僅かな違和感
「で、お前はいつまで浮かない顔してんだよ。まぁでも、また影狩りに失敗したあげく崖から川に落っこちたらそんな顔にもなるか!」
なじみの安屋台の店主である中年の親父が、浮かない顔で現れた穂積を見て対照的な笑顔を浮かべる。
穂積は飛び降りた後、この安屋台に寄ってから軍の治安管理部へ討伐報告をしに行っていた。
「うるせぇ。失敗してもお前の店のパンくらいなら買える報酬はもらってるんだからな」
「仕方ねぇ、今日は特別タダでくれてやるよ」
「いらない」
「本当、お前って素直じゃねぇよなぁ」
穂積は仏頂面のまますぐに言い返したが、店主も気分を害した様子もなく、楽しそうに大声を上げて笑っていた。もちろん、仲が悪いわけではない。仲が良いからできる会話ではあるが、今の穂積にとっては小さな親切大きなお世話だ。
「陽菜ちゃんを連れたままあんな無茶しやがって。たまたま二人とも無事だったからいいものを」
「たまたまじゃないの。分かっててやってんの」
「にしてもまぁ、無茶だわなぁ」
「うるせぇ」
崖から飛び降りた二人は太陽の大陸の恵み、陽光川へとダイブしていた。
重力のただ中へと落ちていく途中で、穂積が右手から放出した高出力の光力が緩衝材となり、そこそこスピードが緩んだことと、落ちた先が川であったがために怪我はなかった。
もちろん、穂積はそれを分かって飛び降りわけだが。
ーー止まるはずだった。
穂積は自分の手のひらを眺めた。そこに何か答えがあるわけでもなく、結局腕を下ろし拳を強く握った。
陽菜を抱えていたとはいえ、昔の穂積の力なら、あの程度の高さの崖であれば光力の抵抗が勝り止まるはずだった。しかし、そうはならなかった。その原因は単純に自分の光力の弱さにあるとしか思えなかった。
「・・・・・・づみ」
うかがうような声が微かに耳に届き、穂積は視線を動かし、ようやく陽菜が目の前に来ていたことと、自分が苛立っていることに気がついた。隣に茶髪にウェーブヘアの少し派手な格好の女性が立っている。
陽菜をずぶ濡れのまま連れ回すわけにもいかなかったので、ちょうど仕事が休みで店を手伝っていた店主の娘、風香に陽菜を預けていた。どうやら着替えを借りたらしく、陽菜のものより少し丈が短めのワンピースを着ていた。しかしどうやら落ち着かないらしく少しそわそわしている。
「あー変態だ、変態が帰ってきた! 女の子を水に濡らして服を透けさせたうえに丈の短い着替えを用意した変態だ!」
風香が帰ってきた穂積を見つけるなりにやにやしながらはやし立てる。
「着替えはお前が用意したんだろうが」
「やだ! 変態がしゃべった!」
「もし万が一俺が変態だとして、しゃべることさえ許されないのかよ」
「見ないでよ変態!」
「むしろお前は一度本気で頭を診てもらったほうがいいと思うぞ」
「え? なに? かわいいって?」
「もうそれでいい」
「あの、穂積・・・・・・」
陽菜が二人の会話の間におずおずと口を開いた。
「報酬、どうだった・・・・・・?」
穂積たちはとっさに口をつぐんだ。風香が必要以上に話していたのも、おそらく陽菜の気を紛らわすためだったのだろう。心配そうな視線をよこしている。
逡巡したが、ここで生ぬるい嘘をついたところでどうにもならないので、結局端的な事実だけを伝えることにした。
「だめだった」
結果から言うと、取り逃がした影があったために報酬は二分の一にしかならなかった。
「ごめんなさい」
「陽菜のせいじゃない」
どうやら穂積が仏頂面をしていることを自分のせいだと思っているようだった。穂積は自分の思考をごまかすかのように、まだ乾ききっていない陽菜の髪をまるで犬にするように多少雑にかき回した。
だが実際、穂積たちは最初に陽菜をつれて商店街へ行ったの日から数えて、すでに五回狩りに失敗し続けていた。
今日のも合わせて、完全なる失敗ではないものが多かったが、完全な成功は一つもない。そのためあまり高額な報酬が入ることは無かった。
そして陽菜は完全な成功をするまでは報酬はいらないと言ってきかなかった。いくら少額であっても意地を張ってしまい頑として受け取ろうとはしないのだ。
陽菜は確かに影を察知できる能力を持っていたが、攻撃ができないのはもちろん、防御もできないため実際戦闘になれば穂積の負担になることに違いはなかった。穂積はこれまでのように戦うだけでなく陽菜を守らなければならない。
団長は団長でもっと大きな仕事を一人でこなしているし、一度陽菜を置いて行こうとしたらバレて大変な目にあった。そんなわけで、なんだかんだ言って半強制敵に穂積が陽菜を守る役目になってしまっている。
そしてその結果、最近の仕事の成果はさっぱりだった。というよりかは普段のペースを乱されて穂積自身が混乱していると言った方が良い。普段ならとりこぼすはずのない仕事をとりこぼし続けている。だからこそからかわれているわけだが。
今回の巨人については団長に任せても良い話ではあるのだが、まわりからの揶揄に穂積が意地を張ってしまってどうにもこうにもあとに退けなくなっていた。
鬱屈した気持ちを晴らそうとひとつ大きく伸びをする。
「とりあえず帰るか」
「うん」
「あー・・・・・・腹減った・・・・・・」
陽光川のほとりを「始まりの日」の本部に向かって歩いている穂積のひとりごとに、腹の虫が同意した。
時刻は午後六時半。夕方の茜がどこか靄のかかった夜の白さへと移り変わろうとしている。
太陽の神を崇め、光力を含めて全てが太陽を中心にまわっている太陽の大陸では、夜も靄により少し光量が押さえられているだけの白い明かりで満たされているために十分に明るい。そのうちに靄が晴れると朝がきた証だ。
「はぁ・・・・・・」
二つのため息が重なった。
朝一から出かけ昼食も無視して影狩りにいそしんでいたにも関わらず、穂積と陽菜は今日も目的の影を仕留めることができなかった。
目的、というのがあの森の中で発生した影の群を退治することだったわけだが、そもそもあんな巨人のような何かがいるなんて情報はなかった。
色も濃く実体があるように見えるが、あれは確かに人喰いではない。おそらく影の集合体のようなものだろう。あそこまで多くの影がくっついてしまうと逆に個としての存在が保てなくなり力が弱まるため、喰われる心配はほぼないだろう。
だが、自力で実体を持つまで結合してしまったために物理的な攻撃が可能となっている。防御力も高い。甘く見るわけにはいかない。
だがーー。
おかしい。影の群とは聞いていたが、あれほどの集合体がつくれるほどの数ではない。しかし、そんな数の影の目撃情報などなかったし、役場にもそのような情報は無かったという。他にも影がいたことからも、明らかに引き受けた依頼よりも最終的に確認できた影の数の方が多い。多すぎる。
言いようのない違和感に思考が再度からめとられていく。
そのとき、隣から空気の抜けるような情けない音が聞こえた。
「ご、ごめんなさい! わたしのせいでお金ないのに!」
まわりには夕食を食べている人々がそこらじゅうにあふれている。あたりの出店から運ばれてくるおいしそうな匂いにつられて陽菜の腹の虫も悲鳴を上げていた。
陽菜が慌てて弁解したかと思うと、そのままうつむいてしまった。今日の失敗はさすがに責任を感じているらしい。あと少しで依頼完了というところまでいったのに、結局失敗してしまったのだから。
「まぁ、あれだけ大きい影ならどうせ応援呼んだ方が良かっただろうし。今日のところはあんなもんだろ。ほら、さっさと忘れて夕飯何にするか考えろ。つくってやる」
陽菜がぱっと顔をあげる。嫌な予感がする。ので先手を打っておく。
「あ、いや、手伝いとかいいから。本当にいいから」
「ううん、今日のお詫びにわたしが料理するよ」
嬉しそうな表情、の気がする。気のせいであってほしい。三日前のどす黒いスープが脳裏をよぎっていった。
「さぁて、何買って帰るかなぁ。少しくらい食材買って帰んねぇとあそこはろくなもの置いてないからな」
両手を頭の後ろで組んでどんどん先へと歩いていく。後ろからぱたぱたと駆けてくる足音を聞きつつも、歩調を緩めずに激安スーパーへと向かって歩いていく。
「任せて。今度はうまくいく気がする」
「あーそういや調味料も少し買っていかないと」
「わたし決めたの、ここを出るときまでに穂積みたいに料理を完璧にマスターするの」
「疲れたからなぁ、肉がいいかなぁ」
「穂積聞いてる?」
上着の裾をひっぱりながら必死に主張する小娘を半ば無視し、ずるずると引きずるようにしながら歩く二人はわりと悪目立ちしていた。




