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午後、倉元とチアキがスタジオに戻ってくると、スタッフが集まってなにやらにぎやかに盛り上がっていた。
「なに、楽しそうね」
「あ、おかえりなさい。先生、倉元さん。お邪魔してます」
スタッフの中心にいた澪が立ち上がって丁寧にあいさつした。
「ああ、澪ちゃん、早いわね。待たせたんじゃない?」
「いえ、さっき来たところですよ」
「先生、澪さんにこれいただいたんです」
聡美がオレンジと茶色の蝋引きのペーパーバックを持ち上げて見せた。
「あら?これ…これ、メゾン・ド・ショコラじゃない!まあ嬉しい!ありがとう。私チョコには目がないのよ」
チアキは聡美からペーパーバックを受け取ると中を覗きこんでニッコリした。
「えへ、そう倉元さんから以前うかがってて…。ちょっと時間あったんで寄ってきたんです」
「もう、澪ちゃん気をつかわなくってもいいのに…。高かったでしょう?」
「そんな、あんなにお世話になっておいてこれぐらいはさせていただかないと」
「かえってもうしわけなくなっちゃうわね。ま、でも、せっかくのご好意だから遠慮なくいただいとくわ!ありがとう!じゃ、打ち合わせのあとでコーヒーブレイクにみんなでいただきましょう!」
「きゃー、うれしい!これすっごく人気で並ぶんですよね。高級だし。前にジンジャーの入ったマカロンをいただいたことあるんですけど、めちゃめちゃ美味しくて…。感激です。澪さんありがとうございます。先生、じゃ、あとでうんと美味しいコーヒーいれますから期待しててくださいね。特別な人しかださないコーヒーのために新しくいい豆をゲットしてきたんです」
「なに、その特別な人にしかださないコーヒーって」
「ふふふ。先生の顔色ひとつで美味しいコーヒーが飲めるかどうかがきまるんですよ」
聡美は得意げな顔でカミングアウトし始める。
「なんだい?そりゃ?聞き捨てならないな」
倉元が関心を示して聡美に問いかけた。
「ええ、実はうちにはルールがあって、あ、これ、スタッフが勝手につくったルールですよ。普通〜気が進まなさそうな人達へは普通のレギュラーコーヒー、私達も普段のんでますけどね。先生のお気に入りの特別なお客様の場合はスペシャルなスタッフセレクトコーヒーになるんです。いまのところ棚橋さんと倉元さんと澪さんだけですけど」
「あなたたち…ねえ…」
チアキが絶句している。倉元は笑い転げて苦しそうに言った。
「ああ、だから…か…。ここのコーヒー上等なのだすなあっていつも思ってたんだよ」
「でしょ?特に倉元さんには私達の愛情こめて入れますから特別なはずです」
「えっ?はあ…。」
聡美が元気よく言い放ったのでさすがの倉元もたじたじになっている。
「ちょっと、聡ちゃんってば…」
聡美はチアキの言葉もさえぎるように話を続けた。
「だって、先生がいつも倉元にはスペシャルなコーヒーをだしてお待ちいただいてっていうじゃないですか」
「あのねえ…聡ちゃん…」
今度は倉元がチアキの困った様子に笑い転げている。
「倉元っ!あんた笑いすぎっ!」
ふとみると澪も笑っている。
「ごめんなさいね、澪ちゃん、はずかしいわ。ほんとに」
「いいえ、楽しいですね、みなさん。職場が明るくて羨ましいですよ」
「ああ、ほんと、ここはいつも明るいからいいよな」
倉元も後に続く。
「さあ、いつまでも馬鹿いってないで、打ちあわせ、打ち合わせ」
「こっちのミーティングルームを空けるわ。どうせ、ミツヒロの仕事はもう少し先だし、今日はもう進まない気がするから」
「みっちゃんかわいそ」
倉元がぼそっとつぶやくとすかさずチアキが振り向いてキッと睨みつける。
「倉元っ!」
「しまった、機嫌損ねたか」
倉元が澪を見て舌を出して方をすくめる。
「ごちゃごちゃいってないで、早く来なさい!」
どうやらチアキは地獄耳のようである。
「はいはい。やれやれ、ここ女王様は今日はお天気屋だね」
そういって倉元は澪にウインクすると親指でミーティングルームを指し示し、行こうと合図したので澪もクスクス笑いながら頷いた。
ミーティングルームにはいるとチアキは広げていた資料とスケッチブックやメイク品をがさがさと片付けてスペースを空けた。
「どうぞ、座って。澪ちゃん。あ、倉元ちょっとそこの棚の中のグリーンの箱とってくれる?」
倉元はなれた手つきで棚の扉を開けると迷わずグリーンの箱を取り出してきた。
「ああ、まって、さっきのファイルもいるんじゃないのか?」
チアキが忘れていたとばかりの表情で倉元の問いかけに答えた。
「ああ、そう言えばそうだった。どこにおいたっけ?」
「さっき出かける前にデスクに置いてたよ。とってくるよ」
倉元はすばやく部屋を出て行った。
「なんか、倉元さんってチアキ先生の有能な秘書っていうか、お母さんみたいですね」
「ええっ?なんてことを…」
チアキが噴出して笑う。
「まあ、確かに私は大雑把だからね、それに比べ奴は完璧なエスコートができるほどよく気が利く男だわよね」
チアキがさらっと面白そうに話すと澪も頷いて軽いため息をつく。
「そうですね。時々完璧すぎて恐縮しちゃうほど」
チアキは澪の表情を見て察するように寂しそうに微笑んだ。
「そうか…、恐縮しちゃうか…。倉元が聞いたらがっかりするだろうな…」
「そんなつもりでいったんじゃ…」
「わかってるわ。倉元はね、貴方が頼ってくれないことに寂しさを感じてるみたいよ。飯田君とはどうなの?」
「はあ…それが…」
そう澪が口をひらきかけた時、ドアをノックする音にさえぎられてしまった。
コンコン
「はい」
開かれたドアから倉元が顔を出す。
「これだったよな」
「ご名答。ほんとよく見てるわね。関心するわ。」
「長年の付き合いだからね、チアキが忘れん坊なことは承知してるよ。」
「ちょっと、失礼ね。」
チアキが頬を膨らまして子供見たいな表情をみせたので澪がクスクス笑う。
「なんか、幼馴染みたい。」
「えっ?」
澪の言葉に一瞬二人は固まった。その空気を感じとったのか、澪も自分が何気なく行ってしまった言葉にはっとする。
「えっ…?ああ、そう言えば私もそうだったな…」
そういうと澪は寂しげな遠い目をした。チアキは澪の沈んだ空気を察してすかさず声をかけた。
「澪ちゃん、元気だして。時間が解決するわよ。今はあまり考えないで…」
澪はその言葉に頷きながら床に視線を落とした。
「すみません、だめですネエ、私。仕事のときには考えないようにしてるんですけど、つい、チアキ先生や倉元さんの前だと甘えてしまって…」
チアキがふっと優しく微笑んだ。
「いいのよ。うちで気を張らなくても。私は仕事だけのつもりで澪ちゃんとつきあってるわけじゃないわ。とっくの昔に友人と思ってるのよ。何かあればなんでも言って頂戴。倉元も私も澪ちゃんを支えてあげたいって思ってるのよ」
「ありがとうございます。もしかして飯田君に聞いたんですか?私のこと。」
チアキはため息をつくとややためらったものの申し訳なさそうに頷いた。
「ええ、聞いたわ。ごめんなさい。ちょっと飯田君脅してね。澪ちゃんの気持ちはわからないでもないわ。なんでこう、好きな人とはうまくいかないのかしらね」
チアキが白状したついでにぼやくようにいったのが、あまりにも実感がこもっているように感じたため、倉元が一瞬驚いたようにチアキを見た。瞬間、ぱっと目があったが、チアキはバツがわるそうにさっと逸らした。
「澪ちゃん、長い人生だもの、いろいろあるわ。わたしもね、あんなに好きだった棚橋と今は親友が心地いいのよ。人生わからないものね。今でもよく飲みに行くのよ。互いに一緒にいた時間があることが安心なのか、なんだか時々家族みたいに感じるわ。今でも彼のこと好きだけど、あの頃とはちがうはね。もう一度恋愛関係にもどりたいとは思わないもの。不思議よね。今思えばその頃、今みたいな関係は想像もつかなかったわ」
チアキは懐かしそうに目を細める。倉元もだまってじっとチアキを見つめた。
「先生、ありがとうございます。そうですよね。きっともっとうまく受けとめられるときがきますよね。なんだか。いつも先生には励まされっぱなしだな。ここへくるとがんばる気持ちがわいてきますよ」
「そうなんだ。チアキには俺もいつも励まされてるよ」
倉元が澪に声をかけつつチアキに微笑みながら視線をやった。
「何よ、二人して。さ、仕事かたつけてしまいましょ」
チアキは照れくさそうに笑うと、澪も倉元もほっとした表情で笑いながら頷いた。