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「へえ、いいじゃない。ここ」
「だろ?前に取材で紹介された店なんだ」
そこは和食の創作料理のお店で店内は広いのだろうけれど、変則したつくりで各エリアごとに雰囲気が変えてある。倉元とチアキは店の奥に通されて縁側から庭が眺められる離れ風の個室に案内された。
「なんだか京都の山奥にある離れの宿のようだわ。へえ…、ステキね、このお庭も」
「ああ、ここは個室もいくつかあるんだけど、全部テーマによって部屋の造りや印象が違うんだ」
「失礼します」
和装のいでたちで店のスタッフが次々と料理を運んでくる。
「わあ…。ステキね。美味しそう。倉元のおごりなんてラッキーだわ」
「チアキにはいつも仕事のわがまま聞いてもらってるからね、今注目のメイクアップアーチストにこれぐらいお安いご用さ」
「ふふふ。倉元に言われるとくすぐったいわね」
チアキはさっそく料理に手をつけると味にも満足した様子で深く頷いた。
「いいわね…、美味しいわ。東京コレクションのときに来日する海外の関係者を連れてくるにはいいわね。私もチェックしておこ。ほんと、倉元情報通ね。よく使わせていただいてるわ。さも、私が見つけてきたような振りして」
そう言って、さっきまで気が立っていたチアキとは別人のようにちゃめっけたっぷりの笑顔を見せる。倉元がふっと微笑んだ。
「何よ。また…」
「いや、やっと機嫌直ったなと思って」
「失礼ね。べつに私は機嫌を悪くしてないわよ。さっきはミツヒロの仕事してたからだわ」
本当は倉元のことが頭にちらついて気が立ってたのだが、実際ミツヒロの仕事は気に入らないのでなかなか乗れずに行き詰ってたのは事実だった。
「やれやれ、みっちゃんも嫌われたもんだな」
「しかたないでしょ?あいつ苦手なんだもん」
「おもむろに口説くからかい?」
「フランスに行ったら似た男がたくさんいたわ。詩の様にくさい言葉で語るのよ。叙情的に。それでわかったの。ミツヒロはフランス男なんだって」
「ラテン男は我慢ができてもフランス男は我慢がならないって?」
倉元は笑いがおさまらない。
「笑い事じゃないのよ、もう…」
チアキはむっとして頬をふくらませる。普段の仕事の顔では絶対に見せない顔である。子供みたいにすねたり、はしゃいだりは、棚橋か倉元の前でしかみせない。倉元はそんなチアキが昔から気に入っていた。
「ごめん、ごめん」
倉元はまだ爆笑している。
「笑いすぎっ!」
「はいはい。で、ラテン男の棚橋さんなら良かったわけだ」
ふいに棚橋の話がでて、笑っていたチアキの顔がふっと元に戻った。
「ああ、棚橋?そうね、彼は今でも仲がいいぐらいだから上出来だったわ」
「上出来?そういえば、棚橋さんとのことちゃんと聞いたことなかったな。そんな評価を出しといてなぜ別れたんだい?」
チアキは深くため息をつくと少し間を空けてややトーンの低い声で語りだした。
「心苦しかったのよ。私はこの通り、いい仕事があれば日本中だけじゃなくて海外も平気で電話1本でも出て行ってしまう、風来坊みたいな女よ。彼はそんな私にいつも笑ってたわ。出来すぎだったのよ。はじめはいつ帰っても同じように愛情を注いでくれる棚橋に素直に喜べたわ。でもね、だんだんそれがつらくなってきたの。彼は我慢してるんじゃないかとかきっと寂しい思いをしてるに違いないとか。なのに、仕事となると彼のことを微塵も思い出さずに仕事に没頭する自分がいるの。だんだんそれが負荷になっていっていつか重い足枷のようになっていったのね」
「そうか…。確かに棚橋さんは包容力のある大人だよな。それでも、残念だね。俺にはお似合いにうつってたのにな。棚橋さんは一度もチアキのことで何かいったことはなかったよ。むしろ、今でも飲むとよく自慢してるよ。チアキは最高の女だって」
チアキは棚橋との離婚のことを気にしているわけではないが、倉元にお似合いといわれるとチクチクと心に突き刺さるようで複雑な心境だった。
「やめてよ。もう、棚橋の話は。棚橋とは離婚してからの方が彼のことがよくわかる気がするのよね。だから親友でいいのよ。最近じゃ、澪ちゃんに失恋したってぼやいてたわ」
「えっ?澪さん?」
「ああ、ひそかにご執心だったみたいよ。スタッフ曰く、澪ちゃんとの打ち合わせのときはデートにでかけるみたいに嬉しそうにでかけていくんですって」
倉元が驚いた顔をして絶句している
「やあね、なに動揺してるのよ。棚橋のは夢見るオジサマで一喜一憂して楽しんでただけよ。ほら、アイドルにご執心なのと一緒。飯田君の話聞きつつ仕事とをともにしてたらファンになっちゃったみたいよ。ほんと澪ちゃんていい男達をみんな釘付けにしちゃうのね」
倉元が急に寡黙になった。
「澪さん、大丈夫かな」
倉元の沈んだ声にチアキもすっと真顔になる。
「昨日は澪ちゃん、随分雰囲気がちがってたわね。今は仕事で自分をささえてるって感じだった。」
倉元はふと何かを回想しているかのようにこじんまりとした中庭に視線を落とした。
「ああ。結局俺は気の利いた声のひとつもかけてやれなかったよ」
倉元が寂しそうにつぶやいたのでチアキはすかさずフォローする。
「仕方ないんじゃない?今の澪ちゃんは自分を支えるので精一杯だから、他の人の言葉を受け入れる余裕すらないのよ」
倉元ががっかりしたようにため息をついた。
「他の人…か。やっぱり俺は澪さんにとっては他人なんだよな。いつも遠慮がある」
「倉元…?」
チアキが心配と困惑の顔で倉元をみつめた。チアキは今まで女のことでこんな風に意気消沈している倉元を見るのははじめてだった。今のチアキにとっては内臓をきゅっと締め上げられたような苦い思いに駆られる。
「飯田には頼っても俺には…」
それでもチアキは平然を装い話を続けた。
「飯田君?四六時中一緒にいるんだもの、兄弟みたいな感じなのは仕方ないわね。でも、飯田君もそれはそれで気にしてるみたいよ。棚橋がいってたわ。それでも飯田君は弟でもいいから澪ちゃんのそばにいて支えてあげたいんだって」
「そうか…。飯田が羨ましいな」
そういって倉元がもう一度ため息をつくとチアキが居住まいを正して少し体を乗り出すようにして倉元に語りかけた。
「なにいってるの?飯田君は澪ちゃんの憧れの人になってる倉元がうらやましいらしいわよ。どうしたら大人の魅力がだせるのかって真剣に食い下がられて困ったって笑ってたもの。二人とも澪ちゃんにとっては存在の仕方が違うけど同じ距離にいるってことよ。倉元は倉元で倉元の大人な魅力でじんわりいったら?今の澪ちゃんには性急に攻め立てるのは良くないしね。太陽のように見守ってあげることが大事なんじゃない?」
チアキは思わずはっとして、乗り出した体を引いておとなしく座り直す。勢いで口から出てしまった言葉に自己嫌悪しつつ、大きなため息をついた。
「ああ、なんでこんな話してるんだろ?ステキなお店に美味しいお料理が台無しになるわ。さ、美味しくいただきましょ」
チアキがそういって自分の皿から鶏の燻り焼きを一切れとると口へ放りこむ。倉元はそんなチアキを見てクスッと笑った。
「なんだか、結局最後は俺が励まされるんだよな」
口をもごもごさせながらもチアキは上目遣いで倉元を見てにやっと笑って見せた。
「ふふん。私のありがたみを感じるでしょ?」
「そうだな。チアキといると元気がでるよ。ありがとう」
「えっ?あっ!」
チアキはそういって笑う倉元の笑顔にドキッとして手に取ろうとした小鉢を滑らせて落としてしまった。
「ぷっ!本当にチアキは楽しませてくれるね。君といると悩みなんて吹っ飛ぶよ。あ、さわらないで、今人を呼ぶから」
そういって倉元は部屋のインターホンを押す。
「ああ、すみません、お料理そそうしてしまって…。はい。はい。あ、それから食後にコーヒーもコーヒーも追加していただけますか。はい。はい、お願いします」
「ほんと気がきくわね。女やってるのが馬鹿らしくなっちゃうぐらい。だから倉元はもてるのね。顔やスタイルのよさをさっぴいても中身が絶品のイケメンなのにね。なかなか売れない」
「ひどいな、売れないは余分だろ。チアキ」
チアキは茶目っ気たっぷりに下をだしてウインクした。