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21時すぎ、流星と江怜奈はレストラン&バー「バレリアン」のカウンターにいた。ここは江怜奈が通い慣れた店である。流星はカウンターに左肘をついて自分の頬を支えながら、無表情に琥珀色の液体を傾けているが、時々氷の音が響くだけで、全く声を発する様子もなかった。やや青白く端正な顔は感情等持ち合わせてないかのようにどこか一点に視線をやったまま動かない。右隣の江怜奈はそんな流星に少し甘えたようにしなだれかかる。傍から見て明らかに江怜奈の空気と流星の空気は違っていた。それでも江怜奈は全くそんなことを気にかける様子もなく、1人話し続ける。流星はと言えば、どこか一点を見つめたまま顔色を変えずに黙って江怜奈を受け入れている。
「ねえ、結婚式はフランジュパニ大聖堂にしない?あなたと私なら似合うわ。」
フランジュパニ大聖堂は多くのセレブが結婚式を挙げたがる日本でも有名な教会である。
「神の前で貴方と私、永遠の愛を誓うのよ。ステキじゃない?たくさんの純白の花に囲まれて大勢の人に祝福されて…、一生に1回だものうんとステキにしたいわ。あ、そうそう、ウェディングドレスも見にいかなくちゃね。ドレスはマキ江藤に決めてるの。子供の頃、見てすっごくあこがれたのよ。マキはブライダルでは世界でも一目置かれるセレブの憧れのブランドよ。」
流星は一瞬こめかみがひきあがった様子を見せたが、すぐにもとの感情をもちあわせてない美しい人形のような表情に戻した。それでも江怜奈ははしゃぐように話をしている。しかし、一見楽しそうに話をしているが、江怜奈の目はわらってなかった。話せば話すほど、悲しそうにすらみえる。一方流星はといえば、無言で話を聞いていて、一切江怜奈の顔を見ない。無表情な中にもどこか遠くをみてその瞳は寂しそうに曇っているようである。
しばらくして流星が仕事にもどるといって席を立った。江怜奈もあわせて立ち上がると流星の腕に絡みついた。
「そこまで送るわ。いいでしょう?」
上目遣いで微笑んだ。しかし、江怜奈のまとわりつくような視線は流星に有無を言わせなかった。この目は危うい。江怜奈はいつ逆上するかわからない。その危険をにおわせるのだ。流星は仕方なく頷くとチェックして重い足どりで江怜奈を連れて店をあとにした。
江怜奈と流星が帰っていく姿をじっとバーテンが見ている。その様子に他のバーテンから声がかかる。
「拓海、どうしたんだ」
「いや、なんでもない」
そういうと何もなかったように拓海と呼ばれたバーテンは江怜奈と流星の飲みかけのグラスを片付けた。
しばらくして江怜奈が再び戻ってきた。顔は真顔だったが、どうにも悲しそうで、拓海は入ってきた時、一瞬、江怜奈が泣いているのかとさえ思った。拓海はそんな江怜奈から目が離せず、江怜奈に注目していた。江怜奈がその視線に気づいてか、ふと拓海を見返す。拓海はしばらくじっと視線を合わしていたが、しばらくするとニコリともせずに挨拶程度に平然と軽く会釈をした。その時、江怜奈が一瞬何かを訴えかける縋るような目をした。それでも、なにもなかったかのように拓海はがグラスを取り出すために背中を向けたので江怜奈はあきらめたように拓海の正面の席に座った。拓海は背中で重い雰囲気をかみ締めながらも、平然といつものレシピでアーント・アガサをシェークする。拓海の迷いのないきびきびしながらも優雅で隙のない動きを江怜奈も無言でじっと見つめた。江怜奈の目の前で氷の音とともにグラスにオレンジのカクテルが注がれる。最後の一滴を振り出すとシェーカーをすっと引いた。
「あの人は貴女に似合わない。」
江怜奈ははっとして顔を上げる。そこには真っ黒で鋭い辛辣な瞳があった。江怜奈は細く美しい眉を片側吊り上げる。
「なんですって?」
江怜奈は急に不機嫌さをあらわにして、拓海に攻撃的な瞳を向ける。
「貴方には関係ないでしょう?」
江怜奈は拓海を睨みつけながらも少し震える怒った口調で言葉を投げた。拓海はそれには応えず、じっと江怜奈を夜の闇のような黒い瞳で見つめた。その吸い込まれそうなほど強い視線に江怜奈は思わず息を呑む。
「貴女はあの人を愛してない。」
江怜奈は一瞬顔をこわばらせた。心臓を一突きにされたかと思うほど、一瞬心臓の動きがとまった。そして次の瞬間、心臓が飛び出しそうなぐらい怒涛のように激しく打ちつけてくる。思わず、江怜奈に注がれたまっすぐ向けられる漆黒のような瞳から目を逸らした。
「これ以上自分を偽らないほうがいい。」
江怜奈は体中の血が一気に逆流したように全身に戦慄が走った。
ガシャーン!
江怜奈は思わずグラスを思いっきり払った。その瞬間、周りが一斉に江怜奈を見る。拓海は無言でカウンターからでてそれを片付け始める。
「なんなのよ、あなた!私の何がわかるっていうのよ!」
江怜奈はそう叫ぶと走って店から出て行った。拓海は片付ける手をとめて江怜奈が出て行った扉をじっと眺めていた。
江怜奈は店を飛び出すとそこは歓楽に酔いしれた人達が集う街だった。週末だからか、通りには人が多く、酔っ払って陽気な声を上げる若者や店を品定めしているサラリーマン、既に出来上がって上機嫌で通りを歩く男女でにぎわっていた。しかし、江怜奈はそんな街の様子に目もくれず、走っていく。途中誰かにぶつかって、罵声をあびせられても耳に入らないのか振り向きもせずになにかに取り憑かれたように一心に細いヒールで転びそうな程の勢いで走った。
なんなのよ、あの男!
なんだっていうのよ。
ちょっといい男だと思って贔屓にしてやれば偉そうに。
なんなのよ、あの目!
江怜奈は拓海の深く漆黒の瞳を思い出していた。江怜奈の心臓を一突きするようなあの目。
あの男の目を思い出すと途端に江怜奈の心拍数があがる。心が痛い。なにもかも見透かすようで怖い。瞬間そう思った。
あの人は貴女に似合わない・・・。
拓海の言葉が何度も江怜奈の頭の中で空回りする。
私が春日くんを愛してないですって?
冗談じゃない!
私には春日君しかいないわ。愛してるのよ。自分に嘘なんてついていないわ。
江怜奈は自分にそう言い聞かせて、週末の人々の開放感を盛り上げるきらびやかな光がこぼれる通りの真ん中で立ち止まると、息が荒く肩で呼吸をしながらじっと地面を凝視した。
何やってるの私?
江怜奈は一瞬しゃがんで頭をかかえた。まわりは江怜奈に注目している。それでも江怜奈には辺りの様子は目に入っていない様子で、自分の思いをかき消すように頭を横に何度が振ると、すっくと立ち上がり、車道へと走った。ちょうどそこへスローに流して来たタクシーを停め、急いで乗り込んだ。江怜奈は行き先をつげるとタクシーの座席の隅で寒くもないのに凍えるように体をまるめて自分で自分をじっと抱きしめた。