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厄日と少女とつぶれたパン

 厄日だ。きっとそうだ。そうに違いない。

 太陽の大陸の中心、陽光川ようこうがわ

 大陸を横断するように流れる巨大な川のほとりには小さな屋台街がぎゅうぎゅう詰めになりながら軒を連ね、河川敷には多くの人が腰を下ろし談笑している。

 建物自体は古いものが多くお世辞にもきれいな町とは言えないが、この小さな町、陽光川第六区画ようこうがわだいろくくかくにおける中心であるこの川辺には毎日夕方から夜にかけて多くの人が集まってくる。茜に染まった空の色が陽光川に映り込み、青白い街灯と屋台街の暖色の明かりがぽつぽつと灯り始め、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 そんな川辺の様子を横目に穂積ほづみは一人で歩いていた。

 特に手入れのされていない黒髪が風に煽られ顔をしかめる。それでも少し大きめのパーカーのポケットに突っ込んだ片手は出さず、されるがままにしていた。

 明らかなキャパシティオーバーだ。この時間は人が多い。多すぎる。

 そんな文句が頭に浮かぶ原因はポケットに入れていない左手に握りしめられた、白い紙に包まれた申し訳程度の肉が挟まれたパン。今日の稼ぎはこれで全部だった。

 個人から依頼のあった「かげ」討伐に向かったは良い。だが依頼主の家の庭まで追い込んで倒したというのに、花壇にひとつ足跡が入ったという理由で依頼主は頑として報酬の九割カットを譲らなかった。

 理不尽な罵声が五巡し、もはや相手が次に何を言うか予測できるようになってきた頃、穂積もいよいよ面倒になって無理矢理そこで引き上げてきたわけだが、その家から出た時点ですでに夕方に差し掛かっていた。これじゃ丸一日働き損だ。役場へ申請すれば規定報酬だけはもらえる可能性があるが、解放された頃にはすでに受付時間をとうに過ぎていた。

 やっぱり依頼は個人から直接受けるより役場を通した方がいい。どんなに申請が面倒でも。帰ったら申請よりも面倒な案件を持ってきた張本人にそう伝えよう。

 だがそんな文句もとい報告に行くのも面倒になり、帰る前にいつもの安屋台で適当なパンを買って、イライラしながらどこへ行くでもなく屋台街を歩き続けていた。

 一人くらい川に突き落としても今日なら許されるんじゃないかと半ば本気で思いながら、知っている顔がいないかと目を凝らす。

 こう言うときに限って誰も居やしない。でもいなくてよかったかもしれない。今なら勢いで本当に突き落としてしまうような気がする。

 そんなわけで、そのときの穂積は非常に機嫌が悪かった。

 だからきっと、まわりがよく見えていなかった。

 悲鳴はすぐ近くで聞こえた。


「あっ!」

「うわっ!?」


 不意打ちで腹に衝撃を受けてよろめく。

 商店の間にある細い路地の中から黒いワンピースを着た少女が勢いよく飛び出してきていた。

 頭の中を報酬代わりのイライラで九割埋め尽くされていた穂積はすぐに反応できず、何か来た、と横を向いたのと同時に脇から飛び出してきた少女と正面衝突していた。

 その結果、少女の体を腹部で思いきり受け止めてしまい反動で右手からパンが弾き飛ばされる。


「あっ・・・・・・」


 穂積が視線でパンが地面へ落ちるのを追っている間に、穂積の肩ほどの身長しかない少女が自分の地面に着きそうなほど長い髪を振り乱しながらぱっと顔を上げた。

 色素の薄い、白に近い金髪と印象的な紅い瞳。穂積は思わず一瞬言葉を失う。


「ごめんなさい!」


 そう言って少女が踵を返し走り出そうとした。一拍遅れて意識を現実に引き戻した穂積はほんのわずかな違和感を見逃さなかった。



 空気が歪んだ。



「危ないッ!」

「え?」


 穂積が叫ぶのと同時に何か黒い物体が少女に向かって飛んでくるのを穂積は視界の端で捉えていた。

 驚いて振り向いた少女の腕を強引に捕まえ、とっさに引いた。それと同時に空いている右手を今し方少女がいた場所に向かって突き出した。

 一瞬の間に右手に神経を集中させる。

 突き出した手の中で光の粒が弾け、淡い色の光は急速に膨張し具現化していく。穂積自身がそれを認識するよりも早く、鍛え抜かれた感覚がその光を握りしめて思いっきり水平に振り抜いた。

 光の尾が黒い霧を引き裂いていく。

 次の瞬間、穂積と少女の目の前に飛び込んできた黒い霧が光の粒とともに霧散した。異変に気がついた通行人から悲鳴が上がる。その悲鳴の隙間に、少女が息を飲む音が聞こえた。

 穂積の手の中に握られていたのは、太陽の光力こうりょくで形づくられた自分の身長の半分ほどの長さの光のロッド

 悲鳴のした方に向き直る。穂積たちを中心に人が散っていく。見ると、路地裏からさらに何かが飛び出してきているところだった。

 それはまるで夕焼けの光を飲み込んでしまったかのような、直径一メートルほどの不定形な黒い霧のようなもの。若干の収縮を繰り返しながらその黒いものは空中に漂っている。

 ーー影だ。


「お前、何したの?」


 目線だけ動かして横にいる少女を半眼で見下ろす。こんな数の影に追われている奴なんてそうそういない。そもそもこんな町のど真ん中に出るなんて珍しい。一体どこから連れてきたんだか。

 だが幸い、どれも影の色は先の景色が見えるくらいでそれほど濃くはない。ということはそれほど力は無いはずだ。

 残りは四体。パンの値段よりは高くつくだろう。


「下がってて。動かれると邪魔だから」

「ま、待って!」


 振り返りもせずに少女に一方的に用件だけを伝える。少女の言葉には一切耳を貸さなかった。ロッドをしっかりと握り直す。


「面倒なことしてくれやがって。俺の夕食どうしてくれんの?」


 文句の矛先は目の前の影。呼応するかのように穂積の右手の中のロッドが強く光った。


「悪いんだけどさ」


 助走もつけずに強く地面を蹴る。穂積がいたはずの場所にかき集められた太陽の光力の残光が散った。

 光力アシストによる一時的な身体能力の向上。

 たった一歩で影の群の真ん中に突っ込んでいく。空中で体を引き絞り、ロッドを構える。両手で握ったロッドで思い切り影を薙ぎ払う。光力のこもったロッドは光の尾を引きながら一撃で二体の影を霧散させ、そのまま消滅させた。

 振るったロッドが道端にある木製の看板に当たり、ど真ん中に風穴をあけながら隣の仮設店舗まで吹き飛んでいき大きな音を立てた。ロッドの勢いで巻き起こった風が看板に備え付けられていたチラシを空に舞い上がらせる。

 遠巻きに見守っている通行人から歓声と悲鳴がわき起こった。

 穂積はその様子を気にすることもなく、着地すると同時に砂埃を巻き上げながら踵でブレーキをかけ、振り向き様に再び強く地面を蹴る。


「俺は今、」


 道の端で固まっている少女の方へ向かおうとしていた影に向かって、弧を描くように振り回したロッドを叩きつける。消滅したことを確認するとともにすぐにロッドを引き、もう一歩跳ぶ。


「機嫌が悪いんだよッ!」


 全身に行き渡らせていた光力をすべて右手に集中させる。奥にいた最後の影の真ん中に、強い光力を含んだロッドが突き刺さった。

 瞬間、強い光があたりを包み、影は光と黒い霧をまき散らしながら消滅した。


「・・・・・・はぁー」


 細く長い息を吐く。

 穂積は光の粒をまき散らしながら少女のいたさらに向こう側に着地していた。力を抜くと、手の中からロッドが一瞬淡い光を発して消滅した。

 視線の先には逃げた人々に踏まれてひしゃげたパン。今し方消滅させた影を役所に討伐申請すれば、同じものを買えるくらいの金額にはなるだろうが、あいにく受付時間は終了している。

 穂積がポケットから黒い手のひらサイズの通信用端末ーー軍の影感知システムだーーを取り出して画面に視線を落とす。今し方消滅させた影を確認しようとするが、どうやら未登録の影だったらしく影の発生と消滅が記録されただけだった。討伐報酬がいくらになるのかについても不明だ。


「はぁー・・・・・・」


 もう一度ため息をついた後、何か忘れている、と思ったときにはすでに何を忘れていたのかを思い出して、振り返って少女に視線を合わせる。


「あー、大丈夫?」

「あ・・・・・・ありがとう、ございます・・・・・・」


 丸い目をさらに丸くさせながら、呆然と穂積を見つめる少女が両手を握り合わせながら答えると、あたりで事態を静観していた人々から歓声と拍手がわき起こった。


「やるじゃねぇか穂積! さすが第六区画のエースガーディアンだ!」


 なじみの安屋台の店長が嬉しそうに叫び、指笛を鳴らす。


「・・・・・・それはいいから誰かお金貸してくれないかなぁ」


 不本意にも歓喜の渦の中心となった穂積がげんなりとした声でつぶやいたが、人々の歓声はしばらくの間鳴り止むことはなかった。


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