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ようやく梅雨明けですね。本格的に暑くなりました。みなさん、いかがお過ごしですか。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
執筆が遅れて申し訳ございません。長期で連載2本はなかなか大変ですね。(笑)素直2も昨年10月からスタートしてようやく32話となりました。今後も遅れることはままあるとは思いますが、最後までよろしくお付き合いください。
では、熱い季節体に気をつけてお過ごしください。
篠原悠哩
その週末の土曜日に都内の老舗のホテルの庭園にある、料亭に江怜奈と父功一郎、そして華絵が顔を揃えて、その料亭で一番眺めのいい部屋で御堂家の到着を待っていた。江怜奈はといえばいつもとかわらないいでたちで不機嫌そうに無言で座っている。
「もう少し、着飾っていらしたほうがよかったんじゃないかしら?こんな場所ですもの、お着物になさるとか」
華絵がやや眉間にしわを寄せて不満げにもらす。
「今時、和服なんてはやらないわ」
江怜奈は華絵の顔も見ずに気に入らなさそうに細い眉を吊り上げた。
「まあ、いい。華絵。そろそろ、時間だ」
そういって功一郎が時計に目をやった。ふと、ノックの音がする。功一郎と華絵の2人は椅子から立ち上がってドアに視線をやった。
「失礼します。御堂様がお着きになりました」
この部屋を専門にお給仕してくれる仲居が丁寧にお辞儀して入室し、すぐにドアの横で外にいる客を中へ促す。
「やあ、遅くなってすまないね、早く出たんだが、ちょっと道路が混んでいてね」
そう言って、御堂國臣がにこやかに部屋に現れた。後ろには御堂の妻ともうひとり背の高い青年がいた。功一郎と華絵はすぐに立ち上がって一礼した。江怜奈もそのあとに立ち上がってドアの付近にいる御堂家の人々に顔を上げて、はっとして固まった。江怜奈はその瞬間一番最後に入ってきた青年を凝視して動けなくなった。そこには見慣れた顔の男が立っていた。バレリアンのバーテンのはずの拓海だった。江怜奈は心臓をを掴まれたように息苦しさを感じて、体中の体温が奪われていくような気がした。功一郎は恭しく御堂國臣と握手を交わし挨拶をすると、華絵を挨拶させて、さらにその後を振り返り、江怜奈が呆然としていることに気付いて諌めた。
「江怜奈、何をしている、挨拶をしなさい」
江怜奈は功一郎に声をかけられてはっと我に返って、御堂國臣の前にでて、優雅に丁寧なお辞儀をした。仕事だと思えば、セクレタリセクションの仕事上、こういうシーンは慣れている。
「江怜奈です。ご無沙汰しております。申し訳ございません。このような場は慣れておりませんので、緊張してしまって…」
江怜奈は仕事だと自分に言い聞かせ、上品な笑みを浮かべて流暢に挨拶をこなした。
御堂國臣は50代半ばといったところだが、髪も黒く豊かで、若々しく見える程度にきちんと撫で付けられて知的な印象を持たせる。年の割りには引き締まったスタイルで、着ているスーツもビジネス風というよりもエレガントに着こなして華やかな感じさえする。やはり親子だ。拓海に似ている。もちろん、顔形も似てはいるが、それよりもなにか野生の爪を隠しているように静かに威圧する感じがやはり似ている。國臣はニッコリと満面の笑顔を見せるが、その仮面の下にはやり手で野心家の顔が隠れているのは江怜奈でも容易に理解できた。
「おお、本当にステキなお嬢さんになりましたね、江怜奈さん。こっちが、拓海だ。久しぶりだろう?」
江怜奈は國臣には笑顔で頷くものの、拓海の目が見れないでいた。しかし、拓海は部屋に入ってきたときから江怜奈をじっと見ている。江怜奈は視線を逸らしてはいるが、拓海が江怜奈をじっと見つめていることは入ってきたときからわかっていた。しかし、出来れば江怜奈は拓海と目を合わせたくはなかった。
「御堂拓海です。ご無沙汰しています」
そう言って、夜には見たこともないような笑顔で功一郎や華絵に挨拶を交わした後、江怜奈に近づいた。
「久しぶりですね。江怜奈さん、今日はいらしてくださって光栄です」
さすがに、名指しされたときには江怜奈も諦めて拓海に視線をあわせた。その拍子に拓海が一瞬何かたくらむような笑顔をみせた。江怜奈の心はそれだけで困惑してさらに心拍数があがった。
一通り挨拶が終わると、席へは食事が運ばれ始めた。少しずつ箸を進めながら、和やかに話しが進んでいく。しかし、江怜奈は拓海が何を考えているのか気が気ではなく、普段の気の強さでは考えられないほど、御堂の夫婦には控えめでおしとやかな女性にうつったようだった。
「いやあ、美人なのに、知的で落ち着いていて、謙虚さもある。拓海が目をつけたのもわかる気がしますよ」
「そうですか?これでいて、頑固で曲がらないところも多いんです」
功一郎が社交辞令のように笑顔で言葉を返した。
「いやいや、しっかりしているのは結構なことですよ」
その横で國臣の妻もニコニコ頷いている。
「私の後を継ぐ話をしたら、条件が江怜奈さんにあわせることだって言うんだ。はじめはびっくりしたよ。しかし、こうして久しぶりにお会いしてみると、本当にステキなお嬢さんだ。拓海がどうしてもと言う気持ちがわかるよ」
國臣はややお酒も入って上機嫌なようである。
「なあ、拓海、その後はうまくやれよ。振られたから跡を継がないっていうのはなしだぞ」
「はい。わかっていますよ。でも、まず、振られることはありませんから、大丈夫ですよ」
拓海が簡抜いれずに自信たっぷりに江怜奈を見て応えると、江怜奈は一瞬ピクッと眉間を動かした。
「たいした自信だな」
拓海が返す言葉に國臣は満足げな表情を見せて拓海に視線をやった。
「頼もしいですね。さすがは後継者ですね」
ここはつっこみどころだと功一郎はすかさず、口を挟む。
「ああ、この自信家は伊達じゃないんだ。小さい頃から拓海には人の上に立つ資質がある。ずっと後継にと思っていたのだが、なかなか本人がその気になってくれなくてな、困っていたんだが、ようやくその気になってくれたようで、よかったよ。私もこれで一安心だ」
功一郎は國臣の話に頷いてから、拓海に声をかけた。
「いつからお仕事を?」
「はい、今やっていることがあるので、そうですね、秋には父の会社の仕事に着きたいと考えています。上条さん、まだ、未熟者ですが、これからよろしくお願いします」
拓海は知的で利発なビジネスマンのように饒舌に挨拶して頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、うちの優貴も君のようにしっかりした青年に育てたいものだ。会長が羨ましいですよ」
功一郎はすかさず、國臣に満面の笑顔で視線をやった。
「ああ、そういえば、優貴くんはまだ中学生だったな。成績も優秀だし、利発な子だと聞いている。」
「ありがとうございます。でも、まだ子供ですから。これからですよ。そう言えば、真海くんは…」
会長の顔色が一瞬曇った。その瞬間、功一郎は成り行きでつい真海の話を振ってしまったことを後悔した。
「ああ、真海か。あいつは頭はいいが気性が優しすぎるんだ。後継には向かない」
國臣が不満げな顔ではっきり言い放つとその瞬間、拓海の顔色が変わった。
「兄は人への気遣いがすばらしい人です。私には及ばないほどの人格者です」
國臣がちらっと拓海に視線をやるとややため息をついた。
「真海は自らお前の秘書を買って出ただろう?あれは人の上には立てん男だ」
「父さん、いえ、会長。兄は私にはなくてはならない人です。私が兄に秘書で残ってくれるように頼んだのです。兄は頭がいいし、きめ細かい配慮ができる。私には必要な人です」
拓海がまっすぐに鋭い視線を國臣に向けた。しばらく、緊張した沈黙が続く。先にその沈黙を破って切り出したのは國臣だった。
「ふん、まあ、いい。仲良くやってくれて事業がうまいこと行けばこんないいことはないからな。真海のことはお前に任せるよ」
「はい。ありがとうございます、会長」
拓海はそういって頭を下げると夜に見せる何かを秘めた鋭い瞳を上目遣いで國臣に向けた。ほかの誰もが気付かなかったが、拓海に気を取られていた江怜奈はその様子を黙ってじっと眺めていた。