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ピリピリピリ… ピリピリピリ…
飯田は両手一杯の荷物を床置いてポケットの携帯を取り出す。
「はい。飯田です。…はい、…はい、ええ…」
飯田はチラッと時計に視線を落とした。
「わかりました。それ以上は商品の特性上無理ですから、必ず時間確保をお願いできますか。…はい、…はい、…では、よろしくお願いします」
飯田は電話を切ると床に置いた荷物をもう一度持ちあげて、少し小走り気味に澪の背中を追いかける。
今週は月次会議がひしめく会議週間のため、社内説明で二人は分刻みのスケジュールで奔走していた。ここ数日は一番の山場で、お取引先を担当するBIや販売を取り仕切るブロック・マネージャーの会議が続く。この会議は一度に50〜100人と人数も多い。こちらの本社で東側、大阪支社で西側と開催地も2箇所にわけている。おとといは二人で早朝から大阪支社まで出張し、説明終了後、夕方の本社での部長会議に間に合わせるため、トンボ帰りしてきたのだ。
「先輩!次のマネージャー会議ですが、15分ずれてるそうです。午後2時15分から25分間です。会議の時間が押してるからと5分巻けということでした。大丈夫ですか」
書類の山を両手に抱えた澪は足を停めずに飯田に振り返る。
「了解。毎度のことだから大丈夫よ、5分ね」
隣に追いついてきた飯田を見上げてニッコリ笑う。飯田はこういうときの澪の表情が好きだ。こんな時の澪は子供が何か楽しいことをみつけたかのように楽しそうな表情をするのである。イレギュラーなことが起こると、その場を切り抜けるための澪の頭の回転は速い。
「ねえ、会場についたら、VTRのセットを先にお願いできる?巻かないといけないなら、説明よりも先にCM見てもらいましょう。ああ、最後のオチはいつもと同じで。あとはまかせて」
にやっと笑って企むような表情を飯田に向ける。
「わかりました。うちの前は西本さんのところで使ってるのですぐに使えますよ」
飯田が即答する。
「了解。でも、午前中も長引いてたわね。デスクで大分調整に終われてたけど、休憩時間タイトだったでしょ?お昼食べた?」
午前中はバッティングしていたので、営業企画会議に澪が行き、飯田は人事や総務の会議で簡単な商品概要を説明してきたのだ。
「なんとか。さっき抜け出して蕎麦かき込んできましたよ」
「ああ、なんだ、さっきどこいったのかと思ったら社食?」
「いいえ、ちょうど時間が終わってましたから、会社のビルの向かいの立ち食いです」
飯田が照れくさそうに笑う。
「ごめんなさいね。飯田君。今回昼前後に説明が集中しているからせわしいわよね。この説明が今日は最後だから、あとでゆっくりお茶しながら何か食べましょ。蕎麦ぐらいじゃおやつ程度にしかならないでしょ?私がおごるわ」
澪が飯田を気遣ってお茶に誘うと飯田は嬉しそうにすぐにその話に飛びついてきた。
「えっ?ほんとですか?じゃ、スタバにしましょう。シナモンロールつきで。」
茶目っ気いっぱいに飯田が舌を出す。
「了解!じゃ、気合入れていきますか」
澪がくすっと笑って飯田を見上げると飯田も目で合図するようにスペシャルなさわやかスマイルで頷いた。
澪と飯田は会議の会場につくとこっそり会場の後ろから静かにはいった。ファンデーションのチームが、この秋新発売の商品の説明をしている最中だった。飯田は開いた机に荷物を音を立てないように静かに置くと、配布しやすいように仕分けを始めると、澪も飯田の隣で資料を小分けし始めた。段取りが済むと二人とも時間まで座って待機にはいった。途端に場内が暗くなってスクリーンにはファンデーションのCMが流れ、場内が沸く。マネージャー達の反応はまずまずのようだ。
「今回、西本さんのチームは思い切りましたね。ギリギリまで渋られてたみたいですけど、西本さんがくいさがって渋々幹部もOKしたって聞きましたけど、フェイ・チャン、反応いいですね」
「そりゃそうよ。今まで日本で活躍はあまり目立ったものはなかったけど、今、アジアじゃ注目の女優だもの。トレンドにうるさいマネージャー達は知ってるわよ。西本さん、この秋封切る日本人の監督する映画の撮影をしてるって聞いて香港まで交渉に行ったのよ」
「ええ?香港ですか?」
驚いて飯田が声を上げる。
「シッ!」
澪が眉間にしわを寄せて唇の前に指を一本立てた。飯田があわてて手で口を抑えて再び声を殺しす。
「あ、すみません。先輩もすごいと思いますけど、西本さんもすごいですね。うちの女性陣は大胆ですごい熱意があって、ほんと感心しますよ」
澪がまんざらでもない顔で笑う。
「ふふふ。そうね。さすがに映画のスポンサー権はとれなかったみたいだけど、先方は日本での露出が増えることに好感触ですぐにOKしてきたらしいわ。さすがよね。ほんと綺麗な人ね。フェイ・チャン。うん、CMいいじゃない?これから日本でも人気でるわよ。ね、飯田君」
「そうですね。でも、俺はななえちゃんの方がいいかな。なんか、かわいいだけじゃなくて、なんか人をひきつける独特のオーラがあって、間近で見てるとドキドキしますから」
「ああ、そうね、飯田君の好みはちょっとかわいい妹みたいな感じが好きだったものね。ななえちゃんはぴったりだわ」
澪がスクリーンを見ながらくすくす笑って冗談ぽく飯田に流し目をする。飯田はすかさず応戦する。
「えっ?あ、そんなことないですよ。綺麗な人好きですよ…」
先輩みたいなと言ったと同時に澪が立ち上がって飯田に声をかけた。
「あ、終わったわ。さあ、資料と物を配布してくれる?」
「えっ?あ、はい。」
返事とともに澪を見上げて、飯田は今のは聞こえてなかったことを知る。澪の横顔は既に戦闘モードにはいっていたのだ。飯田は心の中でがっくりと気を落としたが、笑顔で速やかに立ち上がるとスピーディに資料配布を始めた。会議の主催のスタッフも手伝って、使用見本も配布した。配布されたところから「かわいい!」「ステキ!」などと急に席が騒がしくなる。マネージャー達は30代の女性が多く、ピュアクリスタルを配布用の袋から取り出して思い思いに試し始めた。澪はスクリーンの傍で、その様子を観察して満足気に頷いた。評判は上々のようだ。全員に行きわたった頃には会場はピュアクリスタルで少女のようにきゃあきゃあ盛り上がっていた。
「皆様、こんにちは。『Beau』担当の真藤です」
いつもなら、ここで資料の説明から入るところだが、やはり澪は出方を変えてきた。画面いっぱいにピュアクリスタルの商品イメージ写真を映している。
「いかかですか?新製品のピュアクリスタル。かわいいですよね。私もいつも以上に気に入っているんです。説明もなんですから、まずはいろいろ試してください。私は中でもクリスタルコフレアイズのピュアレモンがお気に入りなんですよ。肌にのせると色の光とスターダストのような細かなパールが輝いて透明感がすっごくでるんです。他の色でも、技術は同じですよ。光に当ててみてください。上品な光なのにつけると目元に華やかさがでて、簡単にイキイキした夢見る少女のような目元にみせることができるんですよ。ここにはうちの研究チームの世界初の技術が反映されています。今回皆様にお配りしたのは、プレミアム限定販売用のシンシアクリスタルコフレのシリーズです。」
「えーっ!シンシアクリスタル?ステキ!」
会場は一気に盛り上がる。
澪の話を聞いてないかのように商品に夢中になっているようで、結構耳は生きているらしい。思い思いに手の甲にコフレアイズをのばして光にあてては、「ほんと!すっごくきれい!」「肌が綺麗に見えるわ!」などと黄色い声を上げている。澪は思い通りの反応に満足している様子で満面の笑顔を見せていた。そのうち、チラっと時計に視線を落としたかと思うとすぐに顔を上げて動き出し、いろいろなテーブルをまわって一緒にピュアクリスタルを試しては楽しそうにマネージャー達と会話している。会場はもう、夢見る少女でいっぱいの雰囲気につつまれた。5分ほどすると、澪は名残惜しそうに笑って会話しながら前のスクリーンの傍に戻ってきた。
「皆様いかがですか?一通りお試しいただけましたか?お気に召していただけたような感じで私もすっごく嬉しいです。早速ですが、仕上がったばかりのCMをいち早くご覧いただきたいので、皆様前方のスクリーンをご覧ください。」
澪は会場中央の飯田にアイコンタクトで合図を送る。飯田は頷いてスクリーンを切り替え、PCを操作する。会場の照明が落とされ、盛り上がっていた会場は一気に鎮まりかえる。しかし、CMが流れ出した途端、ざわめきはじめた。
「ねえ、結城ななえじゃない!かわいい!」
CMは結城ななえのアップではじまる。
潤んだ瞳でやや上目遣いでじっと見つめる。バックで流れる曲は女性から絶大な支持を集める人気グループ、アニスシード。
「アニスですって?ステキ!」「私大好きなのよ!アニス!」「アニスの曲すっごくいいわよね!」
このCMのために書き下ろした新曲だが声に特長があるために、さすがにすぐに気がついたようで会場がさらにどよめく。
カメラが退いて秋のパリの街を映し出す。オープンカフェで友人達とテーブルを囲んで談笑する中、1人ななえの視線は何かを捉えている。その視線の先に通りを歩く青年に向けられている。青年は歩きながらななえと視線を絡めている。再びななえがアップになり、少女らしい淡い恋心を表現する見事な表情を見せた。
そのあとコフレアイズがアップになって映像が消えた。しばらく真っ暗になって、すぐに2本目がはじまる。今度はコフレルージュ版だった。
オフィスで仕事の打ち合わせ中、やはりななえの視線が何かを捉えている。近くを通るビジネスマンが歩きながらななえに視線を合わせる。ななえは打ち合わせ中なので、目の前にいる相手に何かを話をしている。その美しい口元がアップになってキラリと上品に艶めく。そのあとは一本目と同様、ななえのアップで今度は大人の恋心をほのかに漂わせる表情で映像が終わる。
スクリーンから映像が消えた途端に真っ暗になったが会場はざわざわと沸いている。飯田が照明をつけると会場はさらににぎやかくなった。すぐに飯田はスクリーンを映像から、前のPCに切り替えた。澪はすかさず話し始める。
「今回のCMは皆様ご存知のとおり、結城ななえさんです。このピュアクリスタルのイメージにぴったりなのは結城さんしかないと、他の候補は一切考えず、直接本人に交渉にいきました。あとで事務所からお叱りをいただきましたが。」
会場がどっと笑う。澪はすっかり会場にいる全員の気持ちを掴んだようだった。
「結城さんがすごくやる気になってくれて、自ら事務所に直談判で契約を決めてくださったんです。ですから、このCMやポスターの撮影ではとても熱心に取り組んでくださり、最高の物が出来たと思います。また、バックに流れていた曲ももう説明はいりませんね。アニスシードです。今回はこのCMのために曲を作っていただき、商品の発売と同時期にシングル曲としてCDを発売する予定です。では、商品の概要とこのピュアクリスタルを盛り上げるプロモーション企画の説明に入りますので、お手元の資料をご覧ください。」
澪は、商品の説明はもちろん、プレス発表会でクノチアキが結城ななえをモデルにデモンストレーションでメイクショーをすることや、V誌でプレス発表の特集をタイアップで組むこと、V誌のみの企画でプレミアム限定品としてシンシアクリスタルモデルを予約販売することや、BCのいるショップのみでクノチアキとコラボで『Beau』オリジナルブラシセットを販売すること、V誌とM誌の専属モデルのコレクションでメインスポンサーで契約し、V誌とM誌とクノチアキとコラボでショーを実施する内容を説明した。今までとは全く比にならないような企画内容のため、説明の度にどよめきが起こり、会場はだんだんヒートアップして熱気で溢れかえる。その後売り上げ目標や店頭でのプロモーション展開の詳細を説明した。最後にあと3分の時間を残して澪は湧き上がる会場に呼びかける。
「皆様!実はもう1本見ていただきたいVTRがあります。もう一度正面をご覧ください。」
再び会場が暗くなり、周りがざわつく中、スクリーンに映像がCMとは明らかに違う映像でななえが映し出された。
「この商品の販売にたずさわる皆様、はじめまして。今度『Beau〜ピュア・クリスタル〜』のパーソナリティを担当させていただくことになった結城ななえです。化粧品のパーソナリティは初めてでしたので、このお話をいただいた時には本当に嬉しくて舞い上がりました。そして、このピュアクリスタルと出逢ったときにはすごくステキで一目ぼれしました。」
ななえがピュアクリスタルを手にとって時々視線をやりながら楽しそうな表情で話す。
「今では皆様より一足先にピュアクリスタルを毎日愛用しています。私はこのパリのカフェで撮影した時に使ったクリスタルコフレのピュアピーチがお気に入りです。かわいくても甘すぎず、ちょっと凛々しさもある仕上がりがとっても好きなんです。私もこのお仕事を一生懸命努めさせていただきます。皆様とともに日本中の女の子にピュアクリスタルをお奨めしていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。」
VTRが終わるとすかさず飯田は前のPCに切り替え、照明をつける。
「このVTRは結城さんのご厚意で撮影させていただいたものでノーギャラです。ドラマの撮影の合間にうちの飯田がハンディカメラで撮影しました。結城さんは本気でこのピュアクリスタルに取り組んでくれています。そして、VTRにはありませんでしたが、このピュアクリスタルで、『Beau』をメイク市場でNo.1を目指していると伝えたところものすごくやる気になってくださって、No.1に絶対なりましょうねと手を握って熱く語ってくださいました。私達も今回は絶対狙えると思うのです。こちらでもさまざまなキャンペーン企画でパックアップするよう今まで以上に準備に力を注いでいます。しかしながら、一番重要なのは皆様の販売の力です。No.1になれるかどうかは現場の皆様の力にかかっています。皆様の力でどうか、念願の初のNo.1に押し上げてください。どうかよろしくお願いします。」
澪が真剣な眼差しで訴える。会場は静まりかえり、どこからともなくパラパラと拍手がはじまり、やがて会場全体で割れんばかりの拍手が響き渡る。澪は拍手に突き動かされるように映像が消えたスクリーンの中央に立った。
「以上で、説明を終了します。皆様『Beau〜ピュア・クリスタル〜』をどうかよろしくお願いします。」
澪は深々とお辞儀をした。会場はさらに拍手がヒートアップする。澪は名残惜しそうに何度もお辞儀しながら席にもどり、飯田をともなって会場を後にした。
「いやあ、先輩すごいですよ。時間ぴったり。しかも、製品の説明であんなに盛り上げることができるんですから、ほんと驚きですよ。でも、どこの会場もすごく評判いいですね。予算も目標個数も今までと比べ物にならないぐらい高いのに現場はやる気満々でノリノリだし。企画内容もすごいですけど、やっぱり先輩ですよ。」
飯田が興奮さめやらぬっといった感じで澪に話しかける。例は照れくさそうに笑った。
「飯田君、あんまり褒めないで。みんなが協力してくれたから良い企画になったのよ。」
飯田は笑って首をふる。
「先輩ですよ。先輩はなんていうか、こう、人を惹きつけて心を動かす何かがあるんですよ。だから協力者も増えるし、その人たちのやる気まで引き出してしまう魔法までかけられるんですから。」
澪の表情も清々しく飯田の言葉に嬉しさを隠せない。
「そんな私は魔法使いでもなんでもないわ。そんなに褒めてもシナモンロールまでよ。それ以上は自腹でね。」
「えっ?だめっ?ちぇっ。ここで、もう一個分ぐらい上乗せできると思ったのに。」
澪が立ち止まって飯田に向き直る。指を1本たてて小さい子供に言い含めるように笑いながら冗談ぽく言った。
「そんなのバレバレよ。さ、飯田貴俊君、スタバで休憩のやり直しでお茶しましょう。シナモンロール1個つきで。」
「そんなに強調しなくてもいいじゃないですか、先輩。」
飯田が頬を膨らませて冗談ぽく拗ねてみせる。澪はその様子を見てクスクス笑いながら飯田とともに軽やかな足取りでデスクに向かった。