のほとんどを使っていた。
ガーディアンは影を狩る職業で、これからも影を殺すことが唯一彼らと繋がっていられる方法なのだとあの男は言う。
今日もそろそろ影を殺しに行く時間だ。自分の中にいる影喰いに影を食べさせにいかなければならない。
それだけが、わたしにできることなのだと言う。
わたしはわたしの「日常」に戻ってきた。
ーーそう思っているんでしょう?
陽菜がベッドからするりと降りる。新しく与えられた、シンプルな黒のワンピースもいつも通りだ。
真っ白な床に降り立ちドアの前へと歩いていく。いつもドアの前でそれが開くのを待っていたから。この塔の下には、今日、自分の影喰いが飲み込むための影がたんまりと用意されていることだろう。
「行こう」
小さく自分に言い聞かせるようにつぶやいて、自分の影に鎖を引きちぎらせた。
助けてと呼ぶ声が聞こえる。もうこの声を聞かなくて良いように、わたしは影を握りつぶさなければいけない。
そうだ、もうこの声を聞かなくて良いように。
わたしはその全てをこの手で潰す。
わたしはその全てをこの手で壊す。
もう外の声は聞こえない。聞こえなくて良い。私は耳を塞ぐことにした。
ーーもう、外の声に頼るのはやめた。
わたしはあのとき決心した。こうなったら最期まで騙し通そうと。
なのに、なのにどうしてーー。
「お前、嘘つくの下手すぎ」
そう言われて初めて、わたしは自分が泣いていることに気がついた。




