18♯
その後も飯田が澪を気遣っておもしろおかしく同僚などの話をして雰囲気を盛り上げたので、澪はなんとかほとんどの食事を平らげた。久しぶりに味わった気がした。流星とのことがあってからしばらく食べられずにいたが、昨日今日は大事な仕事もあるし、エネルギーが切れない程度になんとなく食べ物を押し込んでると言う感じだった。でも、飯田のおかげでひさびさに美味しく食事ができたし、気分転換になった。本当に飯田は頼りになる。たすけられてばっかりだなと澪はふっとあきらめたように笑った。
「なんですか?その笑い。」
飯田が子供がむくれるような表情で聞き返した。
「え?別に。意地を張ってもあなたの前ではどうにもならないわね。結局助けられちゃうなって思って。」
そう言って澪が素直に笑うと飯田はほんの少し驚いた風な表情をしたが、すぐに笑った。
「そうですよ。隠したって無駄ですから。先輩は俺にはかなわないんです。あきらめて寄りかかってくださいね。」
澪は飯田の優しい笑顔を見てため息をつくと照れくさそうに頷いた。
「さ、帰りましょう。ゆっくり休んで明日からの仕事に供えましょう。」
飯田はいつもの調子で明るく言うと会計して店を後にした。
店を出ると飯田がタクシーを呼び止めるために通りにでようとするのを澪がひきとめた。
「飯田くん、待って。少し歩かない?」
澪がまじめな顔をして言うのでしばらくじっとその瞳を見つめた。
「いいですよ。こんな美人を一人で歩かせると危険ですからね。俺がどこまでもついていきますよ。では、女王様いずこへ?」
「川沿いを歩いて駅まで。」
「了解。じゃ、参りましょう。」
飯田がにっこり笑ってエスコートする。
川沿いを歩いて駅に向かうコースは実は駅へいくには遠回りである。なにか話したいのだろうと飯田は察したが、何もいわずに澪を連れて歩きだした。川沿いは少し風があり、ほんの少しお酒も入っているせいか、心地よい。澪はいつもよりのんびり歩いて空を仰ぐ。その少し後ろを飯田が見守るように歩いている。都会の街明かりのせいか、天気は良くても星がまばらだ。
「先輩。せっかくだから降りませんか。」
この川沿いは散策コースがある。澪が振り向きながら頷いたので、飯田は澪を連れて土手の階段を降りた。飯田がさりげなく澪の手を取ると澪は素直に握り返した。川べりは広場のようになっていて舗装してある。誤って川に落ちたりしないようにと柵が設けられ、ところどころベンチが置かれている。遠くのほうに人がちらほら見える程度で、澪と飯田がいるエリアは誰も歩いていなかった。
「気持ちいいね。」
そういって澪は柵のほうへと近づいた。飯田も後ろからゆっくり澪に近づいた。
「本当ですね。」
二人は川の流れの向こうの都会の夜景に視線をやる。しばらく何も言わず、景色だけを見つめる。静かに川が流れる音に混じって遠くに車やサイレンの音がうっすら聞こえる。
「飯田くん。いろいろ心配かけてごめんなさい。あなたのおかげで何度救われたかわからないわ。あなたがいたからこうしていられるもの。」
「先輩…。」
飯田は薄暗がりに蒼く浮かぶ澪の横顔を見つめた。
「私はもう大丈夫よ。これは強がりではないわ。流星とは未だにちゃんと話が出来てはいないけど、この間の夜の流星を見れば十分過ぎるぐらい流星の気持ちがわかったの。流星の心には私がいる。あの悲しみにくれた目を見ればわかる。生まれたときから一緒にいるんだもの。お互いのことは手に取るようにわかるわ。そりゃあ、上条さんの話を聞いたときは気が動転したのは事実よ。あ、あの時も飯田君にはすっかりお世話になってしまったわね。」
澪が飯田に振り返る。飯田はふいに目があったので一瞬どきっとした。その瞳はもう何かを越えてしまったかのように静かで綺麗だった。
「私は流星が好き。私の心の中には唯一流星だけなの。ずっと流星だけを見つめて生きてきたんだもの。今更他の人は考えられない。こんなことがあってはっきりわかったの。ばかよね。もっと早く素直に言えばよかったのに。傷つくのが怖くて逃げていたのよね。この結果は二人してまねいたことなのよ。しかたないわ。未だにうまく受け止めることは出来てないけど、時間とともに受け入れられると思う。もう、この先一緒に居られることはないのかもしれない。でも、私にはやっぱり流星しか考えられないの。」
澪は改まってからだごと飯田に向けた。
「飯田くん、あなたの優しさには本当に感謝してる。こんなによくしてもらって申し訳ないけど、あなたの気持ちには応えられない。あなたにぐらっときそうな時は何度もあったけど、でもやっぱり、私の心の中には流星だけなのよ。ごめんなさい。」
澪はそういって頭を下げた。
「先輩やめてください。頭を上げてくださいよ。」
飯田が澪の肩に手をかけると澪が顔を上げた。
「いいんです。わかってますよ。昼間いったでしょ?流星先輩が好きなあなたごと受け入れるって。」
「そんな、それじゃあ、飯田くんが…。」
「いいんです。もう僕はずっとそんなあなたに思いを寄せていたんですから、今更ですよ。それに…。」
飯田が少し躊躇して視線をはずしたが、思い直して顔を上げた。
「あの晩より前に…、実は流星先輩に会ってるんですよ。その流星先輩から頼まれたんです。」
「流星から?」
飯田は澪の問いかけに真顔で頷いた。
「澪を幸せにしてやってくれって。」
澪は驚いたように目を見開いた。そしてその目には次第に涙がこみ上げてくる。澪はとっさに川の向こうの夜景に視線をやった。堪えきれず涙があふれた。澪の頬に光るものを見たときに飯田は澪を後ろから抱きしめた。そして澪の髪にキスをする。
「あなたの心に流星先輩がいてもいい。俺にあなたを守らせてください。あなたの傍にいたいんです。今までどおり弟みたいな存在でもいい。俺から逃げないで。」
一瞬泣いているかと思うほどの飯田の訴えるような声は初めてだった。その声に動揺して澪は身動きできず、飯田の熱いほどの温もりと息苦しいほどの強い力を黙って受け止めていた。